4 秘密の書斎
深夜、俺は寝静まった地下街を歩いていた。
和倉様はすでにこのビルにオメガルームを一つ持っている。
参考までにそっちも見せてもらうことにした。
清掃の邪魔にならないように、こっそりのぞくスタイル。
オメガ向けの部屋って言うから、ひらひらふわふわ空間を想像していたら、いい意味で裏切られた。
中はシックなグレーで統一されていたのだ。
カウンターがあるせいか、バーを連想させた。行ったことないけど。
「わあ、大人の隠れ家! すげえカッコいい」
俺の言葉に年かさの清掃員さんがクスッと笑って雑談に応じてくれた。
「この部屋は珍しく男性向けなんだよ」
「珍しいんですか?」
「なんせ男性のオメガは数が少ないからなあ。そんなに作っても活用されないと考えるアルファが多い中、和倉様は不足を憂えてここを男性向けにしたそうだ」
清掃員さんは感心しているみたいだけど、それ、実は関心がなかっただけかもよ。
それに、男性向けと言っても結局利用者は女性が多いらしい。和倉様目当てだそうだ。
雑談しながら、俺はちょっと反省していた。
オメガルームと言われて、俺は無意識に、客はオメガの女性って決めつけてた。
それじゃダメだよな。
次の日にはようやく理想の形が見えてきた。
要となるのはソファーだ。
市内の家具屋を巡ってようやく納得のいくものを見つけた。
二人掛けのアンティーク調ソファーで、座面は深い緑。
なでると表情の変わるベルベット。
和倉様がここに座る姿を、容易に想像できた。
今日は完成形を見てもらう。
緊張三割、自信は七割。
「どうぞ。ご確認ください」
和倉様が窓に目を向けたのですかさず解説。
「ロケーションが悪かったので、いっそフロストガラスにしてみました」
窓枠は暗めのブラウン。カーテンはソファに合わせた深い緑。
ソファー、本棚、ライティングデスクの並ぶ室内を一通り眺めて、和倉様は首を傾げる。
「ここの空間を空けてあるのはわざと?」
「ああ、植物でも置きたくなりますよね。ただ、勝手な想像ですけど、和倉様はあまりに整いすぎた空間だと気詰まりなんじゃないですか?」
ほんの一瞬、彼の完璧な笑みが崩れた。
しゃべりすぎた?
なんか変な汗が出てきた。アルファってやっぱ迫力あるよな。
「オメガルームを私の好みにしてどうするんだ」
よかった。声は尖っていない。
なら、もう少し言っちゃおうか。
「聞きましたよ、和倉様。地階のオメガルームに一切立ち寄らないそうじゃないですか」
「そりゃ、オメガルームだからね」
「けど、オメガは部屋の主の訪れをひそかに期待するものだって」
雑談で仕入れた噂なんだけど、オメガは夢想するらしい。
アルファがフェロモンの残り香に気づいて、自分を迎えに来てくれる日を!
「ただ、この部屋に関しては、和倉様が実際に立ち入る必要はないんです。むしろ、立ち入らないことで完成するというか……」
「立ち入らないことで完成する?」
「コンセプトは『和倉様の秘密の書斎』です。そこに招いてもらえるのはVIP扱いのオメガだけ。デスクに向かって本を読みながら、和倉様の訪いを待つ。二人掛けのソファーに座って、和倉様が隣に座る日を夢見たりする」
俺はソファーでそのシーンを実演して見せた。「礼知さん」って乙女の顔をするオメガの気分。
普通に気持ち悪いな。真顔になってしまった。
「だけど実際には、和倉様は使わないんでしょう? だからここは、永遠に未完成です」
「惜しいな」
「コンセプトから見直します?」
「そうじゃなくて」
言いながら彼はすとんと俺の隣に腰掛けた。
爽やかな青茶めいた甘い香りが鼻をかすめる。
まさかこれ、この人のフェロモンなのか。
すごくいい匂いなんだけど……。
「オメガに使わせるのが惜しい。この部屋は確かに居心地がいいよ」
ヤバいな、めちゃめちゃ絵になる。これはもう――。
「完成しちゃった!」
思わず声に出すと、彼は一瞬ふっと笑った。
「気に入ったよ、彗」
え、名前呼び?
これだけでも驚きなのに、彼はさらに続けた。
「さっきのあれもよかったな。和倉様じゃなくて名前で呼んでくれただろう?」
「調子に乗りました!」
俺は慌てて立ち上がり、彼の傍へ膝をついた。
土下座をと思ったのだけど、その前に肩をポンっと叩かれた。
「その調子で、これからも頼むよ」
「これからもご依頼いただけるという? 光栄ですけど、和倉様まで悪く言われるかもですよ? 知ってますよね、俺の評判」
「人の評価なんて知らないよ。自分の目で見て君を選んだ。そういうわけだから、君も和倉じゃなくて礼知と呼ぶんだよ?」
「礼知様呼びですか!? ちょっと社に持ち帰らせてもらえますか」
「さんがいいな。あと、相談の必要はない。私が許したんだから」
王子様だ。間違いない。
断られるなんて思ってない人の口ぶりだよ!
ベータの俺が拒否できるわけもない。
それでも俺は、いくらか攻防を試みた。結果はもちろん惨敗。
礼知さん呼びが正式決定した瞬間だった。
それから礼知さんは、ちょいちょい俺を使ってくれるようになった。
同じころ、評判も少しずつ上向いていった。
俺って便利屋に向いているのでは?
――などと調子に乗り始めたころのことだった。お使いを済ませて社に戻ると、先輩方が何か揉めていた。
「おい、西の事務所でダンス要員出せねえって!」
「マジかよどうすんだ。一人足りないぞ!」
「ダンスするんすか?」
口を挟むと先輩たちはいっせいに俺を見た。
井上先輩がパッと顔を輝かせて俺を指さすと、嫌味な先輩はいつも通り顔をしかめた。
「そうだよ、彗がいるだろ!」
「榎並はまずいだろ! アルファ様がたっぷり来る予定だぞ!」
俺、信頼されてない。
ひとまず口を閉ざして成り行きを見守った。
「けど、今回の依頼は着ぐるみなんだし、顔は見せないよな」
「そういう問題じゃないんだよ! あいつの評価、世間的にはまだまだ底辺だからな!」
和倉様から指名されるからって調子に乗ってる。
などと言われればその通りなので俺は口を尖らせるしかない。
「よりによってチーフがいないときに!」
言われてみればこんなとき真っ先に反対しそうなチーフの姿が見えない。
「チーフはどうしたんですか」
「月に一度の家族サービスの日だ」
「ああ、なるほど」
そういえば午後から休むと言っていたかもしれない。俺はのんきに頷いた。
だが、みんなの顔は暗い。
「これを邪魔すると、ひと月先まで地獄だ」
ゾッとした様子で押し黙る。そんなにか。
そして、どんなに話し合っても、結局は他に任せられる相手がいなかったらしい。
苦渋の決断って感じで言い渡された。
「榎並、このダンスにはどうしても五人必要なんだ。そうでなければ、なにもお前なんかに!」
「言い方ひどくないっすか」
俺の文句はサラッと流される。
「動画流すから、明日までに完コピしておけ。あとその箱におまえの担当するタヌキが入ってる」
ちゃちな安っぽい着ぐるみを想像しながら箱を開けると、違った。
ゲームのキャラかなって感じのカッコイイ着ぐるみが入ってる。黄色の衣装がまぶしかった。
「やべえ、ガチで踊らなきゃならんやつじゃないっすか。てかこれタヌキじゃなくてアライグマじゃないすか? しっぽがシマシマ」
「知らん、とにかくやるからにはステップ間違えんなよ」
なんだよその言い方。
どうせ俺にはダンスなんてできないって思ってるんだろ。
見てろよ。キメッキメで踊ってやる!




