失った心の光
『キッキッキ……!』
何かの鳴き声が聞こえ、目を覚ます。
――まだ、僕は生きているのか。
冷たい雨が全身を濡らす。
身体を起こそうにも、まだ全身は動かない。
視線だけ起こすと、数匹の猿型モンスターが僕を取り囲んでいるのが見える。
わずかに動く指で召喚石を握ろうとポケットまで手を伸ばすが、そこには何もなかった。
もう、僕には『拒絶の力』は発動しない。
石を奪われてしまえば、僕はもうただの非力な人間だ。
……人間?
僕はまだ、自分のことを『人間』だと認識するのか。
3人もクラスメイトを殺しておいて。
この異世界の人間まで殺しておいて。
『キキー! キキキィ!!』
猿型モンスターのうちの一匹が、僕の頭を鷲掴みにした。
雨でずぶ濡れの僕の顔は、泥と濡れた髪が張り付き、その瞳は何も映していない。
――もう、人間を辞めよう。
考えるのを止めよう。悩むのを止めよう。
喜ぶのを止めよう。悲しむのを止めよう。泣くのを止めよう。
怒り、苦しみ、嘆き。
そんなものはもう、要らない――。
『キキィ!! キキィ!!』
ガブリ、と僕の腹に齧りついた猿型モンスター。
全身麻痺のせいで痛みを感じないが、右のわき腹から大量の血液とともに臓腑が零れ落ちた。
その拍子にポシェットの紐が破れ、僕の左手に開いたままのチャックの先端が触れる。
僕はぼうっとしたまま、左手をポシェットに突っ込み、《聖者》の召喚石を握る。
そして力を発動した。
『キキキィ!?』
見る見るうちに血液が蒸発し、傷口が塞がっていく。
零れ落ちた臓腑は、まるで巻き戻りの映像のように自然と体内へと仕舞われていく。
身体中を巡っていた毒も浄化され、全身の麻痺までもが消えていく。
そのまま僕は右手に視線を向け念じ、『聖者の槍』を具現化した。
その光輝く槍を逆手に持ち、僕のわき腹に齧りついたままの猿の脳天に突き刺す。
『ギシャアアアァァァァ!!』
雄叫びを上げ、僕を口から放した猿。
僕は奴の脳髄を掻きまわすように槍に力を込め、そのまま奴の身体を貫通させた。
『キキキッ!』
『キィ! キキィ!』
他の数匹の猿が一斉に僕に飛びかかってくる。
僕は石を《亡者》の召喚石に持ち替え、『死神の大鎌』を具現化した。
一旦、召喚石をポケットにしまい、それを左手に構える。
まったく重さを感じない、光の槍と闇の大鎌。
それらを振り回し、猿を一刀両断にする。
宙に舞う鮮血――。
それらが雨に濡れ、辺りはまるで血の海のようになり、岩肌を汚していく。
気が付くと、辺りはすでに静けさを取り戻していた。
聞こえるのは雨音のみ。
僕の全身に付着したおびただしい量の鮮血は、この雨量でも流しきれないだろう。
僕は槍と大鎌を消滅させ、もう一度《亡者》の石を左手に握り念じた。
――メリルの声が、聞こえてくる。
その声を聞いても、僕はまだぼうっとしたままだ。
彼女はただ、僕に優しく声を掛けてくれる。
そして、自分のことは気にしないで欲しいと切に願っていた。
この声が聞けるのも、残り10日だけだ。
それを過ぎてしまえば『口寄せ』を発動しても、彼女の意志を聞くことは出来ない。
僕は『口寄せ』を止め、冷たい雨に全身を委ねた。
そして再びその場に大の字に寝転がる。
井上も烏庭も、僕が他の召喚石を使えることを知らなかった。
……いや、そもそも《者の力》を宿した者が死ねば、その身に宿った召喚石が残ることを知らないのかもしれない。
大木から僕の話を聞いたと言っていたから、大木が知らなかった情報はまだ彼女らに届いていないということだろう。
僕にはまだ、奴らを殺せるチャンスが残っている。
しかし、奪われた『拒絶の石』が無ければ、メリルを救うことはできない――。
……救う?
僕が今までに誰かを救えたことなど、一度もない。
僕はただ、僕の『もの』を壊された腹いせがしたいだけだ。
――力が欲しい。
井上を殺し、召喚石を取り戻せる力が。
烏庭を殺し、僕の『もの』を取り戻せる力が。
――力が、欲しい。
全ての復讐を遂げることのできる力が。
誰にも負けることのない、絶対的な力が。
ふと視線を落とすと、左手に握ったままの《亡者》の石が光り輝いているのが見えた。
すでに持ち主はこの世を去っているというのに、まるでその輝きは女神に僕らが召喚されたときのようだ。
僕は何かに導かれるように、《亡者》の石を天に掲げ――。
――そしていつか見た欺王の『王者の儀』のときのように、その石を飲み込んだのだった。




