腐敗と再生の狭間で
図書館の帰り道。
僕の前を嬉しそうに歩くメリル。
でも僕はずっと考え事をしながら、彼女の後を付いていくだけだった。
いつの間にか宿に到着し、それでも考えることを止めない。
さっき調べた2つの召喚石の力――。
僕は脳内で何度もそれらの能力を反芻している。
「ホムラ、何か飲むか?」
メリルが僕に話しかけるも、僕は何も答えない。
僕がやろうとしていること――。
それは絶対に許されることではない。
そもそも本に記載されていた召喚石の他の能力を使えるかも分からない。
実際に試したのは《聖者》の石の回復魔法だけなのだから。
「おーい。……駄目だ、まったく聞こえていない……」
諦めた様子のメリルは、そのまま僕の背中にしがみ付いてきた。
それを退けようともせず、僕はただひたすらに考える。
成功する可能性は、高い――。
ただし、本人がそれを望んでいるとは限らない――。
しかし、それを確認する術をも、僕は持っているのだ。
「ふにぃ……。ホムラの背中、安心するぅ…………ぶぎゃっ!」
急に僕が立ち上がったせいで、背中に顔を押し付けていたメリルが変な声を上げた。
「あ、ごめん、メリル。大丈夫?」
「は……はにゃが……つびゅれた……(は、鼻が……潰れた……)」
涙目でそう訴えるメリルの頭を撫でてやる。
そして僕は真剣な表情で、鼻を押さえて蹲る彼女の前にかがみ込んだ。
「メリル、聞いてくれ。試したいことがある――」
◇
宿の裏にある空き地。
ここなら誰も来ないだろうし、人目にもつかない。
少し離れた場所で、心配そうな顔で事態を見守るメリル。
僕がやろうとしていることを、彼女は何も言わずに同意してくれた。
左手に《亡者》の石を握りながら、僕は念じる。
時間にしてどれくらいだろう。
恐らく数分くらいなのだろうが、まるで何時間もそこにいたような感覚――。
「……ホムラ。彼女は、なんて……?」
メリルの言葉を聞き、我に返る僕。
そして彼女を振り返り、首を縦に振った。
「……そうか」
それだけ答えたメリルは、少しだけ悲しそうな顔をした。
でもすぐに表情を引き締め、僕の目を見て同じように首を縦に振ってくれた。
「メリル。念のためにもう少し僕から離れていて。まだ完全に力の使い方を知っているわけじゃないから」
「分かった」
僕に言われたとおり、羽を広げ、空へと退避したメリル。
使用するのは『拒絶の力』の召喚石ではないとはいえ、リスクを回避しておくことに越したことはない。
もう一度《亡者》の石を左手に握り、念じる。
すると僕の足元を中心に赤い幾何学模様の魔法陣が地面に浮かび上がった。
大木はこの能力を使い、命を持たない骸骨姿の戦士を冥府から召喚し、あの教会に潜ませていたのだ。
地面から徐々に人型の肉塊が這い上がってくる。
身体のいたる箇所が腐敗し、まるでゾンビのようなその人物は――。
「う……!」
上空からその姿を見たメリルは口を押えてその場を去ってしまった。
それほどまでに醜悪で異臭を放つ彼女を前に、僕は静かに跪く。
『……ホ……ムラ……様……』
しわがれた声で、それでも僕の名を呼んでくれた彼女。
おぞましい姿のままこの世に召喚されたことを、一番嘆いているのは彼女自身だろうに。
僕は半分溶けかかったままの彼女を抱き、左手の石を《聖者》の石に持ち替えた。
こんな姿に変えてしまったのは、僕の責任だ。
絶対に成功させ、もう一度、直接彼女に謝りたい――。
左手から淡い光が照射され、僕と彼女を優しく包み込んだ。
『体組織の70%』――。
これさえクリアできていれば、彼女は――。
『うううぅぅ…………ぐうぅぅぅ…………!』
僕の腕の中で苦しそうに蠢く彼女。
強制的に齎された生と死の狭間で、それでも必死に僕の腕を掴み、新たな生を受け入れようとしている。
さきほど彼女と話した時の、彼女の言葉を思い出す。
僕をまったく恨んでおらず、僕が無事で本当に良かった、と――。
『あああああああああぁぁぁぁぁぁぁ…………!!』
腐敗と再生が均衡し、彼女の苦しむ声が辺りに木霊する。
僕は何度も何度も『蘇生』を使用し、彼女が復活することを祈る。
――駄目だ。
あと少しだというのに――。
「……あ」
ポケットから光を感じ、視線を向ける。
そこにあるのは『拒絶の力』を宿した召喚石だ。
《聖者》の石に共鳴しているのか……?
それとも僕の心に共鳴しているのか……?
彼女を殺した石。
ならば、今度は――。
『あああああああああああぁぁぁぁぁ………………!!!!』
『拒絶の力』を宿した石を《聖者》の石とともに左手に握る。
そして、強く念じた。
一層強い光が僕と彼女を包み込んだ。
その光が天を貫き、雲を溶かす。
「ホムラ!!」
力の波動を感じ取ったメリルは、慌てて上空から降りてきた。
危ないから僕の傍には近づくなと言っておいたのに。
あとでしっかりと叱っておかなきゃ――。
光の暴走が止み、僕は腕の中で眠る彼女をそっと地面に寝かした。
健康的な褐色の肌の女性。
腐敗していた箇所は全て再生され、生前と同じ姿となった彼女。
そして、僕は自分でも信じられないほどの優しい声で、彼女にこう告げたのだ。
「……お帰りなさい、ユーミルさん」