第1話
「イェシカ。昨日言っただろう、君の母と妹になる人だ」
お父様が、女性の肩を抱き、少女の頭を撫でた。
「こちらがオーセ、こちらがビルギッタ。ビルギッタは、お前の2つ歳下だ。……2人とも、この娘がイェシカだよ。歳は14。仲良くしてやってくれ」
母親がオーセ、娘はビルギッタね。
私は、ぺこりと頭を下げた母子を観察する。
オーセは、整っているが特徴のない顔立ちをしており、どちらかといえば細身だ。
一方のビルギッタは、12歳にして将来を約束された瑞々しい体躯に、それとは対照的な、あどけなく愛くるしい顔立ち。
彼女は真ん丸な翡翠の目をして、私をじっと見つめている。
「イェシカ! 無視をするのか? 挨拶はどうした」
お父様の、私を見つめる視線に愛が全く篭っていないのを見て、私は吠えた。
「お父様。まだお母様が亡くなってから1年しか経っていませんわ! それなのに……その娘はお父様の子なのですか! 昨夜、その娘の母親は平民とおっしゃっていましたが、卑しい血を我が家に入れるおつもりですの?」
「口を慎め! 2人を戸籍に加える前に、わざわざ顔合わせの場を設けてやったのだ! それが、平民を卑しいとはどういう了見か!謝罪せよ!」
愛する人を侮辱されたためだろう、その目には憎悪が燃えている。
すると……
「お、お父様っ。イェシカ姉様が怒るのも無理ないわ。だって、……!」
今にも飛びかかって来んばかりのお父様と私の間に、ビルギッタが滑り込んできた。
胸元を飾る悪趣味なネックレスが揺れて、私は顔を顰める。
「……だって、愛してなかったとはいえ、お父様の奥様は、イェシカ姉様のお母さんだったんでしょう……? 私たちが憎くても仕方ないわ。お父様、だから、姉様を許してあげて……!」
お父様に向かって、ビルギッタはまくし立てた。大方、瞳でも潤ませているのだろう……お父様の表情が、みるみる解けていく。
「……ビルギッタがそこまで言うなら、今回は大目に見てやろう。イェシカ、ビルギッタの慈悲に感謝することだな」
「ああ、やっぱりお父様は優しいわ! そのお父様の娘なら、姉様もきっとお優しい人よ! ね、母さん?」
終始不安そうにしていたオーセだが、躊躇ったように、頷く。
「…………そうね、あなたが言うならきっとそうよ。私の可愛いビルギッタ」
幽かな声でそれだけ言うと、オーセは顔を隠すように、お父様の胸に顔を埋めてしまった。
――予想外ね。娘の尻馬に乗って私を貶すかと思っていたわ……。
戸惑いつつも部屋を見回し、使用人たちの様子を伺うと、誰もが目を逸らし俯いた。
「イェシカ! お前は部屋に戻りなさい。これからもここの娘でいたいのならば、明日からは、ビルギッタを見習いなさい。妹はこんなに優しい娘なのに……お前は何と醜悪な性根をしているのだ」
お父様は、軽蔑を滲ませて吐き捨て、2人を伴って居間を出て行った。
ビルギッタが、お父様の腕に自らの腕をぎゅっと絡める……仮にも『実の父親』に!
「――まあ、母親があの女では、無理な話かもしれないがな」
そして、お父様は、最後にそう付け足した。
――――
時間は、少し……いや、もう少し遡る。
――――
私のお母様のアウロラは、このフォーゲルストレーム侯爵家の一人娘。お父様であるクィンテンは、なんと隣国オーバネット・ミーアの第3王子だった。
本来、当時の隣国の王は、王族同士の婚姻を求めていたのだが、この国の王は、一方的に隣国の王族を要求したのである。
無茶な要求だが……当時の隣国では疫病が蔓延し、不安定な情勢だったため、支援を見返りにお父様をこの国に送った。
つまるところ政略結婚だ。
お父様は、王位継承権を放棄させられ、お母様と結婚した。
そして、そのお母様は、幼い頃の病が原因であまり動けず、身体中に痘瘡があった。
無礼な要求で臣籍降下させられ、仕方なく娶った妻は醜い。
全てに納得のいかないお父様と、顧みられないお母様の仲は最悪だった。義務だけで私を生ませた後、お父様は間もなく女遊びを始めたのだった。
――――
――というのが、世間一般での、フォーゲルストレーム家のイメージだ。
しかし、実際は全く違う。
まず、お母様の体には、ほとんど痘瘡は残っていなかった。
お母様は社交界に出ていない。だから誰も疑っていないが……お母様を理不尽に憎む王妃が流した、デマにすぎない。
そして、お父様は、己の境遇やそれをもたらした父・兄弟を恨んでいるように振る舞ったが、それは演技。
両親はお互いに一目惚れして仲睦まじく、お父様は隣国の情勢を分かっていたから不満もない。
もちろん、私も両親のみならず使用人のみんなからも愛を注がれ、またとなく幸せに暮らしている。
……では、あのオーセとビルギッタは何なのか?
あれほど愛し合っていた両親なのに、お父様は浮気などするだろうか? しかも、私とそう歳の変わらない子をもうけるなど、実際のフォーゲルストレーム家を知っていたら信じられない事態である。
もちろん、使用人たちも例に漏れず、そのことをよく知っている。
だから、みんな必死に笑いをこらえていたのだ。
つまるところ……これは茶番。
お父様が浮気に見せかけて会っていたのは祖国からの使者だったし、そうなれば自ずと、お酒の席で漏らしたという、女性にまつわる話もでたらめだった。
――関係を持った女性たちのうち、ある1人のことが忘れられないという話も……、酔って容姿は忘れてしまったが、彼女にどうしても会いたいという話も、すべて、嘘なのだ。
しかし、その話に乗じてやってきたのが、……そう、オーセとビルギッタだった。
私たちフォーゲルストレーム家は、いるはずのない『愛人』と『娘』を名乗って現れた女狐たちを、逆に化かしてやろうとしているのだ。
――――
甦るのは、ベッドで微笑する、美しいお母様の姿。最期まで、私たちを案じていたお母様……その通りに、ことは起こってしまったのだ。
オーセとビルギッタ。
あの2人を動かす黒幕が、わたくしたちの敵。
お母様の名誉と、お父様の祖国を守るために……お父様と私は、家族を愛していない『振り』をする。