ユキヒョウとゆきんこ
雪が深く降り積もる山に、雪のように真っ白なユキヒョウが住んでいました。山は厳しい寒さで、短い夏以外は一年中雪が降り続いていますが、ひとりで過ごすことが好きなユキヒョウには、とても都合の良い場所でした。
ある日、ユキヒョウがいつものように岩穴で横になっていると、風がピューっと吹き込んで、雪を運んできました。するとまもなくして可憐な歌声が岩穴に響きます。
「チラチラチラ 雪は降る
舞い降りていく 私は幸せ
ゆきんこは 風に吹かれて
あなたの元へと 降り立つよ」
ユキヒョウはうんざりしたように目を開けました。この静かな雪山で唯一ユキヒョウを悩ませているのは、雪の精霊である『ゆきんこ』の歌声でした。ユキヒョウの背中には、いつの間にか小さなゆきんこが、ちょこんと座って歌っています。
「あーうるさい。俺はひとりが好きなんだ。他でやってくれ」
ユキヒョウはゆきんこを息で吹き飛ばそうとしましたが、背中の毛にしっかりとしがみついて離れません。
「お前さんがそのつもりなら、お前さんを舐めて溶かしてしまうぞ」
ユキヒョウは熱くてざらざらとした舌で口のまわりをベロリと舐めました。しかしゆきんこは脅しに負けまいと、小さな身体から大きな声をあげます。
「私、ここがとても気に入ったの! だから絶対にここを離れないわ」
困ったユキヒョウは背中に手を伸ばしますが、あとちょっとのところで手が届きません。
「おいおい、そうやって雪解けまで張り付いているつもりかい?」
「私と遊んでくれないならそうするわ!」
「まったく、なんて強情な子なんだろうね」
ユキヒョウは渋々ゆきんこに付き合うことにしました。すると、ゆきんこは嬉しそうにユキヒョウの背中を飛び回ります。
「遊ぶと決まれば岩穴になんて閉じこもっていられないわ! さぁ行きましょう」
「外に出たって何もないさ。俺はここから出ないぞ」
「そう、それなら私はずっと歌っているわ。歌も遊びのひとつよ」
ゆきんこはまた楽しそうに歌いだします。
「わかった、わかったから歌うのはやめてくれ」
こんな狭い岩穴で歌われるなんてかないません。ユキヒョウはしょうがなく、ゆきんこを背中に乗せて岩穴を出ました。外では休むことなく、雪が降り続いています。
ふたりの進む道は、どこまでも真っ白で、いくら歩いても同じような景色でした。ユキヒョウは山の中で立ち止まり、ゆきんこに話しかけます。
「さあ、どうするんだい?」
その問いにゆきんこは目をキラキラと輝かせて、あたりを見渡しました。
「ねぇ! この白樺さんたち、踊っているわ! 一緒に踊りましょう!」
ゆきんこが指さした先には、枝に雪の積もった白樺が立ち並んでいました。よく見れば風に揺られながら、手を伸ばして踊っているようにも見えます。ゆきんこは木のまわりを踊り始めました。そして、その姿があまりに楽し気なので、ユキヒョウもなんだか心がワクワクして、楽しい気分になったのでした。
それからというもの、ふたりは毎日一緒です。氷の上を滑ったり、熊の冬眠を覗いたり、ふたりの笑いは絶えません。それでも時折、ユキヒョウは、ゆきんこが溶けて消えてしまうことが怖くて仕方がなくなりました。
「俺はお前さんが消えてしまうことが怖くてしょうがないんだ」
ある時、ユキヒョウがぽろりとこぼしました。するとゆきんこは笑いながら答えます。
「ユキヒョウさん、怖がらないで。私が消えてもユキヒョウさんは今よりもっと幸せになれるんだよ」
しかし、ユキヒョウにはその言葉の意味が理解できません。大切なひとがいなくなることは、幸せとは反対の悲しいことだと知っていたのです。
ふたりで過ごす長い冬はあっという間に過ぎていきました。太陽が出ている時間も長くなり、山の雪は少しずつ溶けていきます。ユキヒョウはまだ寒さが厳しい夜の間に、ゆきんこを誘って、散歩に出かけました。
ゆきんこが空を見上げると、木の間からは星空がのぞいています。
「わぁ! お星さまだ!」
ゆきんこは星に向かって大きく手を広げ目を輝かせました。それはゆきんこが、最後に見る星かもしれません。ふたりには残された時間があとわずかしかないことが、分かっていました。山に短い夏がやってくるのです。
「もっと星の近くに行こう」
ユキヒョウはそう言うと、山の頂上に向かって歩き出しました。
山の頂上では、背の高い木々に邪魔されることもなく、空いっぱいに星がキラキラと輝いています。空を見上げるふたりの上では、星の子が競い合うように青い尾を引いて流れていました。
「星の子は何万年、何億年と生きるっていうけど、神様はなぜゆきんこにも、もっと長い命をくれなかったんだろう」
ユキヒョウは寂しそうに言いました。
「私はそんな長い命いらない。ユキヒョウさんとこうして過ごせただけで十分よ」
ゆきんこの言葉にユキヒョウは悲しくなりました。自分だけが寂しく思っていることが切なかったのです。
「お前さんが消えてしまえば、俺はまたひとり残されるんだ。こんな思いをするならずっとひとりの方が良かったよ」
ユキヒョウはそっぽを向いて言いましたが、心の中ではふたりでいる時間を大切に噛みしめていたのでした。
次の日、照りつける暖かな日差しは、とうとうふたりの住む岩穴のまわりの雪を溶かし始めました。
「山の北側に万年雪があったはずだ! そこに行こう」
ユキヒョウは焦り、すぐにでも出かけようとしましたが、ゆきんこは首を横に振りました。
「いいえ、私はお空に帰らなきゃ」
ゆきんこは、小さな身体をいっぱいに使って、ユキヒョウの胸に飛び込みました。ユキヒョウの胸は背中よりも温かくふわふわとしています。
「とってもあたたかい」
ゆきんこは気持ちよさそうに微笑んでいましたが、その温かさはゆきんこの身体を少しずつ溶かしていきます。小さくなっていくゆきんこにユキヒョウはたまらずに泣いてしまいました。
「離しておくれよ。溶けてしまうよ」
それでもゆきんこはぎゅっと抱きついて放しません。
「いいえ、私は離れない!」
「出会った時といい、お前さんはどうしてそう頑固なんだい?」
ユキヒョウは呆れながらも、出会った時を懐かしく思い出して、泣き笑いをしました。
「私が頑固者なのはしょうがないわ! だって私のパパもとても頑固者なのよ」
「パパだって?」
ユキヒョウが不思議そうに聞きます。
「私のパパはユキヒョウさんよ。私はユキヒョウさんの涙から生まれたのよ」
ユキヒョウはそれを聞いて驚きました。ユキヒョウは以前にも、一回だけ泣いたことがあります。それはユキヒョウの奥さんが死んでしまった日のことでした。
「ママがお空に帰った日、ママのパパを想う気持ちが一粒の涙に命を吹き込んだの。そして涙は凍り、私はゆきんこになったのよ。お空の上でママはずっとパパを心配しているわ」
ユキヒョウの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちました。
「彼女が俺を?」
「ふふ、ママが言っていた通り、パパはとても強がりで寂しがりやだったわ。でもそんなパパが私もママも大好きなのよ」
ゆきんこは今にも消えてしまいそうな身体で、ふわふわの毛に頬ずりをしました。するとユキヒョウはそれに応えるように、大きな腕でそっとゆきんこを包み込みます。
「そうか、俺はひとりなんかじゃないんだね」
ふたりがくれた温かい気持ちはユキヒョウの孤独を溶かしていきます。
「俺はもう大丈夫。これからは、誰もいない岩穴に逃げたりなんかしないよ。ママにもそう伝えてくれるかい?」
ゆきんこはユキヒョウの腕の中で嬉しそうに頷きました。
そして次の瞬間、その姿は小さな雪の結晶となり、空へと吸い込まれていきました。ユキヒョウの瞳にもう涙はありません。
澄み切った青い空に、ゆきんこの楽し気な歌が聞こえてきます。
「キラキラキラ 雪は帰る
あなたに会えた 私は幸せ
またいつか 雪が降るとき
あなたの心へ降り立つよ」
その歌はユキヒョウの心に心地よく、いつまでも響いていました。
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