蟷螂と卵
身支度を終えた僕は空き家を後にし、街の外れの廃墟へと向かう。
ユーミルとメリルには井上の監視を任せていたが、特におかしな行動は見られないとのことだ。
――彼女は本当に、僕と共に復讐を成し遂げようとしている。
自身が僕の復讐の対象であるにもかかわらず、無防備に僕に近付き、甘い言葉を囁いてくる。
「……姉さん……」
左手を開き偽者の石を眺める。
僕と対照的だった姉さんは、虐められていた井上を本当の友達として迎え入れた。
そこにどんなリスクがあったとしても、彼女は井上を見捨てられなかっただろう。
そんな姉さんを、僕は守ることができなかった。
――だから、僕はこう考える。
井上さえいなければ、姉さんは死ぬことはなかった。
いじめの対象が僕らに向くことはなかった。
姉さんは井上の代わりに殺されたのだ。
だから僕は、井上を殺す――。
僕の殺意に反応し、左手の偽者の石が淡く光った。
他者を拒絶する心。拒絶の力。
偽者の僕は、人の心が分からないのだろう。
姉さんのように真っ直ぐに物事を考えることができない。
だから殺す。壊す。消滅させる――。
一瞬だけ、姉さんの寂しげな表情が脳裏に浮かんだ。
そして淡く光っていた石は輝きが消える。
僕は軽く溜息を吐き、目的の場所に足を向けた。
◇
街外れにある廃墟の周囲には魔法陣が敷かれていた。
もちろん一般人が入り込めないようにするためだ。
ここに六神と神原を誘い込み、偽物のお洒落なバーとして出迎えた。
ウエイトレスに扮していたのは井上だが、それ以外の者は全て異界から呼び出した死者だ。
彼女らが旨そうに食べていた肉や魚も、腐食し虫が湧いた物を召喚石の力で偽装して提供した。
幸福な時間など、元々存在しないのだ。
井上に彼女らを任せてから半日が経過したが、どのような辱めや拷問を受けているのだろうか。
魔法陣を潜り、廃墟に足を踏み入れる。
瓦礫の先にある壊れかけた扉を開くと、そこには飽きた表情でこちらを振り向く井上がいた。
「ああ、もう朝になったのね。ん……んん……、と。約束どおり、まだ殺していないわよ。――あれで生きているっていうのも地獄でしょうけどね」
大きく腕を伸ばし、軽く肩の骨を鳴らした井上は眠たそうに眼を擦っている。
彼女の視線の先には腐りかけた舞台の上で蠢いている、二つの何かだ。
僕は何も答えず、元は六神と神原であったであろう、それに近づく。
――そこには蟷螂と繭状の何かがあった。
「う……あ……あああ…………」
蟷螂から聞こえてくるのは、六神の声だ。
両方の眼球を抉り取られているのか、こちらに視線を向けることなく、ただ呻いている。
「傑作でしょう? あれから二人を、貴方が作り出した骸骨戦士で数時間かけて凌辱して、その後にこれを作ったの。まず二人の両腕と両足を切断して、薫の腕があった場所に子音の足を接合して、両脇にも穴を空けて残りの足を接合。で、両腰にも穴を空けて腕と腕を接合して長くして、それもくっつけちゃった。それで完成したのが、この蟷螂よ」
ニヤリと笑う井上の顔は狂気に満ちていた。
これを六神が生きたまま行ったのであれば、使った能力は『聖者』や『医者』、もしくは他にも能力を使用したのかもしれない。
「……この繭は?」
「ああ、そっちは子音よ。蟷螂の卵みたいでしょう? 両手足を切断して芋虫みたいになった子音の肛門から腸を引きずり出して、それを伸ばして裂いて、聖者の石の力で再生を繰り返したの。で、そのまま全身を包んで出来上がり。ほら、腸の中って厳密には体内じゃなくて体外だって、生物の授業で習ったじゃない? それが本当かどうか確かめてみたかったんだけど……。すごいよね、人間の身体って。もっと実験してみたかったんだけど、さすがに疲れたわ」
「ううぅ……。ころ……して……、早く……殺して……」
繭の中から僅かに聞こえてくる神原の声。
夢のような時間が解けた瞬間から、地獄を味わった二人はすでに生きることを放棄しているようだ。
僕は左手に握ったままの偽者の石を強く握り、念じる。
そして右手に具現化されたのは、黒銀の鎖だった。
――『偽りの鎖』。
僕は死を願う彼女らに向け鎖を放ち、拘束する。
「あら、もう殺しちゃうの? これから日高くんが楽しむ番だと思っていたのだけれど」
「……もう十分だ。六神と神原の精神は崩壊している。これ以上痛めつけても意味は無い」
「……ふぅん。意外な反応ね」
僕の回答が気に入らなかったのか、彼女はそっぽを向き再び大きく伸びをした。
構わず僕は鎖に魔力を送り、二人を一気に締め付けた。
圧力を掛けられた二人の身体は弾け飛び、周囲に肉片がばら撒かれる。
そこにあるのはおびただしい量の血と肉塊。
そして寄り添うように置かれた『使者』と『巧者』の召喚石だった。