原因不明の病
二つの召喚石を手に取り、僕は再び魔法の地図を開く。
ニーベルングの指輪の光を照らすと、赤、茶、金の三色が一か所にまとまったまま微動だにしないのが確認できた。
「むしゃむしゃ……ごっくん。まだ他の奴らはこっちに気付いていないみたいだな。おいユーミル。食べないならこっちの耳も貰うぞ」
先ほど緒方から切り落とした片耳を美味しそうに食べ終えたメリル。
もう一つはユーミルのために取っておいたのか、まだ手を付けずにいた。
「ええ、私は先ほどの『信者』の女の足でお腹がいっぱいですから。遠慮なさらずにどうぞ」
「そうか。お腹がいっぱいなら仕方がないな」
嬉しそうにそう答えたメリルは小さな頬いっぱいに緒方の耳を頬張り、咀嚼する。
彼女達にはもう、人間の肉を喰らうことに罪悪感や嫌悪感など存在しないのだろう。
本来は恐ろしくもあるその姿が、今の僕には心地良かった。
すでに人間ではない僕らに、そのような感情は必要のないものだ。
「それを食べ終えたら、秋山達が油断しているうちに集落に戻――」
『戻ろう』と言おうとしたところで、強烈な眩暈が僕を襲った。
その場に膝から崩れ落ち、胸を押さえて蹲る。
「ど、どうなされたのですか……! ホムラ様!」
慌てて僕の傍に駆け寄るユーミルとメリル。
強烈な眩暈以外にも吐き気、動悸、刺すような心臓の痛みを感じた。
まるで身体の内側から心臓を抉られているかのような、そんな痛みだ。
「……大丈夫」
僕は左手に聖者の石を握り、念じた。
全身を淡い光が覆い、蘇生魔法が発動する。
瞬時に痛みが引き、しばらくすると再び刺すような痛みに襲われる。
――何故、魔法が利かない?
僕が気付かないところで、蓮見、小笠原、緒方の三人のうちの誰かが者の力の能力を発動していたのだろうか?
「蘇生魔法でも治せないとなると、ここは一旦グランザルに戻られたほうが良いのではないでしょうか?」
「そうだぞ、ホムラ。地図と指輪、それに女神の杖があればいつでも奴らを殺せるんだ。無理をして返り討ちに遭うほうが、よっぽど馬鹿らしいしな」
心配そうな表情でそう答える二人。
確かにこのままでは秋山らとまともに戦うのは困難だろう。
痛みの原因が何なのかは分からないが、亡冥の王者となってから僕は連続で能力を使い続けた。
魔力の酷使による副作用が発現した可能性も否定できない。
ここは二人の言う通り、一旦要塞都市グランザルに引き返し、力を蓄えたほうが良さそうだ。
「分かったよ。グランザルに戻ろう。メリル、悪いけどあの戦乙女の手に握られている『信者』の石を持ってきてもらえるかな」
メリルに指示を出し、未だ眠ったままの戦乙女から召喚石を返してもらう。
再びこの集落に戻るときのために、何かの偽装をしようか考えたが、今はうまく頭が回らなかった。
三つの召喚石が突如別の場所に移動したら、秋山は蓮見らに何かが起きたとすぐに気付くだろう。
だからと言ってこのままここに召喚石を置いておけば、者の力使いが死んだ後、召喚石がその場に残るという事実を彼らに知られてしまう――。
悩んだ挙句、僕はそのまま三つの召喚石をポケットにしまった。
そして女神の杖を異界の門より呼び出し手に取る。
「じゃあ、二人とも目を瞑って」
掠れた声でそれだけ伝えた僕は、杖を振り上げ魔法を唱える。
一瞬にしてその場から消えた僕らは、要塞都市グランザルにある空き家へと戻ったのだった。
◇
――それから一週間が経過した。
心臓の痛みは治まるばかりか、徐々に全身に広がり、ついには起き上がることも出来なくなった。
痛みを抑えるには、常に左手に握ったままの聖者の石を発動し続けていなければならない。
要塞都市にいる異世界の医師にも診てもらったが、原因は分からなかった。
メリルとユーミルの献身的な介護も実らず、回復の兆しはまったく見えない状態だ。
「ホムラ様。お加減は如何ですか?」
濡れたタオルを用意してくれたユーミルは、心配そうな表情で僕を見下ろしそう言った。
すでに声が出なくなっていた僕はニコリと笑い、無理にでも首を縦に振る。
そして頭の中で秋山らの情報に進展が無いか、彼女に質問した。
「……はい。あれから一週間。『武者』の男と『従者』、『賢者』の二人は戦乙女の集落を離れ、剣王ベルゼルスの住む城に攻め入り、交戦中とのことです。三人の者の力使いが結集しての戦争ですから、剣王が敗北するのも時間の問題かと」
それを聞き、僕は小さく溜息を吐いた。
もう少しで秋山を殺せるというタイミングで、原因不明の病に陥ってしまったことを悔いる。
このままでは秋山だけではなく他の奴らも王者となり、いずれ僕の正体もバレてしまうかもしれない。
そうなれば復讐を果たすのが困難になるのは明白だ。
「行方不明になった三人については、ホムラ様の推察通り、彼らは『亡者』の男に寝返ったと判断した模様です。そして恐らく寝返った理由を、『王者としての力を手に入れた』と予想しているはず。つまり、現時点で者の力使いのグループは二分された、との情報が彼らの中で拡散されている状況です」
二分された――つまり、秋山のグループと大木のグループに分かれたということらしい。
これは魔法の地図とニーベルングの指輪があれば、誰でもそう推察できるだろう。
能力者が死後に召喚石を残すという事実を知らなければ、今グランザルにある光の集合が『秋山以外のメンバーがグループを作った』と思われて当然だ。
そのリーダーが大木であること。
そして大木が『王者の力』を手にしていることを、秋山が他の奴らに発信したかは定かではない。
金や力で全てを支配してきた秋山が、自分に不利になるような情報を発信するとも思えないのだが……。
「お? ホムラ、起きてるのか。ほれ、頼まれてた物と調べものの結果だぞ」
考えごとをしていると、メリルが荷物を持って空き家に帰ってきたのが見えた。
僕は少しだけ首を動かし、彼女に目線で返事をする。
「でもホムラ。いくらこの街の医師が治療できないって言ったからって、こんな小さなナイフで自分の胸を抉って原因を調べるなんて、無謀というか馬鹿というか、どうしてそういう発想しか出来ないんだ? お前は」
呆れた様子でそう答えたメリルは、僕の寝ているベッドの横にちょこんと座った。
彼女に頼んだのは切れ味の鋭い、メスのようなナイフだ。
わざわざ法の国にいる鍛冶職人のゼペットに頼んで作ってもらった特注品だ。
彼の腕ならば相当な切れ味であることは間違いない。
「それと三つの召喚石の能力。でも、よくこんなことを考え付いたなホムラ。本来だったらお前自身が図書館に行って能力を調べないと分からないのに、左手の半分を私に寄越して調べさせるなんて」
召喚石の能力をメモした紙と一緒に、半分に切り取られた僕の左手を投げ渡すメリル。
実際に能力を調べるためには召喚石を握った僕の左手が必要だったとはいえ、全てを切り落として渡してしまえば聖者の石を使い続けることができない。
一か八か試してみただけだったが、どうやら上手くいったようだ。
「これで『信者』、『猛者』、『演者』の能力が判明しましたね。あとはまだグループに属していない他の者の力使いの動向が気になる所ですが……」
ユーミルが僕の心を読んだのか、代わりにそう答えてくれた。
井上は個人で行動していることは予想できるが、他のクラスメイトは秋山、大木のどちらのグループに属するか悩んでいるところだろう。
このまま秋山が王者となれば、全員彼に付くことは間違いない。
今の時点では大木――つまり僕だけがクラスメイトの中では王者だという『偽りの情報』が広まっているので、その情報を信じた奴らがこのグランザルに集まってくる可能性がある。
それを利用し彼らを順に殺せれば良いのだが、今の僕はこういう状況だ。
早く原因を究明し、まともに動けるようにならなければ返り討ちに遭う可能性もある。
「『武者』の男のグループ以外の光の動きはまばらです。まだしばらくはここを訪れる者はいないでしょう。それまでは無理をなさらず、ゆっくりと療養して下さいませ」
魔法の地図を確認したユーミルは、ナイフを持った僕の手を自身の手で優しく包み込んでくれた。
それに同調し、ベッドに乗ったメリルも僕の右手に触れる。
――今日は、もう休もうか。
胸を抉り出すには相当な体力と魔力が必要だ。
蘇生魔法の力も、発動し続けているせいで衰えてきている。
痛みはいくらでも耐えられるが、今、死んでしまっては復讐を成し遂げることができない。
僕はそっと二人に微笑みかけ、そしてゆっくりと目を閉じたのだった。
【信者】(ビリーバー)
異界から召喚された灰魔法を操る戦士。
宿敵として定められた『光王』を倒し、王者の座を狙う者。
[能力①] 信仰/『灰』
神の言葉を代弁し、対象に物事を信じ込ませることができる灰魔法。
ただし魔力が拮抗、もしくは上位の者には効果が発動しない。
[能力②] 福音の十字架/『灰』
灰属性の大型の十字架を具現化し、刃とする魔法。
確率で信仰効果。
[能力③] 異端審問会議/『灰』
異形の審問者を召喚し瀕死レベルの尋問を長時間繰り返させる灰魔法。
高確率で混乱・暴走効果。
【猛者】(ファイター)
異界から召喚された黒魔法を操る戦士。
宿敵として定められた『覇王』を倒し、王者の座を狙う者。
[能力①] 筋肉増強/『黒』
瞬時に全身のあらゆる筋肉を増強することができる黒魔法。
ただし増強に応じて副作用が発生、最悪の場合は組織が死滅することもある。
[能力②] 巨人の剣/『黒』
黒属性の巨大な剣を具現化し、対象を真っ二つにする魔法。
どのような防護魔法も効果を成さず、一度発動されれば防ぐことができない。
[能力③] 勇猛果敢/『黒』
一定範囲内の敵を威圧し、行動不能にさせる黒魔法。
ただし発動時間は五秒。
魔力が拮抗、もしくは上位の者には効果が発動しない。
【演者】(パフォーマー)
異界から召喚された念魔法を操る戦士。
宿敵として定められた『奏王』を倒し、王者の座を狙う者。
[能力①] 言霊/『念』
説得力のある言葉で周囲の者の意識を一身に集めることができる念魔法。
確率で誘導効果。
[能力②] シェイクスピアの歌声/『念』
念属性の歌声を発し、目視できない刃とする魔法。
確率で聴覚破壊効果。
[能力③] 演出者の采配/『念』
この世の全ての者は決められた役割を演ずることで生きていける。
それを強制的に知らしめ、行動を意のままに操ることができる念魔法。
ただし発動すると魔力が枯渇し通常の者であれば死に絶える。




