ラードウォーズ
彼女の体重が3桁であることについて何が一番嫌かと聞かれた場合、おれは劣等感が刺激されることだと答える。
おれとツレは一応両方働いている。しかしツレの方が給料が高い。それなのに周りは体重が三ケタの彼女を持ってて可愛そう、という目で見てくる。本当はツレのほうがはるかに凄いのに、おれを憐みの目で見てくる奴がいる。その誤解を解くために『おれは凄くない』と毎度強く主張するはめになり、劣等感が膨らんでいった。
おれの彼女――公文名葵は世間一般から見ると太っている分類だ。
世間一般から見ると、と言ったが、葵はおれから見ても、葵から見ても太っていた。
300kg超えた辺りはまだポジティブに考え、ふざけて体重記録更新パーティーなんかもした。
500kgを超えると流石にきついかなって思ったが、最近は介護ロボの性能も高かったので、事前に思ってたよりは楽だった。
1000kg超えたら、開いた口がふさがらなかった。
そして今は5000kgある。ちょっと移動するだけでも大変だった。
流石に四桁はないだろといったら葵は「5t何だし一ケタじゃん?」とか屁理屈コネ出して、喧嘩になったけど、体重が100倍近くある奴に拳を振るうことの無意味さはすぐにわかったし、口喧嘩じゃ葵には勝てなかった。だったら別れればいいじゃないかとも言われるが、おれだってきついけど、葵のことが嫌いになったわけじゃないので付き合いは続いてる。でも結婚するのかと聞かれると、実をいうとかなり迷っている。おれは意地になって付き合い続けてるんじゃないかって最近考えてて、そうなると結婚なんかしてもお互いによくないんじゃないか、すぐに別れることになるんじゃないか、そういう思いが頭の中をぐるぐるしてた。
『ねー、ちゃんと誕生日のこと考えてる?』と葵。
「あー考えてる。考えてる。この前欲しがってたバッグでいいか?」
『それこの前てゆーか、あたしの体重が2桁の時欲しがってた奴じゃん。あんなんかってどうすんの。コンテナの角にかけるつもり?』
「それは、あれだよ。あれあれ。アバターが持てばいいだろ」
『はー。もういい。というか別に誕プレいらない』
「え?ちょっ、どういうことだよ?」
『なんでもないって。別に急にいらなくなっただけだって』
「すまんって。ちゃんと考えるから」
『別に怒ってないって!ケンだってプレゼント買うの面倒だと思ってるからちょうどいいじゃん!』
葵はそういって通信を切った。
体重が1t以上ある人間がパートナーな奴は数自体はあまり多くないけど、ネットで探せばそこそこいて、その一人とおれは連絡を取り合っていた。
そいつが言うには嫁の体重が倍になるにつれて、倍ヒステリックになるらしいが、おれの彼女は主観ではそんなことはない。ただ、おれ自体は女心に詳しいわけじゃないからなのか、葵の体重が増えるごとに喧嘩の数は増えていってる気がした。このまま計算していけば、一年後には常時喧嘩をしていることになる。そうなったら別れる時なんだろうが、どうも実感がなく、おれは解決策も特に考えず、なあなあで日々を過ごしてるのだった。
◇ ◇ ◇
「はい、オーライ、オーライ」
駐車場からトラックが出てくる。おれは身振り手振りで誘導していた。
半自動運転だしあまり意味はないのだけど、念のためだ。
しかし駐車スペースを少し出たところで、トラックが止まってしまう。待っても反応がないので、おれは運転席に駆け寄った。
「どうした?何かトラブルか?」
すると窓から髪を金色に染めた、童顔の男が顔を出した。
こいつはゾク時代の舎弟で、権藤ヤスって名前だ。今はお互い足を洗い、真面目に働いていた。
「……先輩のスケの重さ。5113kgで間違ってないんすよね?」
「ああ、本人がそう言ってたからな」
「本当に間違ってないんすよね?」
「ちょっと不安になってきた……違う感じなのか?」
「別に10キロや20kg違うだけなら問題ないんだけど、300kg以上重いとちょっと事前に知らせてくれないと、運転の仕方が変わってくるんすよね。モニターにはちゃんと申告通りの重さで表示されてはいるんすけど……」
「確認してみる」
おれは荷台のコンテナに近寄り、携帯端末を開き、葵に繋いだ。
「葵ー。体重サバ読んでないよなー」
『何。疑ってんの?』
「まあ、そういうわけじゃないけどな。ただ、間違いがあって事故ったら危ないしな」
『そんなこと言って『またこのデブのくせに見得貼ってんな』とか思ってるんでしょ』
「思ってないって」
『思ってる』
「……そこまで言うんだったら、このままいくけど。いいんだな」
『いい』
おれは手を挙げて、運転手に合図を送ろうとしたが、端末から声が聞こえた。
『……6009kg』
「おま」おれは思わず声を荒げた「いつの間に1000kgも太ったんだ……」
『だからそういう反応が嫌だから言わなかったんじゃん!あたしのカレシのくせにそんなこともわかんないの?つーか約900kgだし!』
「カレシに見得貼るためだけにトラックのコンピューターハッキングしたのかよ」
『いいでしょそれぐらい』
よかねえよ。ヤスに説明するの多分おれなんだぞ。
「お前が運転手に事情を説明してくれるってのならいいけどさ」
『はあ?あんたツレに恥をかかせる気?』
「その言葉そっくりそのままお返ししたいんだが」
おれはやれやれと思いながら端末を切り、運転手にできる限り申し訳なさそうな顔を作って言った。
「いやーすまん。どうやら手違いがあったようで。6009kgだそうだ。そちらのモニターの数値が間違ってるのは……いやなんでだろーなー、故障だろうかねー」
「全部聞いてたっす」
おれは強くせき込んだ「いやいや、すまんすまん。葵もああ見えて反省してるようで……」
「もういいすよ、先を急ぎましょう」
「すまんな」
「あと、モニターはさっき回復して、葵さんの体重が出たんすけど」
「はい」
「6109kgだったっす」
「……すまん」
◇ ◇ ◇
上を見上げるとあらゆる方向からの巨大な帯が視界を覆い尽くしており空は見えない。何十層にも入り組んだ立体高速道路が、縦横無尽に走っていた。おれたちが乗っているトラックが走っているのもそんな道路のうちが一つ。
おれはそんな景色を、助手席からぼんやりと外を眺めていた。
おれの彼女は体重が6tある。そんなんだから当然地球の重力下では立っていられない。だからこうして介護用コンテナの中で生活していた。
かつて一部の親父たちが夢見た、腕や足を切断し機械の部品と取り換えるという時代はこなかった。その代わりというわけではないが、体を機械で覆って仕事や家事、介護の補助に使うことは一般化していた。介護コンテナはそうした技術の一つで、身体を支え切れなくなるぐらいでかくなった人間をコンテナの中で優しく包み込み、そしてほどよい運動、食事、排泄、快適な睡眠、そしてVRを利用した娯楽および仕事を与えてくれる。
葵が太ったのは高校生の頃の男に振られたストレスが原因だった。
手術して減らそうという話もあったが、ここまで増えると介護コンテナを買った方が安く済むので、今のところは問題を先送りにしていた。
よくある話だが、死なずにここまで体重が増えたのは、医療技術の進歩と参橋グループが製造している食品の、悪魔的な美味しさとカロリーが原因だろう。
「参橋グループと言えば最近妙な噂を聞いたんっすがね」
運転しながらヤスが話しかけてきた。
と言っても今は自動運転モードなので、ハンドルに手を乗せいているだけって感じだが。
「どんなだ?」
「なんでも参橋が人間の脂肪を誰彼構わず高額買い取ってるとか」
「人間の脂肪ってそんな簡単に手に入るもんなのか?」
「表向きは脂肪吸引で出したものを、医療機関から買い取ってるみたいなんすけど、なんでもそれに目を付けたゾクが太った奴を襲って、脂肪を吸引して参橋に売り渡してるみたいなんす。」
「……酷いな。参橋はそうとわかってて買い取っているのか?」
「だんまりっすね。実は裏では参橋が無理やり奪うことを推奨してるって噂もあるっす」
参橋グループは今や日本を裏で牛耳る大企業だ。政府や警察さえも口出しできない存在だった。
「しかしそうなると……」
「そうっすね。葵さんも危険かも。そのゾクはラードギャングって呼ばれてるっす。一応『命まではとらない』って嘯いてるっすけど、実際は麻酔なしで脂肪を吸い取った後はほったらかしで、『後で死ぬのは知らない』って感じっす」
「というか人間の脂肪なんて買い取って何に使うんだ?」
「なんでも燃料に使うとか……ラードギャングの単車の燃料も人間の脂肪を加工して作った物を使ってるらしいっす」
そんなことを話していると、突然車体が大きく揺れた。
シートベルトが強く絞められ、身体が前のめりになる。すぐに体勢を立て直し、あたりを見回した。
「何があった!?」
「右後輪損傷っす!あとなんか単車に囲まれてるっす!」
外を見ると確かに旧時代のデザインの単車に乗った集団に走りながら囲まれていた。全身の装備を黒で固めており、手にはショットガンを持っていた。バイクの後ろには大きめのタンクのようなものが付いており、『脂』というのぼりを掲げはためかせている。そして後ろから荷台のないトラックがついてきていた。
「おいおい、まさかあれがラードギャングとか言うんじゃないだろうな!」
「そのまさかっす!聞いてた外見と一致してるっす!」
「タイミング良すぎだろう……」
ラードギャングのリーダーと思われる男が拡声器を取り出した。
『えー、お前らは既に囲まれている。痛い目にあいたくなかったらおとなしく荷物をよこしてもらおうか』
あいつら人の女を物扱いしやがって……許さねえ。
「でも先輩もけっこう葵さんのこと物扱いしてること多いっすよね」
『そうなの!ちょっとケンどういうこと!』
端末から葵の声が聞こえてきた。
「いや年中コンテナに入ってると物扱いしてしまうときもあるっていうか」
『サイテー』
「最低っすよ先輩」
「ヤスてめえ……」
『……警告はした。これより武力行使に入らせてもらう』
そうこうしてるうちにラードギャングが動き出した。何が武力行使に移らせてもらう、だ。最初から武力行使じゃねえか。
だが心配ない。この治安の悪い今の世の中、こういういざという時のための対策はとってある。
「おい、葵、ヤス。防衛モードに切り替えるぞ」
「了解っす」
『……うんわかった』
端末を操作し、防衛モードを実行した。これで周りの奴らを蹴散らしてくれるだろう。
しかし反応がない。
「おい!」おれは焦りながらも再度実行した。しかし結果は同じだった「どういうことだよ!」
『わからない、こっちからもやってるけど、反応がない……』
「ちょっ、まじでやばいっすよこれ!」
破裂音と共に運転席の防弾ガラスにひびが入った。
そしてさらに大きく車が揺れた。おそらく前輪もパンクさせられたのだろう。
次の瞬間目の前に壁があった。制御不能になったトラックは高速道路の壁にぶつかる……とか思っている暇もなく、大きな衝撃が車内を襲った。エアバックによって視界を埋められる。
何かを投げ込まれた音とスプレー音が強くしたと思ったが、すぐにおれは意識を失った。
◇ ◇ ◇
目が覚めると二日酔いどころじゃない頭痛がした。
肺を裏返して、水洗いをしたい……白い煙が車内で舞っており、隣ではヤスがハンドルに突っ伏していた。
恐らく催涙ガスが使われたようだ。おれは袖を口元に当てた。
「葵は……?」
後ろを向いたが、コンテナはすでに無かった。どうやらラードギャング達に連れ去られたようだ。
くそったれ、とフレームにあたりながら、ヤスを担いで車外に出る。
運転席が潰れなかったのは、近年の安全車技術の進歩のたまものだろう。
幸いにもほかの自動車を巻き込んだりはしなかったようだ。パトカーや消防車がまだ来ていないことを考えると、気を失っていた時間は思ったより短いのかもしれない。
「ポリ公が来る前にとんずらしねえと……」
ラードギャングのバックには参橋グループが付いているという噂だ。なら警察も当てにならないんじゃないだろうか。あることないことでっち上げられて、こっちが逮捕されるっていう可能性もある。
おれは行きかうクルマを眺めた。その中の、遠くからやってくる自動運転の無人車に目星をつけ、その進路先に自分の体を移動させた。
急ブレーキを立てながら、無人車はおれを轢くギリギリのところで止まった。
『ここは、高速道路上です。注意してください』
車から警告音声が流れた。はいはい、と返事をしながらポケットから端末を取り出し、葵に作ってもらった簡易クラッキングアプリケーションを作動した。
『所有者を書き換えます。お乗りくださいマイマスター』
「おう」
おれは乗っ取った無人車にヤスと一緒に乗り込みその場を後にした。
彼女がさらわれたというのに、おれの頭は冷えきっていた。取り戻す手立てもないのにだ。
それでもおれはゾク時代の習性というか経験から怒りが度を過ぎると、冷静になるという体質があった。
とりあえずは体勢を立て直さなくては。
乗っ取ったのは専属送迎用の自動タクシーらしい。おれは高速を出ると、タクシー代だけを払い、所有者登録を元の人物に戻した。その後ちゃんとした自動タクシーに乗り換え、隠家に向かう。
「……ここは?」
ヤスが目を覚ましたようだ。素人判断だが、病院へ行く必要はなさそうだった。
あまりおれ自身も状況を把握してるわけではなかったが、それでもわかることとだけを話した。
「……っすみません……。俺が付いていながら……」
「おれが駄目だったのにお前ができることなんてねえよ。それともなんだ?お前の方がおれよりはるかにすごいってか?」
「……いや、そういうわけじゃねえっすけど……」
おれは冗談だと乾いた笑いを発した。
隠家についたのは既に日が暮れたからだった。
山奥のプレハブ小屋だった。入った瞬間埃臭さでむせそうになった。
中には必要最低限の生活必需品だけが並んでいた。
「なつかしいな」
おれは埃まみれの写真立を見て言った。
そこにはおれと体重が二桁だったころの葵がニケツしている姿が映っていた。
かつてのおれは暴走族慈江異絵屡露夷の総長を務めており、葵はレディースの獲棲派列記亥の総長だった。そして紆余曲折あり今は愛し合ううことになった。
やがておれたちは今までやってきたことに疑問を持ち、社会に出ようとした。葵はプログラマーとして上手くやっているが、おれは就職に失敗し日雇いの派遣で日々を生き抜いていた。
地面に屈みこみ、そこにあった取っ手をつかんだ。両手で支え持ち上げる。地面にある隠し扉が開き、地下への階段が現れた。ゾク時代に使っていた武器庫だった。
「殴りこみに行くんすね……」
ヤスが小屋の入口の前で立っていた。薄暗いランプが風により揺れていた。
「ああ、警察に頼もうにもあてにならないみたいだしな。まあ、そのことはゾク時代に悪さをしすぎたツケが回ってきたと諦めるさ」
「でも勝てるわけねえっすよ!相手にはバックに参橋グループがついてるってのに!行ってどうなるんすか……!?それにせっかくカタギになれたのに、また逆戻りなんすか……!?」
「おれはな、確かに改心したつもりになってた。だが今回息をするように自動タクシーを乗っ取って、思ったんだよ。結局のところおれは悪人でしかない。世の中に溶け込むことも満足にできないってな」
「それは緊急で仕方なかったから……」
「そんな言い訳は通用しない。おれは結局のところこういう生き方しかできないみたいだな」
「……」
階段を下り、武器を確認する。拳銃はあるがメンテナンスをしてないので使えそうにない。ほかには角材。特殊警棒。チェーン。釘バット。あとは単車が一台。
それに……。
「お!これはよさそうだ。確か外に軽トラが隠してあったから、それで運べば……」
「俺……結婚するんすよ」
黙っていたヤスが突然口を開いた。
おれは振り返り「おめでとう」と言った。
ヤスは歯を食いしばり、目を強く絞めている。「だから、カミさんに迷惑かけるわけにはいかないんすよ……これからガキも生まれるかもしんないんだし……」
「おー、幸せにな。早く帰って顔見せてやれ」
「すいませんっ……!」
ヤスは強く頭を下げ、その場を後にした。
おれみたいになるなよと、ヤスに聞こえないような小さな声で闇に向かって呟いた。
◇ ◇ ◇
ゾク時代の知り合いの探偵に聞いたところ、この県内に参橋グループ所有の大型倉庫があり、ラードギャングがそこに集まってきているようだった。葵がその倉庫に囚われているのはほぼ間違いないとのことだ。
おれは軽トラの荷台に乗り、自動運転で走らせ、工業地帯を進んだ。ロボットによる24時間体制で動いている場所だが、騒音対策がしっかりされており、意外にも静かだった。もう20時だというのに工場の明かりのせいで、真昼のようにも見えた。不夜城じみた地帯を抜けると、あたりが一気に暗くなる。
視界に巨大で平な闇が現れた。水平線まで広がる海だ。倉庫は港にあるはずだった。吹きすさぶ潮風が肌を湿らせた。
海沿いに道を走っていると、やがて前方に光の群れが現れる。星ではない。街の明かりでもない。
いくつもの連なるエンジン音。ヘッドライトの群れがあった。
逆光で相手達の顔は見えない。しかしラードギャングで間違いないだろう。
おれは端末を口に当てた。
『おれは慈江異絵屡露夷元総長!着抜ケンだ!おれはお前らのヘッドに一対一で決闘を申し込む!』
おれの言葉に、ラードギャングは笑いだす奴と動揺する奴に分かれた。
「慈江異絵屡露夷の着抜ケンだと……」「あの『大熊猫殺し』か……!」「『恕棲吐の王』……!」「『コンテナファッカー』……!」「はっ!わざわざ一対一でやる必要なんてどこにもねえよ!」「当たり前だ!」
流石にそこまで甘くはないか……。駄目もとで言ってみたが仕方ない。武器に手を伸ばしたその時、集団の向うから声がした。
「待ちな!」
群れが左右に分かれ、一台の単車に乗った大柄な男が進み出た。
「おれがこの磁餌威團舞孫のヘッド!桑飼一郎だ!その決闘受けて立とうじゃねえか!」
桑飼と名乗った男を止めようとする通信が行きかった。しかし男は聞く耳を持たなかった。
「いいのか」おれは単車を軽トラから下した。「こんなのに乗るなんてよ」
「はっ、どうせ俺たちは時代に取り残された、ごっこ遊びしかできねえガキどもよ」
そうだ。結局のところおれたちは大人になれずもがいてるだけだった。
軌道エレベーターが立ち、全自動車が道を行きかう時代になっても、エンジンを積んだ単車を暴走させ、通信機があるのに拡声器で呼びかける。ごっこ遊びでしかなかった。
巻き込まれた人にとっちゃあたまったもんじゃないがな。
おれは単車に乗り、2メートルほどの角材を肩に担いだ。
「おう、勝負内容はお前の得意な恕棲吐でいいぞ」
懐かしいな。ただ長いことやっていないので腕は鈍っているだろう。
そんなことを考えていると通信から話し声が聞こえてきた。
『アニキ……恕棲吐ってなんなんですか?』
『恕棲吐ってのは一時期流行った決闘だ。お互い単車で距離をとって向かい合い長めの角材を担ぎ、同時に自動運転で走らせる。そしてすれ違いざま相手を長めの角材で突くなりブッ叩くなりするってのだ。勝負は一回。これをやって何人も死者が出た』
『それって……ここでヘッドに死なれるのはまずいですよ!』
「当然!」桑飼は通信に気を取られているおれを咎めるように大声を出した「ノーヘルでやるよな」
こういう危険な奴ほど偉いみたいなのは卒業したつもりだった。だがここでへそを曲げられて一対一の決闘をやめられては元も子もない。それに心なしか気分が高揚していた。
おれはパフォーマンスの一環として、ヘルメットを地面に置き、角材でつぶした。
「へへ、そうこなくちゃな」
桑飼がうれしそうに笑った。おれもつい釣られて笑う。
距離は長めにとって、お互いの間を100メートルとした。犬の唸り声のようなエンジン音で威嚇し合う。
『通信じゃラグが出る可能性がある。真ん中でチャカを上に向けて撃つ奴を配置する』
『オーケー』
港に設置されたライトのおかげで100メートル先の桑飼の様子がわかった。
長さの違う角材を二本担いで、単車にまたがっていた。
「二刀流か……」
この決闘方法において二刀流の意味は確かにある。片方を防御に使い片方を攻撃に使う、または片方をフェイントに使うといった戦法があるが、どちらも命知らずが美徳とされている暴走族の間では邪道とされていた。少なくともこの少しの会話でわかった桑飼の性格にはあってないように思えた。
そんなことを思ってる間もなく、審判が拳銃を空に向けた。
気を入れなおしエンジンをふかす。
3、2、1
「GO!」
発砲音と共に、おれは全力で加速し前に出る。
――次の瞬間担いでいた角材が突然爆ぜた。
「は?」
爆ぜた木片が片目に入る。
何が起きた?
混乱する間もなく、単車は前に進む。前方には角材を一本担いだ桑飼が向ってくる。
一本?ということは、桑飼はこちらに角材を一本投擲したということか?しかしこちらの角材が爆ぜるほどの力。
――人間業ではない。
0.2秒が経過し、ようやく相手がパワードスーツを着こんでいることに思い至った。
成程、それならばこの投擲力に合点が付く。おれが現役の時は、パワードスーツはもっと大掛かりなものだったので、恕棲吐に使われるということを想定していなかった。
だが種がわかれば怖いものではない。おれは折れた角材を握りなおし、シートの上に膝を曲げたまま両足を付けた。
『蚤の高跳び』
単車から飛び上がり、相手に角材を叩きつける戦法。
着地を考えずに行うことから、その姿があるで蚤のようだと葵が言ったことから広まった。
おれが現役時代使っていた戦法だ。これで相手と自分問わず、幾本もの骨を折ってきた。
本来はだまし討ちのようなもので、相手が俺のことを知っている奴なら使うべきではない。大きく距離を取られれば、地面に激突し敗北が決定する。
しかし、桑飼は逆に距離を詰めてくる。
桑飼が蠅叩きを振るうかのように、上段から角材を振り下ろしてきたが、おれの単車AIが最小限の動きで攻撃をかわす。サーフィンの容量で懐に潜りこむ。
おれは飛び上がらずに、折れた木材の尖った部分を単車の速度を生かして桑飼の眼球をめがけて突き刺した。
顔は生身だったようで柔らかい手ごたえが手に伝わった。
◇ ◇ ◇
0.1秒だけ気を失っていた。
決闘中であったことを思い出し急いで体勢を立て直す。
目の前には倒れた単車があった。おそらくあの後おれは地面に激突したのだろう。
気絶する前の、桑飼の目を貫いた感覚を思い出し、奴が倒れているであろう方向に目を向けた。
死んでいる。
一目でそれがわかった。偶然にも突き刺した角材が上を向いており、死体に墓標が生えているようだった。
異様なのは周りの奴らだった。
ここにいるおれ以外の生きた人間全員が、胡坐をかいて目を硬く瞑り黙り込んでいた。
港を照らすライトの下で行われているそれは、何らかの宗教儀式のようにも見えた。
一対一の勝負で負けたから、不干渉を貫いている。そう解釈はできる。そのことを少しでも期待していなかったと言えば嘘になる。だがそこまで甘くはないという可能性が高いと踏んでいた。ヘッドを殺された下っ端たちが逆上して襲い掛かってくる可能性の方が高いと思っていた。頭を先に潰し統制力を下げる、それがこの決闘の主な目的だった。
それがなんだ? 善良な肥満体系の人から、無理やり脂肪を奪い去っておいて今更『義』を持っているふりをする。
いや、おれはその理由がわかってるはずだ。見せかけであろうと歪であろうと『義』を持っているふりをする。今のおれもそうだった。
参橋グループは悪名高い噂が付きまとっているが、日本の産業の大部分を担っているために、皆に必要とされている。そんな大企業におれは殴り込みにいくのだ。おかしいとは思っていても、おれは頭があまりよくないので他の方法を知らなかった。怒りで冷静になっても所詮この程度だ。無駄に色々考えてしまうだけで、最善の策なんて取らない。どうせ考えるのが無駄ならと考えるのを途中でやめ、拳で解決してきた。そしてわかりやすい感情的な『義』っぽいものに縋った。間違っていても、すがるしかなかった。
つまりこいつらもそこで死んでいる桑飼も『正々堂々とした決闘』という偽りの義に縋り、おれはっ惚れた女を助けに行くという偽りの義に縋っている。おそらくこいつらが参橋の犬をやっているのも何らかの『義』の下こうどうしているのだろう。知らないが。知らないし知りたくもなかった。
ああ、ほらこれだ。無駄なことを考えてしまう。だから嫌なんだ考えるのは。どうせこんなのは結論は出ない。こいつらがどういうスタンスだろうが関係がない。おれは葵を助ければいい。
だがおれは、座っているうちの一人を殴り飛ばした。
「なにすんだよ!」
「うるせえ!」
おれは叫びながら殴り飛ばした奴に背を向けて軽トラに向かう。
「なんだよ!まだやるんじゃねえのかよ!」殴られた奴は言った。
「はあ!?決闘に勝ったら通す約束だろダボが!」
「じゃあ何で殴ったんだよ!」
「うるせえ!死ね!」
おれは荷台に乗り、軽トラのクラクションを鳴らしながら発進させる。意味わかんねえと呟いた声が後ろから聞こえた気がした。
倉庫までは数百メートル。
そのままつっきれるだろう。
端末に口を当てた。
「介護用パワードスーツ起動!」
荷台に置いてあった鎧が開いた。おれは腕を広げ、その中に入る。
これは葵が一tぐらいだった時におれが使っていたパワードスーツだった。介護用だが、被介護者が暴れた時にも使うという用途があるため、戦闘用に使えなくもない。港に集まっている車をよけながら、全力で突き進んだ。
幾百ものコンテナが並べられていた。この中から見つけるのはかなり骨が折れそうだ。
「そこの軽トラック!止まりなさい!」
後ろを見ると、装甲警備員が数人、全力で手足を振り、追いかけてきていた。一人がショットガンを発砲したが、介護用パワードスーツの表面が弾をはじいた。だが、このままでは追いつかれる。
軽トラを高速でUターンする。タイヤを鳴らしながら、装甲警備員に突っ込ませた。
装甲警備員が肩を組みそれを止める。金属音が港に鳴り響いく。おれは荷台から運転席と装甲警備員の上部を飛び越した。地面で受け身をとりながらそのまま走っていく。端末を起動し軽トラを自爆させた。爆音と爆風を背におれは加速した。
爆発音を聞きつけて他の警備員が集まってきた。
『被介護者制圧用テーザーガン起動!』
パワードスーツを着ていない警備員をめがけ、改造テーザーガンの針が雨のように降り注いだ。警備員達は電撃により痙攣しその場にうずくまった。
そんな非装甲警備員をしり目に装甲警備員は突っ込んできた。
「おらあ!」
その場にあった5メートルくらいの鉄骨を振り回す。一部の警備員は距離をとったが二人ほど逃げ遅れ吹き飛ばされた。
やはりこちらの方が性能が高い。肥満大国アメリカ製は伊達じゃない。
装甲警備兵たちは怯んでいる。
薄いところを狙いおれは駆けだす。
だが群れを抜けたと思った次の瞬間おれは吹っ飛ばされた。コンテナの一つにぶつかり一つ一つが10メートルあるそれらが低く大きな音を響かせながらあたりに散らばる。
頭を上げる。
巨大な蜘蛛のような機械がこちらを睨んでいた。口にあたる部分が二本の爪のようで それが何か思い当たる。
多脚フォークリフトだ。
そいつは追撃をかけるようにつっこんできた。脚部分にローラーが付いているようで蜘蛛と言うよりは、アメンボを思わせる動きだった。
おれは両手を広げて受け止めようとする。
「うぐっ」
本来荷物を持ち上げるはずの爪部分が介護用パワードスーツを貫通した。リフトが尋常じゃない速さで急上昇しおれは空に打ち上げられた。上昇速度も積載量も高さも基準値以上だ。おそらく違法フォークリフトだろう。そんなことを考えている間もなくおれは地面に激突した。
痛みが全身に走る。
パワードスーツは振動により衝撃を受け流せるが落下ダメージは例外だった。肋骨が何本か折れた様だった。
強い。
一t程度なら楽々持ち上げられる介護用パワードスーツが、あちらこちらで軋みを上げていた。
やはり介護用品で企業相手に立ち向かうのは無謀だったのか。
おれの絶望を駆り立てるかのように二台三台と多脚フォークリフトやアーマードフォークリフトが集まってきた。
だが――ここで負けるわけにはいかない。
「こらーッ!何をしているかーッ!」
多脚フォークリフトの一つにおっさんが怒鳴っているのが見えた。少しだけ地位が高そうなおっさんだ。
「貴様!フォークリフトで人を轢くとは何事だ!何年この仕事をやっている!」
「いやでも、相手も介護用の道具使ってますよ」
「倉庫内に侵入した犯罪者を指して『あいつもやってるから俺もいいでしょ』だと!?小学生からやり直して来い!クズの真似なんかしなくていいんだよ!あんなのは警備兵に任せて仕事に戻るぞ!」
「はーい」
フォークリフトの群れはいなくなった。
入れ替わるように装甲警備兵が集まってくる。
さっきとは比べようのない数で辺り一帯を囲まれていた。
おれは拳を構え全力で走り出した。
「上等だ!」
◇ ◇ ◇
どれぐらいの時間がたっただろうか。どれぐらい戦っただろうか。どれぐらい壊しただろうか。
日はまだ上っていない。
介護用パワードスーツの装甲はほとんどはがれた。肋骨は何本残っているだろうか。腕の骨が折れた。片目が潰れもう一つの目にも血が入り前が良く見えない。
あたり一面に残骸が散らばり、その隙間から手などが覗いていた。一応殺してはいないつもりだった。
そしてようやく、
ようやく葵の入ったコンテナを見つけた。
おれはコンテナに手をつく。外付けの端末に話しかけた。
「葵、おれだ。ケンだ。迎えに来た。すぐに装甲警備兵が来る。帰ろう。帰って、飯食って寝よう」
返事はまだない。おれはその場に座り込んだ。
電子タバコを口にくわえた。海の方向を見ると、ぼんやりと空が明るくなりかかっていた。
『何で来たの……?』
葵の声だった。端末を通しているが、もしかしたらもう二度と聞けないかもしれないと思っていた葵の声だった。数時間聞いてないだけなのに、懐かしくて涙が出そうだった。
「なんでってそりゃあ……」
『馬鹿じゃないの……?参橋にけんか売るなんて……仮にここから逃げられたとしても、ただじゃすまない』
「……」
『それにあたし、死のうと思ってたのに……』
「なにっ」聞きづてならない言葉だった。「なんでだよ!」
『ケンだってあたしにどうせ死んでほしいと思ってたんでしょ!こんなぶくぶく太って、わがままばっかいう女!』
「思ってねえよ!何言ってんだよ!思うわけねえだろ!」
『ううん。きっと思っている。そういうのわかる。何年カノジョやってきたと思ってるの』
「節穴め……」
『だから』
コンテナが大きく揺れた。泣いているのだろうか。
『……もう一度だけニケツしたかった。それは無理なのはわかってる。だからせめて無理やり脂肪をとられて死んだ後でも、何とか形を縫い合わせて、ケンにあたしの死体を背中に乗せてニケツしてほしかった。だからあたしはあの時防衛モードを起動しなかった。今ならラードギャングがあたしの夢をかなえてくれるって思ったの……』
「こええよ。そんなことおれがするわけがねえだろ」
『なんで!?最後のお願いなんだよ!?なんで死なせてくれないの!?』
「……お前の気持ちはわかった。ただ、最後と言うのならば、おれの願いも聞いてくれよ」
『何?』
「お前も」蒸気が喉に染みてせき込む。血を吐き出した「お前もまた劣等感を感じているのはわかった。だがおれもお前に劣等感を感じていたんだ。ゾクをやめてお前はちゃんと仕事してるけど、おれの日雇いの仕事もしょっちゅう失敗ばかり。おれは……お前を尊敬してた。喧嘩しかとりえのないおれと違って、葵は取り柄がいっぱいある。おれもまたこのカチコミで死のうと思ってたのかもしれない。だが途中で気が付いた。ここで死ぬのは見せかけの『義』でしかない。だがそれを」
『……』
「ちゃんとした『愛』に変えたかった。愛してる。ゾク時代は何度も言ったかもしれない。年を取るほど気恥ずかしくて言えなくなった。根っこの部分はガキなのに、自尊心ばかり大きくなりやがる。おれはガキだよ。実をいうとこの戦いの途中でヤスが昔の族仲間を集めて助けに来るっていうのを期待してた。だがあいつはこない。あいつは大人になって家族を作った。おれはガキのままだった。こんなごっこ遊びみたいな世界で生きているおれが愛してるというのは、薄っぺらいかもしれない。それをいつしか分厚い愛に変えたいと思ってる。その一歩として、これを見てくれ。誕生日プレゼント……にはならないかもしれないが」
おれはコンテナについたカメラにそれを近づけた。
『これは……』
「大型自動車免許だ。仕事で失敗ばかりしてるおれでもなんとか取れたんだ。お前のためだと思ったら頑張れた。おれがトラックを運転して、葵が入ったコンテナに引っ張る。これってニケツじゃないだろうか。いや……何言ってんだろうおれ……ニケツじゃないな……いや、なんだろう、すまん。上手く言えない……でも葵、死なないでくれよ……」
涙があふれ出てきた。
何を言ってるんだおれは。何とか説得しようとしたが、上手いこと言おうとして滑っている。
結局感情の赴くまま喋っても、考えながらしゃべっても大したことは言えない。
するとコンテナがまた大きく揺れ出した。
「葵、泣いてるのか?」
『笑ってるのよ……トラックで運んでニケツって何それ。爆笑なんだけど』
「すまん……」
『散々笑ったから、もういいよ。死にたくなくなった』
「本当か!」
『じゃあ帰ろっか』
「ああ帰ろう。おれたちの家に」
『あれやろっか』
「ああ」
おれはコンテナについたマイクに口を近づけた。
「介護用コンテナ防衛モード」『起動』
コンテナが大きく振動し、地響きを立て始めた。巨大な直方体が、中の葵をつぶさないように組変わっていく。やがてそれは太めの人型になり、凸凹の鎧を着た巨人にも見えた。
巨人がおれを優しくつかみ、肩に乗せた。
介護用コンテナ防衛モードが走る。一歩歩くごとに地面が大きく揺れた。
港に重ねられたコンテナを押しのけ、警備兵を蹴散らしていく。誰もおれらを止めることはできない。
「これもまたニケツなのかな」
『ないない』
「そういえば何で参橋は脂肪を集めてたんだ?」
『参橋グループは宇宙から来た脂肪生命体に裏で操られてるの。参橋食品の脂肪は脂肪生命体の卵で、人間の体内で熟成され、外気に触れると自我を持ち始める。脂肪生命体は人類を乗っ取ろうとしている』
「よくわからんな」
『あたしたちにはあまり関係ないしね』
「襲ってくるなら関係ないってことはないが、まあいいや」
確かにおれたちは何があろうと二人で生きていくだけだ。
朝日が水平線から昇ろうとしていた。港を朝日が赤く染め上げていく。血と日の光が目に染みる。
おれたちは生きる。