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遠くて青い  作者: 由佐
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第3話 トマトとかぼちゃ

前話「なすとトマト」とリンクしています。


 夕方になると、縁側から風がよく吹き抜けるようになる。長く昼間をただよってから届いたような、なまぬるい風。それでも、ないよりはずっとマシだ。

 おれは縁側にぐでーっと横たわり、少々遠くても聞こえてくる近所のばあちゃんたちのだべりを、ぼんやりした頭の右から左に聞き流している。額に貼った冷えピタはすっかりぬるくなっていた。貼りかえようかなあ、とまだ少し熱っぽい頭でのろのろと迷う。腹も減ったなあ、そういや、昼メシ食ってないし。

 冷蔵庫にトマトが入っているはずだ。さっき、近所に住む幼なじみの立村文佳(たちむらふみか)が持ってきたやつ。

 あのあと母親が帰ってきたみたいだが、そういやそのことをまだ言ってなかった。ついでに言っとくか。

 ゆっくり起きあがって縁側を離れる。スリッパは無視して、ぺたぺたと裸足のまま台所に入る。

「あらどうしたん、瑞貴(みずき)

 母親が、包丁を持った手をとめて振り返った。

「ん、トマト取りにきた」

「そうや、そのトマトとこのなす、だれが持ってきてくれたん?」

 まな板の上にごろごろしているのは、あいつが持ってきたなすのようだ。おすそわけには慣れているので、どこの家からのものか確かめずにもう使っている。

「ああ、立村のおばさんから」

「そやったら、あんた、立村さん町内会のことなんか言うてなかった?」

「いや、持ってきたんはふみ、……やったけど」

「なんや、ふみちゃんが? そうなん、久々やなあ」

「んー」

 面倒くさいのでもうそれ以上は返事をするのをやめた。

 冷蔵庫から表面がつるっとして冷たいトマトを一つつかみ出して、かぶりつく。

 縁側に戻るまでに、二口食った。風邪で鼻がつまってるから味はちゃんとはわからなかったけど、新鮮で瑞々しいのは間違いなかった。冷たくて、うまかった。

 けど――そのとき、おれの頭が急に沸騰した。おれは無性に我慢ならなくなって、その食いかけのトマトを苛立ちまぎれに渾身の力で投げ飛ばした。

 少し離れたところにある庭の木に高速でぶつかったトマトは、ぐしゃりと潰れて飛沫を散らし、下の草陰に落ちて見えなくなった。

 は、と吐き捨てるように短く息をついて、座りこむ。

「あーああ、うぜぇ」

 ひどい鼻声だった。べつにそれを確かめたくて言ったんじゃないけど。

 ただ、ちょっと声を出したくなっただけだ。

「瑞貴ぃ、なんか言うたぁ?」

 台所から母親が声を張り上げてきた。そういやいたんだった、めんどくせ。

「なんもねぇって!」

 しかたなく叫び返してやった。なんか、ばあちゃんたちの会話みてぇ。

 返事に満足したのか、母親は何も言ってこなかった。

 食いかけのトマトを突拍子もなく投げ捨てるなんて、まともじゃない。そんなの、他人事のようによくわかる。

 シュールな頭に、立村文佳が浮かんでいる。高校の制服のまま、靴下だけ脱いでつっかけを履いた、なんともダサい格好でやって来た立村文佳。頬骨のところが汗でテカった、化粧っ気のない地味な顔。近づいたときに香水の匂いもしない。

 あいつが野菜持ってやって来たとき、あいつのそんなとこばっかり目についた。なんつうか、進学校の女って冴えんなあ、とか思った。ま、あいつだけがああなんかもしれんけど。

 とにかく、あいつはおれの学校の女友達とは全然ちがってる。

 たとえば、ありえないことだが、ここに来たのがあいつじゃなくてマナやユカリだったら、おれはせめて額の冷えピタを剥がすくらいのことはしたと思う。同じ学校の、おしゃれでかわいい、遊び仲間の子たちだったら。

 ところがあいつだと、それくらいのことをする気にもならない。

 というか、そもそも会ったりしゃべったりする気にもならないかもしれない。あいつとは、もうまともに話せる気がしない。

 幼なじみとか、そんなんマジ嘘やん。

 それぐらいのレベルで、おれとあいつの間には、けっこうな隔たりがある。


 あいつがまだおぼえてるかどうかは知らないが、本当に幼いころは、おれたちは一緒に遊ぶような仲だった。とくに、おれの(うち)はばあちゃんが田んぼをやってるから、おれはあいつを誘って田植えやら稲刈りやらを手伝ってた。畑で一緒に芋を掘ったこともある。あいつの家で遊んでて、そのまま晩メシに呼ばれることもあった。

 おれとあいつは友達だったけど、それは結局、よくある田舎のご近所付き合いの一環にすぎなかった。小学校でそれぞれ仲のいい友達ができていくにつれ、互いの距離はみるみるうちにひらいていった。

 あいつはマジメで勉強が得意な、先生に好かれる学級委員長。一方おれは、ふざけて先生に叱られてばっかりの悪ガキ。小さな学校だからクラスが一緒になることも多かったんだけど、これじゃあお互い寄りつかなくても当然だ。少なくともおれは、関わる気が失せていった。

 おれには、「あー、あいつはちがうんやなあ」と思った決定的な瞬間がある。

 小学校三年生のとき、あいつの自由研究がコンクールで表彰されたのだ。なんの研究だったのか、さっぱりおぼえてないけど。たぶんおれには理解できなかったんだろう。

 あいつが、体育館のステージで賞状をもらったとき、全校生の前でスライドショーなんか使って発表してたとき。おれはただ、なんだあれ、って思ってた。あいつ一体、なにをしてるんだろう。なに考えてんだろう。とても同い年のガキには見えなくて、おれはあいつを敬遠するようになった。今思えば、あいつが得体の知れないやつになった気がして怖かったのかもしれないし、ひょっとしたら、あいつがとんでもなく遠くに行ってしまった気がして淋しくなったのかもしれない。

 だけど、あいつがどんなに大人びてようが、所詮おれには関係なかった。淋しかったなんて言ったらそれは嘘、言いすぎだ。学校ではあいつと関わる必要なんかなかったし、関わらないままでおれの学校生活は楽しかった。避けているわけじゃなくても、そもそも関わりなんかほとんどなかった。中学卒業まで、ずっとそんな状態が続く。

 高校は、お互いここから一時間くらいかかる街中にまで通ってるけど、偏差値は雲泥の差。小学校以来おれが漠然と思っていた差が、ここにきてはっきり目に見えた。なるほど、あいつは学区で一番の進学校に行き、おれは普通の公立には行けないバカばっかりの私立に行く。あまりにもわかりやすいじゃないか。


 おれが、あいつなに考えてんだろうと思って話す気が失せたのと同じように、あいつだって、おれとしゃべっても楽しくないってことをわかっていたはずだ。話が合わないってことに、気づいてた。

 あいつは学年が上がるごとに、いつの間にか頭のいい連中ばかりとつるむようになっていった。とくに中学ではそうだった。一応クラスのだれとでも話すんだけど、特別仲よくする友達は、そこそこマジメなやつらばっかり。学級委員仲間とか、塾の友達とか。男友達だって、おれらの学年のマジメなのが多くいたバレー部とかバド部とか、そのあたりのやつらばっかり。そいつらは、おれがいた陸上部の面々とは全然タイプがちがう。ああいう連中といるのが、話も合って楽しかったんだろう。

 中学でそうだったんだから、今はますますそうに決まってる。さぞ話の合う連中に囲まれていることだろう。

 おれとしゃべっても、あいつ全然楽しくないんやろうな。おれも、何しゃべっていいかわからんレベルやから、全然楽しくねぇし。

 それに、あいつはおれのこと見て引いてると思う。というか、おれみたいなバカ全般に対して引いてる。たぶん、おれがあいつのダサさに引いたのと同じように。

 昔は一緒に遊んでたのに、いつの間にかこうなった。あいつはダサくて、おれはバカ。それだけしか残らない。だから、何も話すことがない。あいつの話聞いても、もう何しゃべってんのかすらわからんかも。話が通じないような気までしてくる。

 だけど、今日、さっき、おれは確かにあいつとしゃべった。

 どうして、話が通じたんだろう。

「ただいまあ。ああ、帰ったよー」

 ばあちゃんだ。畑仕事を終えて帰ってきたのだ。庭を通って、こっちに向かってくる。

 田んぼや畑から帰ったときはいつも、玄関じゃなくて縁側から家に入る。こっちからあがった方が、風呂場に近いからだ。

 ばあちゃんは、小ぶりのかぼちゃを三つ抱えていた。

「みっちゃん、ちょっとごめんやけど、これ台所に持ってってくれんかいの」

 言い終わる前にもう、胡坐(あぐら)をかいたおれの足の上にかぼちゃを乗せてしまっている。おれの横で靴を脱ぎ、よっこらせと縁側にあがって、ばあちゃんは「ありがとうねえ」と皺くちゃの顔をさらに皺くちゃにして笑った。おれは「はいはい」と言うしかない。

 台所に持ってったら、母親は「ふみちゃんとこのお返しにしようかねえ」とそのまま三つともスーパーの袋に入れた。

 台所は、甘辛いしょうゆの匂いがしていた。なすは煮浸しになったようだ。

 このなすと、さっきのトマトのお返しに、今度は(うち)でとれたかぼちゃが、あいつの家に行く。

 あいつの顔とあいつの家が、頭に浮かんだ。

 母親が頼んでこなければ、それまでだ。おれは絶対、自分から「持ってってやろうか」なんて言わない。でも、もしも母親が頼んできて、「なんでわざわざ、おれがそんなん」って一言、渋らせてくれたら。

 そしたら、そのかぼちゃ、あいつの家に持ってってやってもええ。

 持ってったからって、あいつに会うとは限らない。会っても会わなくてもかまわないし、もし会ったって、しゃべらなくていいんだ。ただ――。

 ああ、やっぱりまだ熱が下がりきってないんだな。「なあなあ。ふみちゃん、かぼちゃ好きやったよねえ」とか言ってくる母親には返事をしないで、縁側に戻る。涼しい風にあたってはじめて、自分の頬の熱に気づく。はあああ、と長く息を吐きながら、ずるずると寝そべる。木の床が冷たくて気持ちいい。

 今日あいつとしゃべったのは、熱出して半分死んだおれだ。すかすかの、ふざけた脳みそだったんだ。

 まともな頭じゃ、あいつとしゃべることなんか、もうなにもないのかもしれない。

 そう思ったら、なんかふっと気が抜けて、また眠たくなった。

 潰れたトマトみたいな夕日が、もうすぐ遠くの山の向こうに沈む。夕日が消えてしまうのを見るより早く、なすび色した夜に落ちていく。



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