愛する男女
僕は森の木の陰に隠れ忍者の石を使った。
相手は二人の者の力使いだ。
二人の能力が分からない以上、すぐに行動できるように死神の大鎌を具現化しておく。
このまま背後から忍び寄り一人を殺せたとしても、片方が瞬時に反応して反撃してくるかもしれない。
それが致命傷になるまえに治癒魔法を使えるよう、左手には聖者の石を握っておく。
「あれ、おっかしいなぁ。地図にはこの辺りだって示されてるんだけど……」
「うん……。でも、綾香もどうして一人でこんな森に向かったのかしら。秋山くんから、むやみに単独行動をするなって言われているのに」
視界の先に見えるのは、地図を持った小笠原と指輪の光を照らしている緒方の二人だ。
やはり予想していたとおり、彼らも魔法の地図とニーベルングの指輪を所持していた。
二人の向かう先は、蓮見を殺して奪った、信者の石がある場所だ。
そこに彼らが到着し、戦乙女の手に握らせた召喚石に気を取られているうちに、どちらか一人を殺す。
「蓮見もなぁ……。あそこに住んでた部族の女に冷たすぎるんだよなぁ。俺、ああいうの見ちゃうとマジで引くよ。女って本当に怖いんだな」
「ふふ、そうよ。でも高志みたいに優しい男もそうそういないけどね」
そう言った緒方は軽く周囲に視線を泳がせた。
そして誰もいないことを確認し、小笠原の頬にキスをする。
「おい、蓮見が見てるかも知れないぞ」
「いいのよ。見せつけるつもりでやってるんだから」
ニコリと笑った緒方は、今度は小笠原の唇を求めて顔を近づけた。
軽く溜息を吐いた小笠原だったが、緒方の要求を聞き彼女の唇に自身の唇を重ねた。
「ん……。愛してるわ、高志」
「……俺もだよ、美鈴」
二人は抱き合い、愛の言葉を囁き合った。
小笠原高志と緒方美鈴――。
この二人が付き合っているという噂は聞いたことがなかったが、もしかしたらこの異世界に迷い込んだことが原因で愛に火が点いてしまったのかも知れない。
しかし、僕にとってこれは好都合だった。
――二人の愛が深ければ深いほど、殺し甲斐があるというものだ。
小笠原高志は野球部のエースで、全国大会にも出場するほどの実力を備えていた。
片や緒方美鈴も演劇部の部長代理として、2年生ながらも才能を開花していった。
『猛者』と『演者』――。
まさしくこの二人のためにあるような者の力と言えるだろう。
まったく才能に恵まれなかった僕とは大違いの人種。
僕の殺しの動機は姉の復讐とはいえ、僕自身の復讐もそこには含まれている。
劣等感、悲壮感、焦燥、嫉妬。
どんなものでもいい。
復讐の力となり得るものならば、それらを全て受け止め、殺すための刃に代える。
「……抱いて、高志。私、もう我慢ができないの」
甘い吐息を吐き、制服の上着を脱ぎ出した緒方。
それに呼応するかのように、同じく上着を脱ぎ出す小笠原。
「俺もだ、もう我慢ができない。蓮見が見ていようと関係ないさ。……でも、大丈夫なのか?」
シャツのボタンを半分ほど外した小笠原は何かを気にした様子だった。
彼の視線は緒方の腹部に注がれている。
「うん。そろそろ三ヶ月だけど、お父さんが入れる場所くらい、空けておいてくれると思う」
腹部を摩り、照れ笑いを浮かべた緒方。
その表情を愛おしそうに眺める小笠原。
そして二人は再び抱き合い、お互いの唇を貪り合った。
――緒方美鈴は、妊娠していた。
彼女の体内には新たな命が芽生えている。
僕はそれを聞き、笑いがこみ上げてきた。
右手に握った死神の大鎌がキシキシと音を立てる。
絶望を、与えよう。
愛し合う二人に、これ以上とない絶望を。
姉の苦しみを。僕の苦しみを。
じわりじわりと追い詰め、すぐには殺さず。
お互いの愛を引き裂いた上で、地獄の苦しみを与えてから殺そう。
僕は声に出しそうな笑いを堪え、彼らの元にゆっくりと近づいて行った。
◇
「……美鈴? どうした?」
仰向けに寝た小笠原が上に跨る緒方に声を掛ける。
緒方は恐怖に表情を歪め、森の先の一点から視線を逸らそうとしない。
「あ……ああ……! そんな、ことって……!」
「?」
半身を起こし、緒方の視線を辿る小笠原。
そこにあるのは、一本の木に吊るされた何かだ。
「……? あれは…………蓮見!?」
慌てて起き上がる小笠原。
そこに吊るされていたのは、制服を着た蓮見綾香だった。
首を太い縄に掛け、首つり自殺をしたかのような、そんな状況だった。
無論、僕が作り出したフェイクだ。
『死霊』と『蘇生』を使い、蓮見の遺体のみを一時的に現世に具現化したに過ぎない。
今、二人の意識は完全に蓮見に注がれている。
僕は緒方の背後に忍び寄り、死神の大鎌を振り上げた。
「!! 美鈴!!」
「え……?」
瞬時に反応した小笠原は緒方を押し退ける。
大鎌は緒方の胴体を切断せず、代わりに小笠原の左手首を切り落とすこととなった。
鮮やかに舞う鮮血。
僕は再び忍者の石を使い身を隠す。
「た、高志……!!」
「大丈夫だ……! お、お前は何処かに隠れていろ……!」
震える声でそれだけ答えた小笠原はシャツの裾を千切り、左腕をきつく縛った。
そして何かの能力を使い、あっという間に手首の血は止まる。
――あれは、筋肉を増強させるような能力だろうか。
切り口にある血管が押しつぶされ、代わりに赤黒い肉がせり出していた。
「……誰だ! 隠れていないで、出てこい!!」
精一杯の虚勢を張る小笠原。
忍者の石を使った僕を目視できない時点で、僕と彼らの力の差は歴然だ。
これが王者の力――。
いくら相手が二人の者の力使いだとしても、この差を埋めることはできないのだろう。
「高志! 後ろ!」
緒方の声に反応し、すぐさま横に飛び退いた小笠原。
今度は彼の肩を掠めたが、致命傷には至らなかった。
そしてすぐに能力を使い、止血をする小笠原。
「……厄介だね。君の能力も」
「!!」
忍者の石の能力を解き、僕は姿を現した。
そしてフードを脱ぎ、顔を露わにする。
「……お前は……日高!!」
「どうして……? とっくに死んだと思っていたのに……」
僕の顔を見て、驚きの声を上げる二人。
――やはり何も知らない。
召喚石の能力を宿さなかった僕は、秋山らクラスメイトにはとっくに死んだと思われている。
そして無かったことにしようとしているのだ。
姉さんにしたことも。僕にしたことも。
「僕は生きている。蓮見は死んだよ。僕が殺した」
「……は? お前、一体何を言って――」
「そして君達も死ぬんだ。僕に殺されるんだよ」
僕は死神の大鎌を消失させ、左手に拒絶の石を握った。
そして右手を前に突き出し、殺意を込める。
「……は、ははは! お前が俺達を殺す? ふざけんなよ! この能無しが! どうやって俺達に奇襲をかけたのかは知らねぇが、そうやって余裕ぶいて俺の前に姿を現したのが間違いだ! 俺の『猛者』の力を見せてやる……!」
そう叫んだ小笠原は右手を高く掲げ、能力を発動した。
その手には鈍い光を放つ巨大な剣が握られていた。
能力単体でいえば、死神の大鎌や聖者の槍よりも遥かに殺傷能力が高いのかも知れない。
――だが、すでにチェックメイトだった。
「た、高志……」
僕がわざわざ姿を現したのは、二人の注意を僕に向けるため。
『猛者』という言葉からも推察できるとおり、彼の持つ物理的な力が僕を上回る可能性もあった。
だから僕は二人に合図を送った。
僕の心を読めるあの二人だからこそ、この作戦は成功したのだ。
緒方が呼ぶ声を聞き、巨剣を振り上げたまま後ろを振り向く小笠原。
そこにはユーミルとメリルに捕えられた緒方の姿があった。
「て、てめぇ……! 一人じゃ無かったのか……! キタねぇぞ! 人質なんて……!」
「汚い? 殺し合いに汚いも何も無いよ。その剣を降ろすんだ、小笠原」
「くっ……」
諦めたように巨剣を降ろし、地面に突き刺した小笠原。
彼がこうすることは最初から予想が付いていた。
愛する女を裏切れない。女の前では理想の男でいたい。
集団の中にいるときは姉さんをいじめず、放課後になり誰もいなくなってから姉さんをいじめていた小笠原らしい考えだ。
「た、頼む! 日高! 俺はどうなっても良いから、美鈴だけは助けてくれ……! あいつの腹の中には、俺の子がいるんだ!」
「……」
先ほどまでの威勢は何処へ行ったのか。
小笠原は僕の前で土下座を始めた。
それを後ろから眺めて涙を流している緒方。
僕は口元に笑みを浮かべる。
一体彼らは、どのくらいこの茶番劇を演じていられるのだろうか。
僕は二人に命令し、緒方の両耳をそぎ落とさせた。
「ひいいぃぃ! 痛い……痛いいいぃぃぃぃ!!」
「美鈴! や、やめてくれ……! 何でも言うことを聞くから! い、命だけは助けてくれ……!」
懇願する小笠原を無視し、僕は緒方の傍に近付く。
そして聖者の石を使い、耳の蘇生はせずに、出血だけを止めた。
これで彼女は僕と小笠原の会話を聞くことができない。
「……小笠原。どうして、緒方のことをそこまで想う?」
「どうしてって……さっき言っただろうが! あいつの腹の中には俺の子が――」
「それは、本当に君の子か?」
「……へ?」
僕は彼の周りをゆっくりと歩く。
それを目で追うしかできない小笠原。
「僕は大木の能力を奪った。『亡者の力』だ。これにより死者の言葉を聞くことができる。死者に対する質問により返ってくるのは、嘘偽りない回答だ。大木、二階堂、蓮見明日葉、綾香、御坂、扇、烏庭――。僕に殺された奴らは口を揃えてこう言っているよ。『緒方の腹にいる子は、小笠原の子じゃない』って」
「そ、そんな……! でたらめだ! 嘘を言うな!!」
興奮し立ち上がろうとする小笠原を僕は大鎌を具現化して制する。
僕の耳に聞こえてくる死者の声は、確かにそう言っていた。
これが真実かどうかは本人に聞くしかないのだろうが、今はこれで十分だ。
「君だって知っているんだろう? 蓮見や扇、緒方が小遣い稼ぎに売春をしていたことを」
「それは……」
これを知らないクラスメイトはいないはずだ。
全ては秋山が命令を下し、それに姉さんは巻き込まれる形となった。
つまり緒方も複数の男性と性行為をしていた可能性が高い。
「その時の子だとは思わなかったのか? それとも緒方が『君の子だ』と言うから、それを疑いもせずに信じたのか?」
ゆっくりと、彼の耳元に語り掛ける。
頭を抱え震えたまま、小笠原は何も答えない。
言い返せないということは、薄々感じていたのだろう。
ただ信じたくなくて、それを彼女に聞き出せなくて。
不安で怯えている子供のように、毎日を過ごしていたのだ。
「……『演者』。くく、笑えると思わないか? 演じることが得意な緒方は、見事に演じきったわけだ。君を騙し、偽りの愛を受け、子を産むつもりでいた」
「やめろ……。やめて、くれ……」
「彼女を愛しているんだろう? だったら最期まで、君の手で愛を表現したら良いじゃないか」
僕の左手には治者の石が握られている。
『統治』の能力が発動しているが、彼の心の中で僕に対する強い怒り、憎しみ――暴徒のような感情が芽生えないと効果を成さない。
彼はゆっくりと立ち上がった。
虚ろな目をしたまま、緒方の前へと歩み出る。
「……高、志?」
「……美鈴。俺は、お前を信じていたよ。信じて、いたのに……。どうして……どうしてだ……?」
小笠原の声は緒方には届かない。
僕の合図を受け、ユーミルとメリルは緒方を解放する。
「あ……許して貰えたのね! ありがとう……ありがとう高志……。私のために、土下座までしてくれて……。お腹の子も二人で育てていこうね。貴方と私の子だもの。きっと、きっと幸せになれるわ」
何も知らない緒方は小笠原に抱きついた。
――彼の右手には、あの巨剣が握られているとも知らずに。
僕は後ろを向く。
聞こえてくるのは、女の断末魔と狂ったような男の叫び声。
何度も何度も斬り裂く音。
しばらくして静かになった後に、男は自ら首を斬り絶命した。
僕は右手を耳に当て、今しがた地獄に落ちた緒方の声を聞く。
そして彼女は僕の質問に、正直に答えてくれた。
「……良かったね、小笠原。緒方のお腹の子は、本当に君の子だったみたいだよ」
そう呟いた僕は、重なった二つの亡骸にそっと右手を触れた。
ジュワジュワと音を上げて溶けていった後には、『猛者』と『演者』の召喚石が寄り添うように置かれていただけだった。




