第6話 思い出してみたい
初恋はよくおぼえていないけれど、強いて挙げるのならば、それはきっと幼稚園のころの話になる。もちろん物事や人に対して好きとかきらいとかいうことに直情的な時期であったというだけで、恋だとか意識だとか、そういう言葉がわかっていたわけでは決してない。ただ、よくわかっていないながらに、なんとなく“好き”。近くに寄っていきたくなる感じ、妙に好奇心がそちらへ向いてしまう相手。それを含めていいのなら、という話だ。
その子の名前はおぼえていない。同じクラスだったのか、同じ学年だったのか、それすら記憶は頼りないが、まず学年は一緒と見ていいだろう。その子とは通園バスが同じで、その子はいつも私のところの次のバス停で乗ってきた。
当時の私は、通園バスに乗っている時間がひどく苦痛だった。幼稚園へと、いろんなところを遠回りしてから目指すバス。私は幼稚園が死ぬほどきらいで、とにかく行きたくなかったのだ。
バスは私を乗せると、さらに幼稚園から遠ざかるルートを走る。そうして遠方の子を乗せて折り返し、幼稚園へと向かう。ルートに従ってバスが遠ざかっていく間、私はおなかの辺りの不愉快な痛みをこらえる。幼稚園にはまだ着かない。そうやって自分になけなしの猶予を言い聞かせて耐える。あくびをすると少しだけ痛みが治まったような気がしたり、気休めにちょっと姿勢を変えてみたりして、やりすごす。
バスの中に友だちはいなかった。どころか、幼稚園でも私に友だちはいなかった。十人ちょっとのバスで、私はいつも、ひとりで揺られていた。
あるとき、私は自分の髪を後ろから引っ張られるのを感じた。先生は声をかけずに何かをすることはまずないし、そもそもドアの前の指定席に座って他の女の子たちと話をしていた。わけがわからなくて、私は反射的に、怯えながら振り返った。当時の私は心配性で引っ込み思案で、不安や不愉快さから逃げるのがこの上なくへたくそな子どもだったのだ。
振り返ってみると、後ろの席にいたのはとある男の子だった。すぐ後ろの窓際の席に座って、前のめりに浅く腰掛けて、私のほうに中途半端に手をのばしていた。私は振り返った勢いで、髪の毛をその子の指からうばい返したらしかった。
そのとき、彼がどんな顔をしていたのかはおぼえていない。
私は知らない顔にびくびくしながら、不機嫌に「なに」と尋ねた。髪を引っ張られた気がしたのは何かの間違いで、相手の短い返事を聞いてすぐに会話が終わればいいな、なんて思っていた。はやく何もなかった顔でひとりになり、また窓に頬をあてて、幼稚園に近づく不安をなだめなければならかった。
しかしその男の子は、どうして不機嫌なんだと言わんばかりに、自分は悪いことはしてないと主張して誤解を解くときの、少し強気な口調で返してきたのだった。
「髪がくっついてる」
男の子にとって、「もつれる」という言葉は出にくいものなのかもしれない。彼は再び私の髪を指にひっかけながら言った。ほら、ともつれた部分を目の前に見せる。
当時、私は長い髪の毛を結んだりまとめたりすることもなく、おろしっぱなしにしていた。ついでにいえば、ろくにとかしてもいなかった。父はあまり見た目に気を遣わない人だし、他の女の子たちがみんなきれいにとかした髪をリボンや飾りのついたゴムで毎日髪形を変えたりしていることなんて気づいていたのかどうかさえ、あやしい。髪を長くのばしていたのは私の意志ではなく、ただ単に「女の子だから」という、いいかげんな配慮のためだ。とはいえ、後に私が「ショートにしたい」と言ったときにはあっさり切ってくれたので、おそらく私が好きに選べるようにほうっておいてくれたのだと思うことにしている。短い髪のときに「あの子みたいに二つくくりがいい」なんて思っても、どうしようもない。長ければ、結ぶことも切ることもできる。ところが結局は、そんな配慮もそのころの私にはそれこそ小判のようなもので、持て余してしまって手入れもろくにしていなかった、というわけだ。自分の髪の毛のことなんて気にもならなかった。
ところが、とうの髪に触れてきた彼は、気になってしかたなかったらしい。他人の髪がどうだと気にかける感覚が、当時の私にはまったく理解できなかった上に、同じくらいの年の男の子としゃべったことのなかった私は、どう返したものかとすっかり意味がわからなくなってしまった。かろうじて、「髪がもつれている(くっついている?)」という彼の言葉の内容そのものは間違っていないと判断できたから、
「……うん」
とあいまいかつ神妙に、しかめ面で彼の言葉に同意を示した。
私としては、それで会話は終わったものと思い、前方に向き直った。
しかし向き直ったところで、また髪を引っ張られるのを感じた。今度はあまりためらいもなく、がばっと振り返ったが、そこで気がついた。そういえば、やめてほしいという内容のことを言ってなかった。だからやめないんだな、と私は考えた。これぐらいのことをいちいち考えないと話ができないような子どもだったのかと思うと、自分はよくここまで成長したなと微笑ましいくらいだ。
「なんだよ、ほどいてあげるだけなのに」
ほら前を向けというように、彼は少し立ち上がって身を乗り出すと、何も言えないでいる私の頭を両手で挟むように掴み、ぐいと私の顔を前に戻した。急だったこともあって、私はあっさり前を向いてしまった。存外にその力が強かった気がして、びっくりした。先生や父が、普段どれだけ力をゆるめて触れているのか、そのときちょっとだけ実感した。
私が黙っていると、彼はまた遠慮なく髪に触りはじめた。最初に引っ張られたところで二回とも振り返ってしまっていたが、びっくりの後遺症で振り返れずにいると、今度は慎重に髪の先のほうが解かれているのがわかった。頭の真ん中あたりから指を入れて、引っかかったところで端から少しずつ、絡み合っていた髪の毛がほぐされていく。
バスが大きく揺れた拍子に、髪が強く引っ張られて、私が思わず「いたっ」と声をあげたことがあった。
そのとき、その子はとっても自然に「ごめんね」と口にした。
普段から「ごめん」なんて言い慣れていない私には、その言葉を言うとき結構な準備がいった。それなのにその子はあまりにするりと言ったものだから、私は「変だなあ」とか「よくわかんないなあ」とか、どきどきしながら考えていた。
そうしていると、その子がまた「ねえ、ごめん」と声をかけてきた。私の頭の中に、また一段と謎が増すことになった。
「ねえってば。ごめんって謝ってるじゃん。ゆるしてよ」
と彼はしつこく言ってくる。
「怒ってる?」
私はそこでようやく、「ごめん」に対する返事を求められているのだということに思い至った。
しかし困ったことに、私はこんなふうに面と向かって真剣に謝られたことなんてないし、なんと言っていいか全然わからない。「怒ってない?」とか「許してくれる?」とか、せめてうなずけばすむような聞きかたをしてくれたらと思ったが、彼はしつこく「ねえ」と呼びかけるばかりで、それは期待できそうになかった。
返事をしないからこちらが怒っていると思ったのか、彼は髪から手を離した。そして私の座席の背もたれに顔を寄せ、まじめな顔をして返事をせがんだ。
私はうつむいたまま顔をあげることもできなかった。ちょっとでも振り返ったら、すぐ近くにその子の顔があるとわかっていたからだ。逃げだしたい気持ちになった。目を、見られたくなかった。
どう返していいかわからなかった私は、
「……うん」
と、文脈もかわいそうなほどの困り果てた返事をしぼりだした。
「なんて?」
声が小さくて聞こえなかったのだろう。その子がもう一度言ってくれというので、今度は「もういいよ」と私は言った。
今度こそ聞こえたのだろうが、いまいちピンと来ない、といった沈黙を返される。それまで沈黙を平然と作り続けていたのは自分のほうだということにも気づかずに、私はその子の反応がないのをおそろしく思った。間違ったことを言ったのかと不安になる。今にして思えば、よくわからない返事になってしまっていたのは確かなのだけど。
うまく伝わっていないことだけはわかったので、なるべくその子が言った言葉を忠実に使って、私は言葉をつぎ足した。はじめてのしゃべりかたをした。
「怒ってないよ。ゆるしてあげる」
本当は、「ゆるしてあげる」なんて偉そうなことを言いたかったのではなくて、「べつに謝ることなんてないよ」というようなニュアンスで言いたかった。きみは悪くないんだよ、ということが言いたかった。ついでに、返事をしなくてむしろこっちが悪いということもうすうすわかってはいたのだが、こんな場面に遭遇するのははじめてなので、何をどう謝っていいやら、それ以上声が出なかった。
おびえた私のことを不思議そうに見ながら、その子は笑っていた。
やっぱり私はおかしかったかと、どきどきしたけれど、相手が笑っているのだからとりあえずは解決したのだろうと思うことにした。
思えば、私はその子のことを「変だなあ」といろいろ考えて困っていたのだけど、彼にしてみれば、私のほうがよっぽど変な子だったにちがいない。
また別の日、その子と互いの名前を教えあったときのことも、おぼえている。
そのときも、やっぱり私の声が小さくて、聞き返された。バスの中はさわがしく、私たちは前後に座って、低い背もたれにお互い手をおいて、顔を近づけてしゃべった。幼稚園児だからか、そうした距離に対する気後れや気恥ずかしさはまったくなかった。私たちは鼻先が触れそうなほど顔を近づけて、名前を教えあった。
彼にそのくらい近づけるようになってからも、私はあいかわらず、会話を続けることができなくて、早々に話を打ち切ってしまっていた。後ろ向きに座って友だちとおしゃべりをしたことを、先生に注意された子がいたのを知っていたからだったと思う。
でも、それからというもの、決まったように後ろの席に座るその子が黙って私の髪をいじりはじめても、つっけんどんに「なに」とは言わなくなった。一度も「やめて」と言ったことはないし、「いいよ」と言ったこともないのだが、彼の指が髪にからまるのを黙って感じていることで、彼に「髪に触ってもいいよ」と伝えたつもりになっていたのかもしれない。ちっとも口に出しては言わなかったけど、毎日あたりまえのように髪の毛をほぐしてくれることで、その子が「わかった」と返してくれたような気がしていたのだろう。
そんなにうまい話があるかというのがもちろんで、あいかわらず彼はよく話しかけてくるし、返事をしなくちゃならないことはしょっちゅうだった。そんなとき、私はやっぱりまともに話ができない。
けれど、私は「うん」とあいまいにうなずくことしかできなくても、その時間が楽しかったのだ。先生に注意されないように、一度にしゃべるのは、ほんの少しずつ。聞こえにくいときには、ぐっとお互いに近づいて、言葉を交わす。
私とちがって、その子は幼稚園につくと男の子の友だちがちゃんといて、外で走り回って遊んでいたようだ。ただしバス通学をしていた中にはその子の友だちはいなかったのだろう。バスの中では、先生にあいさつするほかは、私としか口をきいていないようだった。
彼にとって、私の髪をほぐすことは、手もとの遊びのようなものだったのかもしれない。
けれども私は、話し相手ができたことが素直にうれしかったし、おしゃべりは苦手だったけど、その子に対してあいづちを打っているときは、いやなことを考えずにいられた。黙って髪にやさしい刺激を感じながら考えごとをするときも、幼稚園に近づくバスが通っている道や到着までの時間なんて、私はもう考えなくなっていた。髪がほどけていくさまに集中しているのでもよかったし、よくわからないその子の言葉を思い返してゆっくり考えてみるのでもよかった。おなかは痛くなくなった。どうやら乗り物酔いではなくて、ただの心配性だったようだ。小学生になってから、乗り物に酔うことは全然なかった。幼稚園ぎらいの私が自分で引き起こした“酔い”を、その子はあっさりと追い払ってしまったのだった。
あの子と前後に座ってすごす通学時間が、私は好きだった。髪の毛を切りたいとは夢にも思わなかった。私がはじめてショートヘアにしたのは、あの子のことなんてすっかり忘れてしまったころ、小学校高学年のときだ。そのときには忘れてしまっていたはずなのに、ときが経ってふとした拍子にこうして思い出せる程度には、あの子は今でも私の中に残っているらしい。
そして私には何より強く、不登校寸前の幼稚園ぎらいと口下手から私を救い出してくれたことについて、感謝の気持ちがある。今なら、それを言葉でまともに伝えられるから、私のことをちっともおぼえてなんかいないであろうあの子に、聞いてほしいと思うのだけど。
私、あなたのおかげで、「ありがとう」を言えるようになったのよ。
だから思い出してみたいな、あなたの名前。
きっと、なつかしい響きだ。