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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

キャットロスト

作者: 青い鴉

 二挺拳銃からばら撒かれた銃弾がドブネズミたちの額に次々と着弾し、その頭蓋骨を貫通した。血と脳漿が飛び散り、壁には汚染された体液が染みになって模様を描いていく。ただの下水道の、ただのありふれた殺戮現場。そこには、全身を黒いラバースーツで包んだ銃使いが居た。ネズミと呼ばれる恐るべき害獣が蔓延る都市で、疫病の媒介者であるドブネズミ狩りを営む底辺市民、苦情九蘭くじょうくらん。つまりそいつは――俺のことだ。


 その日は狩りの最中に、俺は不思議なものを見た。フリルのついたスカートを穿いた少女だ。しかも対ドブネズミ用のラバースーツを着ていない。ドブネズミの持つ毒は傷口から容易く進入して対象を死に至らしめる。危険だ。俺は弾丸をドブネズミどもに叩き込みながら、その少女に近づいていく。幸い、まだドブネズミに噛まれたりはしていないようだった。

 

「おい、女の子がこんなところに来るな。人間は下水道に降りてきちゃいけねーんだぜ」


 だが、まず少女は疑問を口に出した。


「この世界に、猫はいるの?」

「いるわけねーだろ!」


 まったく馬鹿げた問いだ。この世界に猫は居ない。そんなものは古い御伽噺の中の伝説に過ぎない。だからドブネズミを狩る者が必要なのだ。この俺のような底辺市民が、無限に沸き続けるドブネズミを駆除し続けなければ、地上の都市は瞬く間に疫病で滅びるだろう。


「ネズミ、邪魔なんでしょ。おとなしくさせてあげる」


 少女は背中から巨大な鍵盤を取り出した。その鍵盤を叩くと、不思議な音楽が流れ出す。気付くと攻撃的な赤い目をしていたドブネズミたちは、皆黒い普通の目に戻り、すやすやと寝息を立てていた。

 

「お前、一体何をしたんだ? 攻撃態勢になったドブネズミを眠らせるなんて、そんなことできるわけが……お前魔法使いか? 名前は?」

「私は塩素。お望みなら、音楽を変えて溺れ死にさせることもできるけど?」


 ちょ、ちょっと待て。こりゃチャンスだぞ。この少女――塩素――はドブネズミを大量死させることができるだけの能力を持っているという。これを俺の手柄にすれば、一攫千金も夢じゃない。


「ドブネズミを溺死させるのはひとまず後回しだ。俺は今から、お前と貴族の館に行って、ここら一帯を治める貴族にドブネズミを一掃する方法があると伝える。そのあと、ドブネズミを溺死させて賞金をがっぽりもらう。金は山分けだ。どうだ?」

「私は構わないけれど」

「じゃあ、交渉成立だな。よろしく塩素」


 俺が差し出した手を、塩素はそっと握り返した。

 俺は、塩素を俺の寝床に案内した。下水道の端にあり、バリケードが組んである比較的安全な場所だ。得られる賞金の総額を想像して、俺は顔を隠して一人ほくそ笑んだ。





 嫌な夢を見た。妹がドブネズミに食われていく夢だ。いや、これは夢ではない。俺は妹を亡くしていた。ドブネズミ狩りをする兄のために待遇改善を訴えた妹は、「猫の英雄」というプラカードを持って仲間とデモ行進をしていたところをドブネズミの集団に襲われて死んだ。どこか陰謀めいた事件だったが、俺の裏の人脈を駆使しても犯人は不明だった。


 久々の地上。光が眩しくて目に堪える。貴族の館で、俺は塩素のことを紹介していた。曰く、音楽演奏の達人にしてドブネズミの特効薬。大量のドブネズミを一気に駆除すれば、都市の衛生的な意味での安定した発展は保証される。どこからどう見ても悪くない話だった。案の定、貴族はこの話に乗ってきた。乗らないほうがどうかしている。


「じゃあ、葬送曲といこうか。塩素」

「そうね。ドブネズミは増えすぎている。自殺と言う名のアポトーシス。生態バランスは改善されなければならない」


 暗い下水道に狂ったような調子の音楽が鳴り響くと、ドブネズミたちは自ら水流の中に身を投じて行く。百匹。いや数百匹は死んだだろうか。いつもなら輝くドブネズミの眼光は、もうどの方位を見渡しても、全く見えなくなっていた。





「報酬を払えない?」

「そうだ。討伐の証拠となる前歯が無いのに、報酬が払えるわけがないだろう」


 貴族の言い分はそれでおしまいだった。


「ドブネズミは溺死したんです。前歯を回収できるわけがないじゃないですか」

「お前たちの狂言に付き合うつもりはない。どうせ全部でたらめだろう! この男を捕まえろ!」

「ちょっ! 待てよ! 話が違う!」


 貴族の館の前で、待機を命じられていた塩素。

 

「どうぞお引取りください」というメイドの言葉で、何が起きたのかを塩素は悟る。

「……絶対に許さない」


 それは、復讐の決意の言葉だった。


 下水道の中に狂想曲が響き渡る。鍵盤を叩く塩素の手は、怒りに任せてモチーフを繰り返す。憤怒。悲哀。力。意思。その鍵盤から流れ出る音楽は、下水道の遥か奥から、真っ赤に瞳を燃やしたドブネズミたちの軍勢を呼び寄せていた。ドブネズミの体躯は大きいものでは1メートルにも及ぶ。それらが400ほど。下克上には、十分な数だった。





 貴族の館は、あっという間にドブネズミたちによって包囲されていた。貴族はパニックに陥った。俺を解放し、約束の金を払うと告げる貴族。だが、俺はのらりくらりと交渉を続ける。少しくらい意地悪しても罰は当たるまい。

 

「助けてやりたいのはやまやまだが、この数を相手にするのは久々でね。割り増し料金だな」


 と嘯く俺。

 

「わ、わかった。わかったから、あの悪魔どもを止めてくれ!」


 貴族はドブネズミに噛まれて死ぬことだけは避けたいと、割り増し料金を是非も無く承諾する。目指すは、荒々しい狂想曲の発生源。下水道を知り尽くした俺は、それがどこから響いてくるのか、ほとんど目星はついていた。

 

「塩素! もう終わりだ! 報酬の金は支払ってもらうことで話がついた! この世界に『猫』なんていない! もう止めにしよう!」

「くっ! ……貴方はそれでいいの!?」


 そう問う塩素に、俺は言葉を返す。

 

「それでいいんだ。妹は俺を『猫の英雄』にしようとして死んだ。そんな悲劇を繰り返すくらいなら、俺はただのドブネズミの清掃員でいい」


 証拠は無くとも、実は妹殺しの犯人の検討はついていた。黒幕は貴族だ。だが、復讐は何も生まないと俺は語る。自分が「猫」と呼ばれること。ただそれだけのために陰謀が渦巻き、デモに参加していたたくさんの人が死んだ。そんな呼称に価値など無いのだと。


「でもあなたは、立派に『猫』の務めを果たしている」

 

 正体を現し、炎に、足元から立ち上る業火に包まれる塩素。

 

 塩素とは演奏であり炎祖であった。語呂合わせであってもそこには呪力が生まれる。瞬間発火能力ファイアスターターによって、全てのドブネズミを燃やし尽くす炎祖。彼女は言う。猫のいない世界を哀れみつつ。

 

「あなたはドブネズミを狩る者。誇り高き『猫』と呼ばれるのが相応しい」


とその腕前を称え、背後に【扉】を開く。


「いつかまた何処かで」


【扉】の中に消える炎祖。


「いつかまた何処かで、か。やれやれ、一体、いつになることやら」


 この世界、キャットロストには絶望しかない。都市が発達するほどドブネズミは増え、疫病は蔓延し、ドブネズミ狩りがいなければ地上社会は決して回らない。それでも――希望はあるのだと、塩素は教えてくれたのだ。俺は炎祖に認められた『猫』の苦情九蘭。その務めは、これからもきっちり果たしてみせる。

 

 それが俺の、唯一の矜持なのだから。

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