8 距離感バグってないか
二週間の自宅謹慎は、本当につらかった。
怪我の方は平気。我慢すれば普通に動き回れるし。
片づけをするほど私物も持っていない。
そこで俺は、寮の中を隅々までピカピカにし、予備の寝具を洗って干した。
さらに外壁を塗りなおし終わってしまって、がっかりとペンキを見下ろした。
「まだ三日もある……」
やばい、このままでは暇で干からびてしまう。
先輩たちが俺の苦境を知って、あれこれ書類仕事を持ち込んでくれなかったら、本気で危なかった。
食堂の一角を借りて、せっせと仕事に励む俺を見て、井上先輩だけはあきれた様子でつぶやいた。
「彗、それたぶん、いやがらせのつもりだぞ。喜んじゃってるけどさあ」
「暇なんで助かってますよ。先輩は俺にお仕事ないんすか?」
「初日にカットフルーツ買ってきてやっただろ」
「パイナップル! うまかったっす。あざっす!」
フルーツとスポドリとヨーグルト。
なんかまっとうにお見舞いって感じで、あれはあれで嬉しかった。
◆
二週間後には傷も薄くなった。痛みもない。
これなら許可が貰えるだろうと、俺はまず報告のため会社に出向いた。
チーフに謝ろうと駆け寄ると、犬でも追い払うみたいに手を振られてしまった。
「しっし! こっちはいいからさっさと和倉様に謝ってこい!」
「はい。行ってきます!」
元気に答えて、部屋から飛び出すふりをした俺は急停止して、ひょいと扉越しに顔だけ出した。
「チーフ、ありがとうございます!」
「おまえのためじゃない! 会社のためだ!」
怒鳴られるだろうと思ったから、あえての言い逃げだ。
俺は声を立てて笑って、駆け出した。
またここで働けることが、すごくうれしかった。
礼知さんのオフィスに顔を出すと、社員さんたちに囲まれた。
「彗君、もう怪我はいいの」
「はい、ご心配おかけしました!」
俺は堂々と半袖の腕を見せつけたけど、その歓迎っぷりに内心驚いていた。
本当に各方面に心配をかけていたらしい。
なかなか進めずにいると、待ちかねたのか社長室のドアが開いた。
「来たね、彗」
ドアにもたれるようにして、彼はどこか責めるような顔つきだ。
「礼知さん! この度は」
「うん、いいからおいで」
社員さんたちがサッと引いて道ができたので、軽く目礼しながら通り過ぎる。
礼知さんと目が合ったその時、ぐっと腕を引っ張られ、中へ引きこまれた。
彼はそのまま、クローゼットルームへ向かった。
久しぶりに嗅ぐ、青茶みたいなさわやかでほんのりと甘い匂い。
これって、ベータの俺がかぎ取ってもいいものなんだろうか。
謎の背徳感を感じていると、彼はニコリともせずに俺を見下ろした。
「じゃあ、脱ごうか」
相変わらず誤解を招きそうな物言いだ。
「あの、本当に見るんすか。もうそんな必要もないくらいですけど」
「見なければ判断できない。それとももう二週間静養する?」
「暇で死んじゃいます!」
俺は慌てて首を振り、ポロシャツを豪快に脱いだ。
「背中を向けて」
「もう好きなだけ見てくださいよ」
半分やけになってくるりと背中を向けた途端、そこへトンと指を当てられた。
「まだ少し跡が残っているね」
そう言いながら彼は俺の肩から背中にかけて指を這わせる。
俺は肩を震わせ悲鳴を飲み込んだ。
「痛む?」
「そうではなくて! 礼知さん俺、汗をかいてるんで」
「うん」
頷くわりにまだ傷あとをなぞるのをやめない。
「本当に、痛くはないんだね」
囁く声は、案じるような響きだったのだけど、俺はますます汗をふきだしそうになった。距離感バグってないか?
「もういいですよね!?」
許可は出ていないけれど着込んでしまう。たぶん礼知さんは、育ちがいいから暴力の痕なんて見る機会がなかったんだ。だから必要以上に心配しているのだろう。
俺と違って喧嘩なんてしたこともないに違いない。
振り返ったのだけど、まだ距離感がおかしい。いつもものすごく姿勢がいいくせに、今は首をかしげて身をかがめるようにしているから顔まで近い。
ぐう、直視できない。
この人、こんなに整った顔をしていたっけ。
いや、佇まいとか姿勢の良さとかで美しい人だとはわかっていたつもりだったんだけど。
俺はギュッと目をつぶって気持ちを立て直そうとした。ところが三つ数えて目を開けたら、礼知さんは顔をしかめてさらに詰め寄ってきていた。
そうか、返事をしてないから!
「も、もう全然平気です。ほら、ほら!」
俺は慌てて彼から距離を取り、腕をぐるぐる回して見せたり、その場で屈伸したりした。
元気アピールが功を奏したのか、ようやく礼知さんは納得してくれたらしい。ふいっと顔をそむけた。
「わかったよ。だけど絶対無理しないように」
ああ、よかった。
これ以上休めって言われたらホントそっちのほうが無理。
そこで安心しすぎたらしい。失礼しますと社長室を出たところで、俺は大変なことに気が付いた。
「お詫びしてないっ!」
わざとかな。そんな気もする。
どうやって解決したのかとか、礼知さんは大丈夫だったのかとか一切聞けなかった。
扉に両手をついて五秒ほど息を吐いたところで諦めた。
詫びたところで受け付けてもらえない、そんな気がした。
礼知さんはきっと、いつも通りを望んでる。




