偽りの恋
冷ました珈琲をテーブルに乗せ、私はソファに深く腰を下ろした。
膝を組み、その上に軽く掌を上にして乗せ、念ずる。
幾何学模様の魔法陣が出現し、一冊の書物が中空に浮かび上がった。
掌の上にふわりと乗ったその書物をペラペラと捲り、私は思考する。
日高くんが私を受け入れてくれることは、最初から分かっていた。
……いや、本当の意味で彼が私を受け入れたとは言えないが、いつか彼を落とす自信はある。
『勇者』の女。
そして魔王を倒し、『勇魔の王者』となった女。
私の力は他の者の力使いの力を凌駕している。
戦う力も、魔法も術も、交渉も交易も、他者を騙すことにも――。
少し離れたテーブルで、二人の眷属と今後のことを話し合っている彼。
偽者の彼。
力を失い、私にすがるしか道が無い彼。
強制的に彼を自分の物にしようと思えば、今すぐにでも可能だ。
しかし、私はそれをしない。
彼は心の中で、私の愛は『自己愛』だと決めつけている。
それは決して間違えてはいないが、それだけではないことをいつか彼に示したい。
――彼に、私が殺される前に。
ふと視線を感じ、書物から顔を上げる。
彼の眷属のひとり、ユーミルとかいう女が私の表情を盗み見ていた。
あの女はとことん私が嫌いらしい。
無理もないが、ああやって露骨に敵意を向けられると良い気はしない。
不死者である彼女を殺すことはできないが、消滅させることは可能だ。
今後、私と日高くんの邪魔をするつもりならば、いっそのこと消滅させてやろうか。
しかし、それは彼が許さないだろう。
あの二人の眷属を救うために、彼は命を懸けて世界を巡ったのだから。
冷めた珈琲を口に運び、書物のページを一枚捲る。
まあいい。彼女らのことは、いつだって、どうにでもできる。
残るクラスメイトは私を除き、あと十人。
彼らを私と日高くんで殺し、そして最後に、彼に本当の想いを伝えよう。
それが例え歪んだ愛だと言われようと、私は構わない。
偽りの愛だとしても、『本物』が何か知らない私には関係がない。
――私は、日高焔が好き。
それだけで、他には何も必要ない。
◇
『学者』の力により出現させた書物には、残るクラスメイトの名前が光を帯び、浮かび上がっていた。
その横に書かれているのは者の力の能力だ。
・秋山時雨/武者
・中山五郎/愚者
・千光寺隆一/従者
・六神薫/使者
・犬飼悠馬/間者
・大河原直人/正者
・新島康志/医者
・小島美佳/賢者
・神原子音/巧者
・桐生京四郎/解者
この中で秋山、美佳、千光寺の三人は剣の国で交戦中だ。
このままでは剣王が敗れ、秋山に王者の力が宿ってしまう。
『武剣の王者』といえば、勇魔の王者に匹敵するほどの力だと、私の知識は教えてくれる。
順当に考えるのであれば彼らの元に急ぎ、剣王が倒される前に三人を殺すべきなのだが――。
しかし、一つだけ問題が生じた。
勇魔の王者としての力を持った私でさえ、女神の杖を使用することが出来なかったのだ。
私の知識は、その質問にこう答えた。
発動条件は二つ。
一つは王者級の膨大な魔力。
そしてもう一つは、『偽者』の力だ。
本来、女神の杖は女神にしか使えない。
その条件をクリアできるのは、女神の偽者になれる日高くんだけだったというわけだ。
私にも偽者の力の一部は備わっているが、使える能力はひとつしかない。
他者になりすますことができる偽者本来の力は、私には発動できなかった。
私は軽く溜息を吐き、書物を閉じる。
次にテーブルの傍らに置いてあった魔法の地図を膝の上に広げ、ニーベルングの指輪の光を当てた。
今すぐに剣の国に向えないのであれば、他の奴らがここにおびき寄せられるのを期待したほうが早いかもしれない。
剣王ベルゼルスは魔王グロリアムに匹敵するほどの力を持つ王だ。
日高くんは欺の国の宰相らしいから、彼に頼んで欺の国の兵士を剣の国の支援に向かわせるという手もある。
要は、時間が稼げればいい。
欺王も恐らく、断るようなことはしないだろう。
ふと気が付くと、指輪の光が淡く揺らめいた。
地図に視線を戻すと、どうやら餌に喰いついた馬鹿な獲物がこちらに向かってきているようだ。
すでにこの世に存在しない『大木潤一』という名の、亡者の餌に――。
「薫と子音、か……。ちょうどいいわ。『使者』の能力があれば、すぐに剣の国に増援の意志を伝えられるもの」
私は立ち上がり、日高くんに計画を持ち掛けた。




