第11話
「……イェシカ、王妃殿下に無礼を働いたというのは本当か」
家に帰ってきて、そのまま私たち3人は居間に向かった。
目の前には、眉間に皺を寄せ、私を睨みつけるお父様。
渋くて魅力的な声は微かに震えていて、強い怒りが伝わってくる。
「そんな、いいえ、お父様……!」
対する私は、夜空色の髪をゆるゆると振り、必死に否定の言葉を述べる。
そして、お父様の隣で縮こまるビルギッタに、鋭い視線を送った。
「むしろ、殿下に無礼を働いたのはこちらの娘ですわ。お許しを得る前に立ち上がるなど……フォーゲルストレームの娘が聞いて呆れますわ!」
お父様ほどの迫力はないものの、私の視線を受けたビルギッタはビクリと震える。彼女は翡翠色の瞳を潤ませ、そっとお父様の腕に掴まった。
「何を言う、イェシカ!殿下が、ビルギッタのことをフォーゲルストレームの娘としてふさわしいとお認めになったのだぞ。お前は名乗りさえ許されなかったくせに……」
それを聞いた私は、くっ、……と息を吐き出し、唇を噛む。
反論する術を失った私を、お父様は冷たく見つめた。
「イェシカ、お前には充分に言い聞かせたつもりだったが、足りなかったようだな……この後、私の執務室へ来なさい」
消え入りそうな声で、はい、と返事をすれば、ビルギッタがお父様の腕を強く引っ張った。
あら、この子、まだ茶番を続ける気なのね……早いところ解放されたいものだけれど。
「お父様、姉様をそんなに責めないであげてください……っ!私のマナーがまだまだなのは、自分でも分かってるんです。姉様は、私のことを思って指摘してくれただけです!……ねえ、姉様?」
お父様から私に視線を移して、彼女が首を傾げる。
さらりと金糸のような髪が揺れて、瞳は宝石のごとく煌めく。
……実際、その姿だけを見れば、とても美しいものだった。
そうね、例えるなら――月の女神、といったところかしら?
――――――
香り高い紅茶を口に含み、私はそのおいしさに目を細めた。
「ご苦労だったね、イェシカ」
「あら、わたくしは大丈夫ですわ。お父様こそ、わざわざ迎えにも来てくださって、ありがとうございました」
「構わないよ。僕は他国の人間だし、名ばかり官僚のようなものでね。仕事はほとんど回ってこないから」
くすくす、と琥珀色の目を細めて笑うお父様はとても若々しくて、私も思わず笑みを浮かべてしまう。
こんな時間を過ごせるのは、幸せね。長く続くといいのだけれど……いえ、私たちが続けるのよね。
カップをテーブルに戻し、私は軽く息を吐いた。
それでお父様も察したのね、真剣な表情になり、柔らかな視線で私を促す。
「ええと。ビルギッタも帰り道で触れていましたが、今日は、マーユ・オリヴェル=シェルマン様もいらっしゃいましたの――」
そう切り出して、私は、王妃とのやり取りから、マーユとの会話を報告するのだった……
――――――
所々質問が挟まれたり、困った表情をされたりしながら、報告が終わる。
「マーユ嬢は、なかなか意外な人だったようだね。……しかし、宰相がもし彼女の本質を知ったとすれば、本格的にビルギッタに鞍替えだろうね」
「ええ。マーユは従順な振りをしていますが、その彼女と比べてもビルギッタの方が御し易いのですから……王太子殿下も、ビルギッタのことは気に入ったようなのでしょう?」
実は、お父様とは、明後日あたりに話し合う予定だった。
まずビルギッタと王妃のやりとりを聞き出してから……というつもりだったみたいね。
しかし、ビルギッタが帰りの馬車でペラペラと話してくれたので、すぐに報告会をすることができた。
曰く――王妃に連れられ、王太子が下町に来ていた日のことを報告した。すると、ビルギッタが嘘をついていないかを確かめるために、本人、つまり王太子が呼ばれたのだそう。
……まあ、完全に口実でしょうね。
とにかく、王妃から直々に王太子へと紹介されたビルギッタは、母を助けてもらった礼を言い。
そして、所用で王妃が一旦席を外さなくてはいけなくなり、その帰りを待つ間、暫し2人でお茶を楽しんだとか……
『民の暮らしについて、こうやって詳しく聞くのは興味深かったよ。ビルギッタ嬢、また色々と話を聞かせて。……これを返しに、また来ておくれよ?』
別れるときには、こんな言葉と共に、彼の紋章が刺繍されたハンカチを手渡された――と、歓喜に身をくねらせながら語る様子には、嫌な汗が流れましたわ。ええ。
「見た限り、あのハンカチは、本当に殿下の私物だろうね……。正直、事の運びが予想より早すぎた。驚いたよ、王太子殿下が靡くのにはもっと時間がかかると思っていたから……」
苦い顔のお父様に、私もしっかり頷いておいた。いくらビルギッタを好ましいと思ったとしても、一国の王太子として、とてもマトモだとは思えませんものね。
「だけど、着実にいこう。あとは、利害が一致する以上、マーユ嬢との協力が不可欠になってくるね」
私はこれにも頷いた。
彼女の本心は予想外だったが、心強い。
「そうなると、彼女と話してみる必要があるな。……ああ、ステフェン。再来月のオーバネット・ミーアでのパーティー、王太子殿下が招待されているか再確認してくれ」
パーティーとは、お父様の次兄・ヴィル伯父様の誕生日会のことに違いない。
お父様の意図が分からず戸惑っていると、
「ヴィル兄上は王族だけど、既に臣籍降下しているし……こっちの陛下と妃殿下は参加するほどでもない。しかし、兄上の影響力も無視できないから、王族クラスから誰かは行くべきだ。本当は僕で充分だったんだろうが、陛下は僕をランネージスから出したくないようだからね。
……ルトヘル兄上から連絡は来ている。王太子殿下を招待したってね」
なるほど。……だけど、それとマーユがどう繋がるのかしら?
「ははは。イェシカ、顔に出ているぞ……公式に決定している場合、婚約者も含めての招待がほとんどだ。国外での初公務としてはちょうどいい機会だし、マーユ嬢が同伴する可能性も高い」
「……つまり、マーユもオーバネット・ミーアへ行くだろうから、言葉や礼儀作法も、改めて確認すべきで――」
ようやく意図を汲めた私に、お父様は涼しい顔で言ったのだった。
「ああ。その確認の役を務めるなら、僕以上にふさわしい人間はいないからね」




