友人に裏切られて
「あはは! 日高さん、それ似合ってるわよ!」
ある日の放課後、御坂怜奈の笑い声が教室中に響いた。
「やっぱ日高さんって、もともとこういう趣味とかあったんじゃない?」
御坂に小島が続く。
その言葉にクラス中の女子生徒が笑い声を上げた。
「ふふ……ねぇ、焔くん。貴方も可愛いと思うでしょう? お姉ちゃんがこんな格好をしているのを見たことがある?」
大木と二階堂に後ろから押さえつけられている僕に声を掛けてくる蓮見明日葉。
僕は歯ぎしりをしながら目を背けるしかできなかった。
「ほら、よく見なさいよ。せっかく私達で日高さんの制服を可愛くアレンジしてあげたんだから」
「う……」
そっぽを向く僕の顔を強制的に姉さんのほうに向ける蓮見。
姉さんは俯いたまま、女子生徒らにされるがままになっていた。
まだ新品だった制服は乱雑に切り裂かれ。
スカートは半分以上も短く切られ、下着が見え隠れしてしまっている。
それを必死に隠している姉さん。
「へへ、いいなぁ日高は。あんな姉ちゃんと一つ屋根の下で生活してるんだもんなぁ。確か両親は共働きで2人とも帰りが遅いんだっけか」
舌なめずりをしながらそう答える二階堂。
その言葉を聞いた姉さんは顔を真っ赤にしてさらに俯いてしまった。
「あれ? やっぱそうなの? こいつらって『ブラコン』ってやつ? あ、いや『シスコン』か?」
二階堂が僕の髪を掴みながら嬉しそうにそう話す。
「うわぁ……気持ち悪いー」
眉を顰めてそう答えたのは六神薫だ。
彼女は井上の机に座り足を組みながら、嫌がる井上と肩を組んでいる。
教室にいるのは僕と姉さん、クラスの女子全員。
男子生徒は僕と大木、二階堂だけだ。
「でもさぁ、井上さん、ホント良かったよね。こうやって私たちの『制裁』が日高さんに変更になったんだから」
神原子音の言葉にびくりと肩を揺らす井上。
彼女は怯えたまま、姉さんがいじめられているのを眺めているしかできないようだ。
「秋山君の命令は絶対だからな。最初に『制裁』を言いだしたときは、どうなっちまうのかと思ったけど、やっぱ秋山君は違うよな。石原どころか校長や理事長まで見て見ぬふりをさせちまうんだから」
興奮気味にそう話す大木。
「秋山君のお父さんは国会議員だもんね。しかも法務大臣だし。いいなぁ……秋山君も法学部に行って、いずれは大臣とかになるのかな」
うっとりとした表情で呟く蓮見綾香。
「当たり前だろ。あの秋山君だぞ。法務大臣どころか、総理大臣になれんじゃね?」
「そうだよね。あれだけカリスマ性があれば、それくらいなれるよね」
「やっぱ秋山君の言うことは正しいってことだよ。だから私達は何も考えなくても大丈夫」
次々と秋山のことを褒め称えていくクラスメイト達。
誰もが疑問を持たず、『秋山時雨』という人間のカリスマ性に酔っている。
教師も、校長も、理事長も。
もしかしたら警察だって、秋山にとったら数ある『駒』の一つなのかもしれない。
――気持ち悪い。
このクラスメイト達が。
大人が、世間が、全てが――。
――間違った人間がのうのうと生きていられるこの世界が、気持ち悪かった。
「あ、そうそう。秋山君から例の件、井上さんから日高さんに変更してくれって言われてたんだ」
制服の胸ポケットからメモを取り出し、僕と姉さんに聞こえない距離でコソコソ話を始めた蓮見明日葉。
彼女の周りに集まったのは扇詩鶴と緒方美鈴だ。
他の生徒らもニヤニヤした顔で僕と姉さんを見つめている。
耳を澄ますと、聞こえてきたのは『30万』『お偉いさんの部下』という単語だ。
井上に視線を向けてみたが、相変わらず震えてしたを向いたままで何も反応が帰ってこない。
「ねえ、井上さん。日高さんにお礼は言ったの?」
蓮見ら3人に視線を向けた神原は、井上の肩を強く掴み問いかける。
「……お礼……」
「そうよ、お礼。駄目じゃない、お礼をしなきゃ。貴女のために日高さんが苦しむことになったんだから」
残酷な笑みを浮かべた神原が机から降り、強制的に井上を立たせた。
それを興味深そうに眺めている他のクラスメイト達。
「私が見本を見せてあげるわ。こうやるのよ」
椅子に座ったまま俯いている姉さんの前に立った神原。
そして彼女は――姉さんの頭に唾を吐いた。
「っ――!」
「『ありがとう日高さん。これからも私の身代わりになってね』」
神原がそう言うと、またクラス中に笑いが沸き起こった。
「ほら、やるのよ、井上さん」
「……い……や……」
「嫌じゃないでしょう。それともまた『制裁』をされたいの? せっかく秋山君が助けてくれるって言ってるのに」
「あっ……!」
井上の制服の襟を掴み、姉さんの前に向かわせた神原。
そして震えたまま姉さんの前で立ち尽くす井上。
ゆっくりと姉さんが顔を上げた。
そして、姉さんは――ニコリと笑ったのだった。
「……」
その顔を見て一瞬だけ驚愕の表情に変わった井上。
『どうしてこの状況で笑っていられるのか』。
きっと彼女はそう考えているのだろう。
僕は井上を信じていた。
きっと彼女は姉さんに唾など吐かないと。
手を差し伸べてくれた姉さんを裏切るようなことはしないと。
しばらく俯いていた井上だったが、次に顔を上げた彼女を見て、僕は絶句する。
――井上もまた、笑っていたのだ。
しかし、それは姉さんの笑顔とは違い、醜く歪んでいた。
そして彼女は、姉さんの顔に向かって唾を吐いた。
「――ありがとう日高さん。これからも私の身代わりになってね」
僕はこの時の彼女の声を、一生忘れることはないだろう。




