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クラスメイトを全員、殺すということを

 姉さんが帰宅したのは深夜の0時を過ぎたころだった。

 やつれた顔で戻ってきた姉さんだったが、特に衣服が乱れているわけでも、顔に傷があるわけでもなかった。


「姉さん……! どこに行っていたの? あの男達は……」


「ただいま、焔くん。ごめんね、遅くなっちゃって。別に大丈夫だったから。私は、大丈夫だから」


 それだけ答えた姉さんは靴を脱ぎ、僕の脇をすり抜けていった。


「姉さん……」


 僕は彼女にそれ以上声を掛けることができなかった。

 姉さんが、それを拒否していた。

 僕と目を合わすことも、会話をすることも。

 何があったのか説明することも――。

 彼女は全てを拒否していた。



 それから毎晩のように姉さんは帰りが遅くなった。

 両親が泊まりで帰宅しない日などは、朝まで帰ってこない日もあった。


 次第に僕ら姉弟の会話は減っていった。

 相変わらず学校でいじめは受けるが、お互いに相談することは絶対にしなかった。


 そして姉さんが連れ去られた日から2週間後の朝――。

 僕は学校で信じられられないような噂が広がっていることを知った。


 『日高麗子は売春をしている』――。


 僕はその噂をしていた他のクラスの男子生徒の胸倉をつかんだ。

 そして真相を聞いて愕然とした。


 姉さんは、あれから大人達との売春に明け暮れていたのだそうだ。

 あの3人の男達だけではない。

 数十人単位で行為に及んでいたというその話で、僕の頭は真っ白になった。


 教室に戻ると、同じタイミングで担任の石原が教室に入ってきた。

 そしてすぐに姉さんを呼び出した。


 何も答えずに教室を出て石原に付いていく姉さん。

 もう、僕とは目も合わせてくれなかった。


 姉さんが教室から出ていくと、クラス中に笑いが起こった。

 そして僕に対して同情の声が寄せられた。


「あちゃー、やっぱヤリマンだったか日高姉」

「そんな気はしてたんだよなぁ。見た目はまあまあだし」

「あれじゃ、いじめられて当然よね」

「石原も頭抱えてんだろうな。自分のクラスから売春してる生徒とかマジ勘弁ってな」

「日高君も大変だね。あんなお姉さんを持っちゃって」

「金さえ出せば何でもするってマジ? くっそ、俺も早く声を掛けておけば良かったなぁ」

「お前、病気感染されるだけだぞ。何人の男とヤったか知らねえのか」

「うわぁ……。もうさ、学校やめてそういう仕事とかに就いちゃえばいいんじゃない?」

「正直な話さ、日高も姉さんとヤってんだろう? 教えろよ。どうだった?」


 僕はただ俯いたまま、拳を強く、強く、握りしめる。

 彼らの一言一言が、確実に、僕の中で形を変えて、醜く歪んで、別の力に置き換わっていく。





 その日の放課後、再び別の知らない男達と裏門から去っていった姉さん。

 石原も注意をしただけで姉さんを助けるつもりはないらしい。

 やはり秋山の父であるお偉いさんが怖いのだろう。

 もうこの学校には常識など通用しないと心底理解をした。


 今日は二階堂も大木もいない。

 僕はこっそりと姉さんらの後を追った。


 姉さんらは街から離れた廃工場へと入っていった。

 金網のフェンスの一部が切り取られ、そこから敷地内に出入りできるようになっていた。


 そっと金網を掻い潜り、僕は息を潜めて廃工場の入口付近に身を屈めた。

 そして中の様子を窺うと姉さんと数人の男たちの声が聞こえてきた。


「麗子ちゃん。今日は彼らを相手にしてもらえるかな」


 声の主は最初に合った3人の男のうちの一人だとすぐに分かった。

 別の男たちは見たこともない奴だ。


「……もう、これっきりにしてもらえませんか」


 姉さんの震える声が聞こえてくる。

 僕は胸が張り裂けそうな思いで息を潜め続けた。


「駄目に決まっているだろう。もう予約がパンパンなんだよ。この前の写真を見せたら、みんな麗子ちゃんが欲しいって言うし、君はもう逃げられないよ」


「そんな……」


「それに弟の……焔君だっけ? 君が犠牲になれば彼は助かるんだろう? でも、君が断れば――」


「分かりました。分かりましたから、焔にだけは手を出さないと誓ってください」


「いいね。そうやって物分かりがいいから、麗子ちゃんは人気があるんだろうなぁ」


 姉さんの周囲に群がる男達。

 僕は拳を握りしめ、一旦その場を離れることにした。


 ――もう、姉さんは穢れてしまった。

 僕のせいで。

 僕が彼女を守れなかったせいで。


 ――でも、まだ彼女を救える。

 ――僕が動けば、彼女を救える。


 その足でスーパーに向かった。

 そして手ごろなナイフを購入した。


 その足で再び廃工場に向かった。

 あの場にいる男を全員、殺すつもりだった。


 しかし、途中で姉さんとばったり出くわしてしまった。

 珍しく今日は早くに解放されたらしい。

 だが制服には汚れが目立ち、明らかに乱暴された跡が残っていた。


「……焔……くん?」


 僕の姿を見つけて、姉さんは目を丸くした。

 しかし、すぐに僕の右手の物に気付き、表情を豹変させた。


「!! こんなもの……駄目よ!!」


 僕の手からナイフを取り上げた姉さん。

 それでも無表情のままの僕を見上げ、ついに姉さんは泣き出してしまった。


「姉さん……」


「ごめんなさい……ごめんなさい……。私……本当は……嫌なの……。嫌なのに……!」


 姉さんは僕を強く抱きしめた。

 そして何度も何度も謝罪した。


 どうして、姉さんが謝るのだろう。

 悪いのはあの男達なのに。

 悪いのはあのクラスメイト達なのに。


「もう……しないから……! こんなことを焔くんにさせるくらいなら……! 絶対に、しないから……!」


 姉さんの涙が僕の首を濡らす。

 少しずつ、僕の心にも姉さんの言葉が響き始めた。


 姉さんは、僕が殺人を犯すことを望んでいない。

 それが分かっただけでも嬉しかった。


 ――まだ、僕らはやり直せるのだろうか。


 彼女の痛みを、苦しみを、僕は背負っていけるのだろうか。

 今夜は両親の帰宅が早い。

 2人で相談して、この街から引っ越そう。


 きっと両親も分かってくれる。

 僕と姉さんの現状を正直に伝えたら、すぐに動いてくれる――。



 ――しかし、悲劇は次の日の放課後に起きてしまった。





 次の日の放課後。

 家族会議の結果、別の学校に入学することが決定し、それを学校側に伝えにいった帰り。


 先に教室に戻った姉さんは、再びクラスメイトらにいじめを受けていた。

 僕は教室の扉の前でそれを目撃し、怒りと恐怖で身を縮ませていた。


 しかし、この仕打ちも今日までだと思えば耐えることができた。

 現に姉さんもいつものように悲痛な表情ではなかった。

 もう彼らに会うことはないだろう。

 新しい環境で、今度はまっとうな学生生活が送れる――。


 そう考えていたのもつかの間、大きな鈍い音が教室中に響き渡った。

 一瞬のうちに静かになるクラスメイト達。


 鈍い音の原因は、姉さんが床に頭を強打した音だった。

 足を引っ掛けたのは大木だ。


「うわ、すごい音がしたな。おーい、日高ー、大丈夫かー」


 動かない姉さんに向かい声を掛ける大木。

 それでも姉さんに反応がない。


 不審に感じた秋山が姉さんの口元に手を当てる。

 そして彼はこう呟いた。


「……こいつ、息をしていない」


 秋山の言葉にクラス中がどよめいた。

 僕はその言葉に頭が真っ白になってしまった。


 息を――していない?


「ちょ、ちょっと! どうすんのよ!」

「私は何もしていないわよ!」

「警察……いや、救急車を呼んだ方がよくね?」

「お、おいおい……マジかよ……。大木、お前やばくね?」

「俺のせいかよ……! あ、秋山君……! どうしたら……」

「落ち着くんだ皆。大丈夫、策はあるから」

「でも……」

「自殺したことにすればいいさ。いじめを苦に自殺なんて珍しくもないだろう?」

「え? でもそれじゃあ、俺らがいじめてたのがばれちゃうし、それにどうやって自殺に見せかけるんだ?」

「簡単さ。『いじめは起きていない』と学校側が主張する。僕らも『いじめていない』と口を揃える。そうすれば『本人がいじめられていると勘違いして自殺』にできるだろう? 自殺に見せかける方法は……そうだな。皆で日高さんを担いで、ベランダから放り投げたらどうだろう」

「5階のベランダから……投身自殺……」

「そうだ。これもクラス全員で証言者になれば、誰も疑わない。もしも疑う者が出てきても、僕の父さんがどうにかしてくれるし問題はない」

「で、でも……放り投げるなんて……」

「はは、何を怯えてるんだい? もう日高さんは死んでいるんだよ? これは殺人じゃない。事故でもない。彼女がいじめられたと勘違いして、勝手に投身自殺をするんだ。問題なんてないと思うけど」

「そ、そうだよ……! 秋山君が言うなら間違いないよ……!」

「なら早く日高を落とさねぇとな。誰か来たらヤバいし、お前ら全員手伝えよ」


 

 ――僕は、一体何を見て、聞いているのだろう。

 ――彼らは、一体何なのだろう。


 これが人間の、日本の高校生のすることなのだろうか。

 まったく理解できない。

 姉さんは死んだことも、自殺に見せかけようとすることも。


 ――全てが、理解できなかった。





 そのあと、すぐに学校中が大騒ぎになった。

 

 5階にある2年C組のクラスから日高麗子が飛び降り自殺をした――。


 職員室に呼ばれた僕は、今しがた見た光景をありのままに説明した。

 だけど、誰も僕の言うことを信じてくれなかった。

 それどころか、他所でその話をしたら退学扱いにするとさえ言われた。


 転校が決まっているのだから、余計なことをするなという意味だろう。

 僕は校長の命令を聞かずに、今度は警察に事情を説明した。


 しかし、ここでも同じ反応が返ってきた。

 すでに秋山は警察にも根回しをしていたらしい。

 もしかしたら、僕が教室のドアから覗いていたことを知っているのかもしれなかった。


 僕にはもう、頼るつてが無かった。

 事情を知っているはずの両親も、騒ぐわけでもなく淡々と葬式や告別式の準備をしていた。

 なぜ、あんなに冷静でいられるのだろう。

 しかし、理由はすぐに判明した。


 告別式にはクラスメイト全員が参加した。

 偽りの涙を流すクラスメイトを無表情で眺めていた僕は、秋山と両親が話している姿を目撃してしまった。

 両親は深く深く秋山に頭を下げていた。

 

 ――簡単な話だった。

 両親が務めている企業が、秋山大臣の息のかかった企業だったというわけだ。

 秋山の横にいる初老から分厚い封筒を受け取った両親。

 きっとあの中に多額の口止め料が収められているのだろう。


 ――もう、僕はひとりだった。

 姉さんという唯一の味方がこの世から去り、これからはずっと孤独な日々を過ごすことになる。


 生きてさえいてくれれば、いつか来る未来を想像することができた。

 しかし今はもう、それも叶わぬ夢となった。


 暗い部屋の中でひとり、テレビの光にナイフを映し出す。

 もう転校手続きも済んだが、僕は明日、もう一度2年C組へと向かう。



 ――クラスメイトを全員、殺すために。



 犬飼悠馬いぬかいゆうまを、大河原直人おおがわらなおとを、大木潤一おおきじゅんいちを、小笠原高志おがさわらたかしを、烏庭涼太からすにわりょうたを、桐生京四郎きりゅうきょうしろうを、千光寺隆一せんこうじりゅういちを、中山五郎なかやまごろうを、新島康志にいじまやすしを、二階堂陽一にかいどうよういちを――。



 扇詩鶴おうぎしづるを、緒方美鈴おがたみすずを、神原子音かんばらしおんを、小島美佳こじまみかを、蓮見明日葉はすみあすはを、蓮見綾香はすみあやかを、御坂玲奈みさかれいなを、六神薫むつがみかおるを――。




 ――そして井上絵里いのうええり秋山時雨あきやましぐれを。



 
















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