第13話
あのお茶会から2ヶ月……時が経つのはあっという間ね。
繊細に編まれたレースのカーテン越しに、夏の午後の強い日差しが差し込んでくる。
比較的快適な午前中のうちに勉強やレッスンを済ませ、ラフなドレスでくつろいでいると、イサベレがそっと私を呼んだ。
「イェシカお嬢様、旦那様がお呼びです。お急ぎの用、とのことでございました」
「分かったわ。……ああ、イサベレ。今日も1人で行くから」
読んでいた伝記を閉じ、私はすぐに返事をした。
無造作に結っていた髪を下ろし、身だしなみを整えて本邸へ向かう。
照りつける日差しの中で咲く花々に視線をやりつつも、心は上の空。
――それにしても、いったい何かしら?
この約2ヶ月、お父様はオーバネット・ミーアの言語やマナーの確認役として、マーユと王太子殿下に会っていた。殿下に会うために王宮へ上がったり、マーユをこちらに招いたりしつつ、着実に彼女との連携を深めていたのだ。
殿下に会いに行くお父様に、ビルギッタがああだこうだと声をかけている……とは聞いているけれど、それは問題の数には入らないのよね。
私を急ぎの用で呼ぶなんて、それこそあのお茶会の時以来だわ。
内心首を傾げつつ、私はビルギッタに遭わずに済むように祈るのだった。
――――――
そして、その祈りは無駄だった。いえ、むしろ逆効果だったのかしら?
「あっ、イェシカお姉様!明日、エドヴァルド様がいらっしゃるって知ってました?知りませんよね、今朝お手紙が来たんですっ!」
私を待ち構えていたのかしら、扉を開くと、そこには彼女がいた。
開いたままの扉から差し込む光が、ビルギッタを美しく浮かび上がらせる。
翡翠の瞳を輝かせながら飛び上がる彼女に、私はきつい言葉を投げた。
「気安く話しかけないでもらえるかしら。そのように大声を出して、はしたないわ……その様子だと、未だに平民気質が抜けていないのではなくて?あなたのような者、このフォーゲルストレーム家の恥ですわ」
わざとらしく頭を振ってみせれば、ビルギッタの表情が悲しげに歪む。……が、潤んだ瞳の中にはわずかに喜色が滲んでいた。これは、どういうこと?
何か言わなくては……と思うものの、初めて気づいた異常に意識が引っ張られる。
「……それにあなた、王太子殿下のことを、あのように馴れ馴れしく呼ぶなんて。不敬も甚だしいですわ」
動揺を押し殺し、再び冷たく睨めつける。
それと同時に扉を閉めれば、軋んだ音に彼女はわざとらしく震えてみせた。
怖いです、と全身で表現してくる彼女がおかしくて、つい小さな笑い声が漏れる。
「え、エドヴァルド様が、私にそうおっしゃったんです!『私たちは友人だから、堅苦しい呼び名はいらない。名前で呼んでくれ』って……ほら……エドヴァルド様と私は、お友達なんですよ?」
握っていた手紙をひらりと振り、健気な様子で反論してくるビルギッタ。
この子もこの子だけれど、王太子殿下も……ね。
婚約者がありながら特定の令嬢と親密にするなんて、自分は馬鹿だと宣言しているようなものじゃない。
しかもそれが、元平民でありながらも、隣国の元王子の娘――王妃に焚きつけられたとしても、少しはためらってしまうような相手ではなくて?
計画通り――少し不安を抱くほど、……うまくいっているわ。
「お姉様、ひどいですっ、なんで無視するんですか?私がエドヴァルド様と仲良くしているから、こんや――――っ、ううん、嫉妬してるんですか?」
「わたくしがあなたに嫉妬?馬鹿なこと言わないでもらえるかしら。あなたのような、マナーも常識も何ひとつない者に嫉妬する謂れなどありませんわ。ビルギッタ、あなた、今はいいけれど……学園に行ったらとんだ道化ね。ああ、フォーゲルストレームの名に泥を塗りそうなあなたでは、学園に行けるかも怪しいのかしら……いえ、どちらにせよ、今から楽しみだわ」
珍しく長台詞を吐く。
目を見開き、大人しく震えていたビルギッタだが、さすがに最後の言葉で顔をひきつらせた。
『学園』とは、ヒルデガルド学園――16歳から18歳まで3年間、貴族の子女が通わなくてはならない王立の学園のこと。ごく一部の例外を除き、卒業できなければ、成人以降は貴族として扱われなくなってしまうのだ。もちろん、この場合の『卒業できなかった者』には『貴族の子女でありながら入学しなかった者』も含まれている。
「……そんなことありえません!だって、お父様が、私を学園に入れないなんてありえないです!私は絶対学園に行くんです!」
いつもは薔薇色に染まった頬までを真っ青にして、必死の表情を浮かべるビルギッタ。
……あら、これは本心みたいね。やはり、貴族籍から抜けるのが嫌なのかしら。
何と返そうか迷っていると、ビルギッタの後ろにお父様の姿が見えた。
近づいてくる靴音に礼をとると、青ざめたままのビルギッタが緩慢な動作で振り向く。
「イェシカ。急ぎの用と言ったのを忘れたか?」
「申し訳ございません」
「ビルギッタ、大丈夫かい」
私の謝罪を華麗にスルーし、一転優しい声がビルギッタを呼ぶ。
そろそろ慣れてはきたのだけれど……でも、この瞬間は少し嫌なの。
「さあ、居間に戻りなさい、ビルギッタ。オーセが心配しているよ」
心底愛しいといった様子で、お父様がビルギッタの髪を撫でた。それを視界の端で捉える。
そして、パタパタと足音を響かせて彼女が去ると、ふうとため息が聞こえた。
「イェシカ。顔を上げて」
その言葉に従い、お父様を見上げる。すると、お父様が屈んで、私の頬に手を伸ばし――
「……引っ張らないでくださいまし、お父様」
むにむにむに……と、しばらく私のほっぺは弄ばれるのだった。解せませんわ。




