第15話
空の執務机を見つめながら、私は部屋の主が帰ってくるのを待っていた。扉が開く音に、最上級に令嬢らしく、すっと立ち上がる。
「やあ、お待たせ。彼らは帰っていったよ。……さ、楽にしておいで」
「お疲れ様でした、お父様」
ありがとう、と笑って、私の向かいに腰を下ろすお父様。思ったほど疲れている様子はなくて、私の肩の力も、ふっと抜けた。
「様子はいかがでした?」
「そうだね……端的に言えば、マーユ嬢は優秀だが、引っ込み思案で、気が弱いご令嬢。エドヴァルド殿下も、幼いころからよく努力してきた王子様、といった感じかな。物腰が柔らかで、堂々と振る舞っていた。やはり、2人とも、第一印象と変わらないね」
……いつもの部屋、いつものソファーに、隅で控えるのもいつも通りにステフェンとイザベレ。普段との違いは、王太子の相手をしていたお父様が正装だということだけなのだけれど、ふふんと自慢してやりたくなるくらい、お父様は豪奢な衣装もお似合いなのだ。
素敵なお父様でよかったわね、イェシカ――、お母様もよくそう言っていたわね。
私がそんなことを考えていると、ただ、とお父様は形のよい眉を動かす。
「この2か月間見ていて……イェシカが言っていたように、マーユ嬢は、あれでもだいぶ手加減しているようだったね。エドヴァルド殿下だって、当たり前だが会話もマナーも十分良くできていたよ。しかし、マーユ嬢はね、オーバネット・ミーアの知識そのものだけでなく、会話術や所作の見せ方まで、かなり深いところまで探究しているように思えたよ。しかも、それは殿下を立てるために使っていて、なかなかやり手のご令嬢であることはよく分かった。まあ、今日も同様だったよ」
マーユのことを自分の目で確かめることができ、お父様は納得したらしい。そうなると、かつて王宮で交わした私たちの密談も、現実味を帯びてくるわけで……
「では、あの娘の様子はどうでした?」
「ビルギッタとオーセは本邸で生活しているからね。儀礼的にも2人に挨拶はさせたが、エドヴァルド殿下は、なんと、ビルギッタをお引き留めになったんだよ。マーユ嬢にもビルギッタを紹介し、どれくらいだったか……紅茶を注ぎなおすまで、僕と殿下、マーユ嬢、ビルギッタの4人で――と見せかけて、その実ビルギッタと殿下、そして僕とマーユ嬢の2組に分かれて話していたよ」
「まあ、まあ、なんてこと」
その様子を想像すると、おかしくってたまらない。なんて、愉快で、間抜けで、ふざけた王子様なのかしら!
「あそこまで露骨だとは、僕も思わなかったなあ。王太子殿下はビルギッタのことを友人と称していたけれど……ビルギッタは、最初はマーユ嬢を見て怯えたようだったが、お互いに関心がなさそうなのに気付いたのか、すぐに殿下とのおしゃべりに熱中していたね」
呆れたようにお父様は笑う。
ビルギッタは殿下を射止めて鼻高々のようだったけれど、殿下の方も、やはり本気であの娘に惚れてしまったらしい。最初はいくらなんでも、そう、例えば――両親と宰相の持つ版図拡大の野心はエドヴァルドにも伝えられていて、彼はそれに共感し、そのためにビルギッタとの関係を築き始めた、と言われた方がよほど「それらしい」と思ったものだったわね。
「では、お父様、わたくしたちも是非とも、マーユと協力関係を結ぶべきですわ。お父様も、彼女は力強い味方になりそうだとお感じになったでしょう?」
まるで今にも折れそうなか弱い花のようだった彼女が、微笑みひとつでその雰囲気を消し飛ばして見せた。その様子を思い出し、私がやや乗り出し気味に彼女のことをアピールすれば、お父様は一転、柔らかく温かい微笑を浮かべた。
「イェシカにとっては、初めてのお友達か……。意図せぬ形だったけど、素敵なご令嬢と出会ってくれて、僕はちょっとほっとしてるんだ。王妃殿下から招待があったときはどうなるかと思っていたが、良い方に転んでよかった、きっとアウロラも安心しているはず……」
よく見れば、お父様の金色の目も、どことなく潤んでいるように見えて……いえ、本当にうるうるし始めたお父様が、目頭に手をやって――えっ、いくらなんでも、涙もろいにもほどがあるのではなくって!
「ええ、まあ……。わたくしはこの家から出たこともありませんし、幼友達などもおりませんでしたものね……大変僥倖だったと、わたくしも思っておりますの。この機会を逃すわけにはまいりませんわ。きっと、ヴィル伯父様のパーティーの後でしたら、またちょうどよい口実ができますもの。今のうちに手紙を……」
そう、お父様には是非とも、マーユと深くお話しする機会を作っていただかなくてはならないのだ。なにしろ、マーユはお父様のことを愛人に狂った愚かな男と認識しているわけなので、そこからいかに挽回するかが鍵になってくるはずよ。でも、そうね、今回の件で、多少は見直してくれたはず。
「ね、頑張りましょうね、お父様」
とはいえ、ハンカチを目に当てて静かに滂沱するお父様は、正直なところ、少し鬱陶しいと思わなくもない私なのですわ……。




