ニーベルングの指輪
欺王が『王者の儀』を終えてから2日目――。
宮殿内に作られた住居にもようやく慣れ、今も尚女中のユーミルに監視され続けている僕に、幹部のひとりから声が掛けられた。
「行ってらっしゃいませ、ホムラ様」
丁寧にお辞儀をし、僕を見送るユーミル。
しかし相変わらずの眼力で、僕は極力目を合わせないようにする。
「王が僕に話って、一体なんでしょう」
「恐らく他国への侵攻についての相談だと思われます」
「侵攻?」
まだ王者の儀を終えたばかりだというのに。
僕が他のクラスメイトを殺せなかったときのことを、すでに考えているということか。
王の間に通され、いつもの玉座に座っているジルと傍らに立っているギジュライを発見する。
少し離れた場所に幹部用の席も用意されていた。
そのうちのひとつに座るように促された僕。
「待ってたぜ、相棒。どうだ、ユーミルは。いい女だろう」
「若。ホムラ殿はそういったことにはあまり関心が無いようで」
王の言葉に反論しようとした僕に気付き、ギジュライが先回りをする。
その言葉を聞き、ニヤリと笑ったジル。
「へぇ、ホムラは女嫌いというわけか。はは、やっぱ変わってんなお前は……!」
膝を叩き嬉しそうに声を上げるジル。
それを皆の前で言いたくて、わざわざ僕を連れてきたわけではあるまいし。
僕は王が笑い止むのを静かに待つ。
「……とまあ、冗談は置いておくとして」
急に笑い止んだ王は、僕の目をじっと見つめた。
その瞳は野望の炎に包まれていて、これっぽっちも隠そうとはしていない。
「ギジュライ」
「はい。ホムラ殿をお呼びしたのは、他でもありません。これから我が国は他国に侵攻を開始致します。当然、宰相となられたホムラ殿にもご協力いただかねばなりませんゆえ」
無表情で説明を始めたギジュライ。
それを不敵な笑みで眺めているジル。
「今、我が国と南部エリアの覇権争いをしている国が3つございます」
ギジュライがそう話し始めた途端、王の間の円卓中央の床に大きな地図が描き出された。
これは、『魔法』かなにかなのだろうか……。
「『天の国』、『冥の国』、『権の国』――。それぞれ天王ヘイラー、冥王ゼノン、権王ヘルメウスが治める国でございます。ホムラ殿ならば、彼らに敵対する《者の力》を宿す者をご存じですな?」
そこまで話したギジュライは、鋭い視線を僕に向けた。
周囲にいる幹部らも僕に視線を移す。
「……はい。蓮見明日葉、大木潤一、御坂玲奈の3人です」
僕の答えに満足したのか。
玉座から立ち上がり、僕の前にゆっくりと歩み寄るジル。
「天王に仇名す《聖者》、冥王に仇名す《亡者》。そして権王に仇名す《治者》――。お前は奴らを知っている。そして、殺すための動機と手段を持っている」
僕の前で立ち止まり、座る僕の顔に自身の顔を近づけたジル。
そっと顔を上げ、彼の目に視線を合わせる。
きっと僕は、憎悪に満ちた目をしているのだろう。
3人の名前を出しただけで、心の底から殺意が湧き上がってくる。
「……くくく、いい目だ。俺の目的は3人の王が《王者の力》を手に入れる前に、南部エリアを制圧すること。ならばお前が《者の力》を宿したその3人を先に殺してくれれば、俺の勝ちは明白というわけだ」
顔を放したジルは、ギジュライに視線で合図を送る。
首を縦に振ったギジュライは、手に持った小箱の中にあるひとつの指輪を僕に見せた。
「これは……?」
「『ニーベルングの指輪』と呼ばれるものです。王者の力を宿した者にだけ扱える代物ですな。王がこれを貴方に、と」
ジルに視線を移すと、不敵な笑みを浮かべたまま、首だけで僕に合図を送ってきた。
僕はそれに従い立ち上がり、ギジュライの元へと歩む。
「この指輪があれば、召喚石や王召石の位置が分かります。つまり――」
「――僕のクラスメイトがどこにいるのかも分かる、ということですね」
ギジュライの後にそう続けた僕。
彼らの居場所が分かれば、あとは能力を隠したまま近づき、殺すだけだ。
僕のこの『溶かす力』で、跡形も無く――。
「明日の早朝に、この3国を同時に攻める。お前が異界人を殺すのが先か、俺が王を倒すのが先か――。くく、面白くなってきたぜ……!」
ジルの荒々しい声が宮殿内に木霊する。
その声に沸き立つ幹部たち。
「ホムラ殿には引き続きユーミルをお付けいたします」
「彼女を?」
「はい。女性だからといって侮ってはなりませんぞ。剣と魔法、両方を戦況に合わせて使いこなせる『魔道剣士』でございますゆえ。ホムラ殿の護衛には申し分ございません」
ユーミルが魔道剣士……。
確かに只者ではない雰囲気だったが、そういうことだったのか。
「異界の者を暗殺されるということで、あえてユーミルだけに致しました。不服ですかな?」
「いいえ、十分です。本当は僕一人で向かって、困ったときだけ助けてもらうだけでも――」
「なりません」
ぴしゃりと言い放ったギジュライ。
欺の国の幹部の一人となった僕を、たった一人で旅に向かわせるわけにはいかない。
その気持ちは分かるが、どちらかといえば『監視役』のために彼女を同行させているような気がする。
「……分かりました。明日の出発の準備をしておきます」
それだけ言い残し、沸き立つ王と幹部たちの脇をすり抜けるように王の間を出る。
明日、戦争が始まる――。
きっと、多くの人が死ぬ。
王者の力を手にした欺王は、世界を制圧するまで歩みを止めないだろう。
僕はその混乱に乗じて、この指輪を使いクラスメイトらにそっと近づく。
死神となった僕に溶かされた彼らは、跡形も無くこの世から消え去る。
ふと姉さんの声が聞こえた気がして振り返った。
そこには誰も居らず、宮殿の冷たい床が続いているだけだ。
姉さんは、今の僕を見たらどう思うのだろう。
喜んでくれるだろうか。
それとも悲しむのだろうか。
――でも、もう後戻りはできない。
拳を握りしめ、僕は部屋に戻った。