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勇者の女と石の指輪

 ごろり、という音が部屋に鳴り響いた。

 一瞬の間を置いて頭の無くなった井上の首から大量の鮮血が吹き上がる。

 天井、床、テーブルと、見渡す限りの赤い世界。

 ――血の赤。僕の憎悪の赤だ。


「ひ、ひいいぃぃぃ! 首が、絵里の……首が……!!」


 部屋の照明が再び点灯した瞬間、扇は驚きのあまり半狂乱となった。

 首のない井上の背後に立つ僕がまだ見えていないのか。

 すでに忍者の能力は解除し、肉眼で確認できるようにしてあるのだけれど、彼女の脳は僕を認識していないようだ。

 僕は構わず井上の制服に手を伸ばす。

 そして彼女の持ち物の中に拒絶の石がないかを探した。

 しかし、どこにも見つからない。

 まさかすでに秋山の手にでも渡ってしまったのだろうか。


「あああぁぁぁ……! 絵里の首があああぁぁぁ! 絵里の……私の・・首がああぁぁぁ・・・・・・・!!」


「? ……『私の』?」


 僕は初めてそこで異変に気付いた。

 半狂乱となった扇は蹲り、井上の首が転がった場所の近くで叫んでいるのだと勘違いをしていた。

 僕はすぐさま宙を翻り、背後をとられないように警戒しつつ死神の大鎌を構えた。


「…………ふふ、やっぱり貴方だったのね。日高くん」


 のそりと立ち上がった扇はうっとりとした表情で僕を見つめた。

 ――いや、扇ではない。

 井上絵里・・・・

 そこに立っているのは紛れもなく井上絵里だった。


「……いつ入れ替わったんだ? 確かに僕は君の首を刎ねたと思ったのだけど」


 彼女の行動を注視しつつ、僕は彼女の足元に転がる首に視線を落とす。

 そこにあるのは目をギョロつかせ、涙と鼻水を垂れ流している扇の頭部だった。

 口をパクパクさせているが、もう言葉を発することは敵わないのだろう。

 そのまま彼女は静かに息を引き取った。


「今さっきよ。……久しぶりね、日高くん。ずっと貴方に会いたかったわ」


 淡々とそう話す井上は身を屈め、床に転がる扇の頭部を乱暴に掴み、持ち上げてみせた。

 そして優しく微笑んだかと思った直後、それを宙に放り投げたのだ。


「喰え」


『ガルウゥゥ!』


 突然獣の咆哮が聞こえ、何処からともなくあの大きな白い獣が現れた。

 そして大きな口を開けて扇の首を咥え、嬉しそうに咀嚼を始めた。

 僕は大鎌を振り上げ魔力を集中させる。


「ふふ、そう焦らないで日高くん。貴方と戦う気は無いわ。……今は・・、ね」


 彼女はそう言い、左手を僕に向けてそっと突き出した。

 そして掌を反転させ、薬指にはめてある指輪を僕に見せた。


「それは……『拒絶の石』?」


 指輪にはめ込まれていたのは紛れもなく拒絶の石だった。

 まさかそのような形で加工されているとは思わず、僕は今の今まで気付きもしなかったのだ。


「惜しいのだけれど、これは貴方に返すわ。これがないと大事な眷属フォルクを復活させられないのでしょう?」


「……」


 ニコリと笑いそう言った井上を僕は無表情のまま見つめた。

 彼女の意図は一体どこにあるのだろう。

 瞬時に扇と入れ替われるほどの能力を持っているのだから、僕に命乞いをしているというわけでもなさそうだ。


「ほら、外して。貴方の手でこの薬指にはめてある指輪を外して。ふふ、そんなに警戒しなくても大丈夫よ。さっきも言ったでしょう? 私は貴方と戦う気はないって」


「……君には無くても、僕にはある。君を殺す理由が」


「ええ、そうね。殺す理由・・・・。私は貴方に殺される。でもそれは今ではないわ」


「……一体君はさっきから何を言っているんだ?」


 このまま話していても彼女のペースに飲まれるだけだろう。

 僕を騙そうとしているのは火を見るよりも明らかだ。

 指輪を外せと言うのであれば、お望み通り外してやろう。

 その綺麗な指ごと、僕の大鎌で削ぎ落として――。


「私はね、日高くん。貴方のことを・・・・・・愛しているの・・・・・・


「……」


 大鎌を持つ手が一瞬だけ止まった。

 彼女の話を聞いては駄目だ。

 もう僕らに会話など必要ないのだから。


「麗子さんのことも好きだった。虐められていた私を助けてくれた天使のような人だった。私の初めての友達だった」


 聞いては駄目だ。

 彼女は僕の心に揺さぶりを掛けようとしているだけに決まっている。

 もう終わりにしよう。

 君はここで僕に殺される運命なんだ。


「貴方も――日高くんも、そう。私にとったらヒーローみたいな存在だった。ちょっと頼りないけど、麗子さんと同じで正義感が強くて、だから私は貴方のことを――」


「やめろ! 僕はお前を好きで助けたんじゃない! 姉さんが助けようとしたから、仕方なく協力しただけだ!」


 答えてはいけない。

 心を乱してはいけない。

 結局最後は井上も姉さんを裏切ったのだ。

 彼女を助けてしまったがために、奴らはいじめのターゲットを姉さんと僕に変更した。

 そして、姉さんは殺された。

 クラスメイト全員に、殺された。


「…………私を最初にいじめたのは、烏庭と詩鶴なの」


「……え?」


 思考が、止まる。

 僕はもう彼女のペースに巻き込まれている。

 このままでは僕は――。


「お喋りはそこまでにしてもらいます」


 不意に異界の扉が開き、そこからユーミルが飛び出してきた。

 そして短剣を井上の喉元に構え、彼女の腕を背中に向け固定した。


「ホムラ様。このまま『勇者』の女の首を落とします。よろしいですね?」


「……」


 僕は何も答えない。

 何も、答えられない。


「ホムラ様……! 目を覚まして下さいませ! 『勇者』の女の言葉に惑わされてはなりません! 今、ここで殺さなければ必ず後悔いたします!」


 ユーミルの言葉に僕の心は揺れ動く。

 しかし彼女に命令することを僕は躊躇している。

 『殺せ』と言うだけなのに。それだけなのに。

 僕は――井上の話の続きを聞きたいと、そう思ってしまっている。


「……教えてくれ、井上。今君は、最初に・・・君をいじめていたのは・・・・・・・・・・烏庭と扇・・・・だと言った。だから君はこの異世界に来てから、秋山たちのグループには属さず、その後二人と個々に落ち合ったと言うのか?」


 もしそうであるならば、その理由は――。


「ええ、そうよ。目的は、二人を・・・殺すため・・・・。――『いじめの仕返し』をするため。だって当然でしょう? 私はこの世界で勇者の力を手に入れたのよ? 私にとったら魔王を倒すことよりも、過去の恨みを晴らすほうがよっぽど重要だわ」


 彼女は淡々とそう話す。

 そして僕は彼女の言っている意味を理解できた。

 でもそれは同時に、彼女の浅ましい性格・・・・・・を露呈することに繋がる。

 ――僕の浅ましい性格を肯定することに、繋がる。


「……あの時、君は僕をあの山岳で待ち伏せし、烏庭にユーミルさんを誘拐させた。メリルを獣に喰わせて殺した。そして拒絶の石を奪い、僕を逃がした。目的は――烏庭と扇を・・・・・僕に・・殺させるため・・・・・・


「ふふふ、ああ……その目よ。日高くんのその目が、とっても愛しいの。ええ、貴方の言う通りよ。きっと貴方は二人を殺してくれると思った。そこの女を烏庭くんが攫えば彼を追って殺すだろうし、拒絶の石を私が奪えば、それを取り戻すためにここに来てくれると思っていた」


 恍惚の笑みでそう語る井上。

 つまり、全ては彼女の計画のうちだったというわけなのか。

 ならば彼女の持つ『勇者の力』とは――。


「僕に二人を殺させたのは、自分で殺してしまうと他のクラスメイト――特に秋山に・・・目を付けられてしまう・・・・・・・・・・からか。奴の持つ『武者の力』がどれほどなのかは知らないけれど、彼らは全員、秋山に絶対服従するだろうからね」


「ええ、そうね。その通り。私も命が惜しいの。いくら『勇者の力』を持っていたって、彼には絶対に敵わないから。でも、日高くんに殺されるのならば本望よ。私は貴方を愛しているのだから。愛するひとに殺されることほど、幸せなことなんてこの世には無いもの」


 そう言った井上は、再び薬指にはめられた指輪を僕に見せる。

 何の光も灯さない拒絶の石は、それでも彼女の細い指にピッタリと収まっているようにも見えた。

 浅ましい彼女にお似合いな、ただの石ころがそこにあるだけだ。


 僕はゆっくりと彼女に近付く。

 そして彼女の薬指から拒絶の石がはめ込まれた指輪をそっと外した。


「『拒絶の石』――。貴方にしか使えない石。私はその石に拒絶された。貴方からも拒絶された。でも――」


 そこまで言った井上は、いつの間にかユーミルの束縛から逃れていた。

 そして、すでに僕らにはその姿を確認することはできない。


「――いつか貴方を振り向かせるわ。そして、貴方に殺されるために、再び貴方の前に現れる」


 それだけ言い残し、白い獣と共に彼女は風となって消えていった。



 ――後に残ったのは扇の亡骸から零れ落ちた『学者』の召喚石だけだった。




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