井上絵里の能力
拒絶の石が埋め込まれた指輪と『学者』の召喚石。
それらを手に入れた僕はすぐさま女神の杖を使い、エルファランの街を離れた。
井上が去り際に残した言葉が気になるが、今はそれを考えている時間はない。
ゆっくりと目を開き、ここが冥の国にある要塞都市グランザルの一角であることを確認する。
「ここは……」
「うん。以前ユーミルさんを復活させたグランザルの街にある空き地だよ。メリルを復活させるんだったら、ここが一番良いと思って」
街の風景は以前とさほど変化はないが、ここはもう欺の国の領土となった。
本来であれば亡冥の王者となった僕の土地ということになるのだろうが、僕がそれを放棄したため今は欺の国の一部になっているはずだ。
僕は学者の石をポケットにしまい、代わりに聖者の石を取り出す。
そして少しだけ躊躇したが、拒絶の指輪を左手の人差し指にはめる。
それを怪訝な表情で眺めているユーミル。
「大丈夫だよユーミルさん。そんな顔をしないで。別に僕は井上を許したわけじゃないんだから」
「そう……ですか。しかし気分の良いものではありません。メリルさんを復活させたら、その指輪は破壊し、拒絶の石を取り出しましょう」
尚もユーミルは指輪にこだわっている様子だ。
どうしてそこまで嫌な顔をするのか分からなかったが、彼女が壊すというのであれば僕はそれで構わなかった。
「じゃあ、いくよ」
僕がそう合図をすると、彼女はこくりと頷きその場を一歩退いた。
左手に聖者の石を構え、強く握る。
そして同時に亡冥の魔力を高めていく。
周囲におびただしいほどの負の魔力が集約していく。
『死霊』、『蘇生』、そして拒絶の石の力――。
三つの力を同時に発動し、そこに王者としての魔力を付加する。
地面に描かれた幾何学模様の魔法陣から少女の姿が徐々に浮かび上がってくる。
背に生えた翼を折り畳み、彼女は眠っているかのように目を瞑っていた。
僕は『口寄せ』を発動し少女に問いかける。
彼女の名を。僕の大切な眷属の名を。
「……メリル。目を覚ましてくれ」
僕の問いに答えるかのように、彼女はゆっくりと目を開いた。
そして徐々に翼を広げ、僕とユーミルに視線を定め、こう言ったのだ。
「――ただいま、ホムラ。ユーミル」
◇
要塞都市グランザルにある宿の一室。
すでに彼女のために服を用意していたユーミルは、僕を一旦外に追い出し着替えを済ます。
『おーい、ホムラ。もう入ってもいいぞー』
扉越しにメリルの声が聞こえ、僕は部屋の中に入った。
と同時に、僕の顔に少女が飛び掛かってくる。
「うわっ!」
「ホームラー! 会いたかったぞー!」
そのまま僕は尻餅を突き、メリルに髪の毛をいじられ、ボサボサにされ、散々な目に遭わされる。
「ふふ、メリルさん、もうお元気ですね。これもホムラ様の王者の力の影響でしょうか」
「おお! そうだった、そうだった! ホムラはもう王者だったんだ! 冥王を倒してくれてありがとうな、ホムラ! 大好きだぞ、コノヤロウ!」
メリルはさらにはしゃぎ、僕の頭から離れようとしない。
僕が王者になったことなんて、彼女はとっくに知っているはずなのに。
毎日のように彼女に報告をしていたし、そもそも眷属なのだから知らないはずもない。
「……お? これは喜びの感情だな! おいユーミル! ホムラは私にこうされて、すごく喜んでいるぞ!」
「それは……許し難いですね。私も参加させていただいても宜しいでしょうか?」
「駄目に決まっているだろう! ホムラは私のものだ! いや、私はホムラの眷属一号だから、これくらいの利権はあって然るべきなのだ!」
「その理論はおかしいですよ、メリルさん。不死者としての眷属は私のほうが先ですから、今では私が一号ということになります」
「何だ! その超理論は!」
僕を差し置いて言い合いを始める二人。
小さく溜息を吐いた僕はそのまま立ち上がり、メリルを強制的にひっぺ剥がす。
「メリル、ユーミルさん。ちょっとこれからのことを話したいから、落ち着いてくれないかな」
手足をバタつかせているメリルは口を尖らせているが、ユーミルは優しく微笑み承諾してくれた。
僕はメリルを抱いたまま、ソファまで歩き腰を下ろす。
「……さて。無事にメリルを復活させることができたし、僕の復讐の旅を進めようと思うのだけれど、まずは確認したいことがある。……ユーミルさん」
話の先をユーミルに促すと、彼女は快く返事をし、状況の整理を始めた。
「ホムラ様が亡冥の王者になられた後、『忍者』の力を持った烏庭、『治者』の力を持った御坂、『学者』の力を持った扇を殺害することに成功致しました。それにより対応する王――『巫王』、『権王』、『智王』の力は削がれ、あと数日もしないうちに権王ヘルメウスは曲欺の王者であるジル様に討たれるでしょう」
「ふーん、そうなれば欺の国が天の国に続き、権の国も制圧するってことか。じゃあジルっていう奴は巫の国も智の国も、そのうち手に入れようと考えているのか?」
ユーミルの説明に割って入るメリル。
そう言えばジルは南部エリアを全て制圧した後は、どうするつもりなのだろう。
「ええ、恐らく南部エリアの混乱が収束すれば、近いうちに他国へも侵攻なさるでしょうね。ジル様の最終的な野望は世界統一ですから」
「おお……! 世界統一……! なんか格好いいな!」
まるで子供のようにはしゃぐメリル。
彼女がいるだけで毎日が騒がしくなってしまう。
しかし、そのおかげで僕の心が救われているのも事実だ。
「欺の国の情勢は分かった。これからもジルとは協力関係を築いていきたいし、僕がクラスメイトを殺すことが彼の利益に繋がるのであれば、それに越したことはない。それと、今僕が持っている『忍者』、『治者』、『学者』の召喚石。これらの石の詳細な能力を調べておくことも必要だ」
「そうか! つまり、また王立図書館に行くってことだな! よしよし、あれからホムラがどれだけ魔法や術に詳しくなったか私がテストしてやろう!」
「メリルさん、少し落ち着かれたらいかがですか。まだ不死者として復活されたばかりなのですから、無理をすると身体に障りますよ」
「ぐっ……! そ、そうか……。不死者なのに身体に障るというのが少し意味が分からない気がするが……仕方ない。確かにちょっとはしゃぎ過ぎな気はしていたし……むぅ」
ユーミルに諭され大人しくなったメリル。
僕はそれを横目で見つつ先を続ける。
「……そして、一番の問題は井上の持つ『勇者』の力だ」
「『勇者』の女の力……? お言葉ですがホムラ様。あの女のことよりも、重要なのは『武者』の力を持つ男と、彼の下に集まっている他の能力者のほうではないでしょうか」
僕が井上の名を口にした瞬間、あからさまに表情を歪めたユーミル。
メリルもそれに同調し、下から僕の顔を睨み上げている。
どうしてそこまであからさまに嫌な顔をするのだろう。
今は議論をしているのだから、彼女の名を口にすることくらいは許して欲しい。
「……彼女の持つ『勇者』の力。あれは恐らく、僕の持つ力と同等か、それ以上のものだと思うんだ」
「へ……? ホムラの持つ力って、まさか――」
何かに勘付いた様子のメリル。
僕は彼女を見下ろし、そして首を縦に振った。
「……つまりホムラ様は、勇者の女もまた、他の召喚石の力を使えると言いたいわけでしょうか? しかし、どうしてそういう結論に……?」
ユーミルは僕に説明を求めてきた。
確たる証拠があるわけではないが、井上の今までの行動を見ていると、そう思わざるを得ないのも事実だ。
「最初に疑問に思ったのは、あの山岳地帯で烏庭と一緒に待ち伏せされた時だ。彼女は僕が二階堂や蓮見を殺したことを『大木から聞いた』と言っていた。大木は『亡者』の力を使えるから『口寄せ』で死者の言葉を聞くことができる。でも、井上はいつ大木と会ったんだろうって」
僕らが女神からあの神殿に召喚されたときは全員同じ場所から出発をした。
その後僕は砂漠で二階堂を殺し、ガレイの街で蓮見を殺した。
この時点で二人が死んだことに気付けるのは、亡者の力を持った大木だけだ。
ニーベルングの指輪は召喚石の在り処を地図に示すだけだから、二人が死んだことまでは分からない。
それから僕は要塞都市グランザルに向かい、大木を殺した。
僕の記憶では、その間は二日、多く見積もっても三日しか経過していないはずだ。
その短時間で魔の国に向かっていたはずの井上が、冥の国にいる大木と会うことなどできるのだろうか。
魔の国は遥か北にある、海に囲まれた孤島の中にあるというのに。
「僕が確信を得たのは、この前の井上の言葉からだ。『烏庭と扇を僕に殺させるため、彼女はあの山岳から僕を逃がした』と、そう言った。拒絶の石を奪われた僕に、彼らを殺す力なんてあるわけがない。――まるで彼女は、僕が他の召喚石の力を使えると知っているかのような発言だ」
「まさか……あの『学者』の女と直前で入れ替わったのも、他の召喚石の力を発現して……?」
震える声でユーミルはそう言った。
もしかしたら、僕が手に入れた三つの召喚石の中にそのような能力が備わっているものがあるのかもしれない。
『入れ替わり』、というのであれば忍者の石か、それともジルに託した曲者の石か。
もしも井上が亡者の石に備わっている『口寄せ』を発動することができたと仮定すると、僕の能力と違い、彼女は他の召喚石を手にしていなくともその力を発動できるということになる。
この仮説が正しいとすると、本当に脅威であるのは各国の王でも、秋山や他のクラスメイトらでもなく――。
――『勇者』の力を持った井上絵里、ということになるのではないか。




