15 変にもやもやした
食事のお礼を伝えたかったんだけど、今朝は礼知さんに会えなかった。
ちょっと残念。
屋敷に着くと、俺はいつものように窓を開け放ち、軽く掃除を済ませた。
二階には広間と寝室と客間があって、ここにもびっしりとコレクションが入っている。
「民族楽器か……これは保留だな」
手入れ方法が不明のもの、触ると壊れそうなもの、すでに壊れているものは要確認だ。
功斉様のコレクションは手広いのですごく勉強になる。
だから毎日あっというまに過ぎてしまう。
正直まだここにいたい。なんなら泊まり込んで作業したい。
午後、車の音が聞こえたと思ったら、ふらっと礼知さんがやってきた。
「彗、どう、順調?」
スリッパでも用意しておけばよかった。……なんて、そんなの俺の仕事でもないのに、考えてしまった。
王子様の靴下だなんて、なんだか見てはいけないものを見ている気分だ。
けれど本人は、あまり気にしたふうもなく俺を二階へ手招いた。
「先日祖父と話をしてね。この屋敷、譲り受けることになったよ」
「え!? 昨日の今日で」
「うん。呼び出されたついでに決めてきた。」
なんというスピード感。
エリートの人ってみんなこうなのかな。けど確かに、即断即決のイメージはあるかも。
庶民の俺は妙にドキドキしてしまう。
「彗も言っていたけど、たしかにここの階段はすこし急だね。それもあって使いづらくなったそうだよ。祖母は足が悪かったからね……」
礼知さんは束の間、懐かしそうに目を細めた。
過去形だなって思ったけれど、俺は触れずにおいた。
「祖父も、ここを倉庫にしておくのは気が咎めていたらしくてね。大事に住むならと快諾してくれた」
「そうなんですね! 誰も住まないのはもったいないって思っていたから嬉しいです」
柱や屋根にポンポンしながら、良かったなって言って回りたいくらいだ。
へらへらしていると、礼知さんが微笑みながらこちらを見おろしていることに気が付いた。
まさか妄想が駄々洩れになったわけでもないだろうけど。
「彗の仕事ぶりもいたく気に入ったみたいで、それも決め手のひとつになったんだよ」
「へー! それは光栄ですね。俺、なんか礼知さんのおじいさんには――。いや、こんなこと言ったら失礼だな。やめときます」
「祖父に何? 気になる。というか、彗にも失礼とかそういう感覚あったの?」
「あるんです、一応は。舌を抜きたくなるような失言やらかしたあとは反省だってします」
礼知さんは、「反省?」と疑問形のうえ爆笑だった。
「う、礼知さんも実は俺になにかお怒りのことが……?」
「ないない! 彗は面白すぎるから隠しておきたいとは思うけど」
「それうちのチーフにもよく言われますよ」
「え?」
「おまえは表に出せない人間だって!」
「……ああ、なんだ。驚いた」
なんか一瞬、空気が冷えた? 隙間風かな?
礼知さんが住むなら対策しないと。
「それより、祖父に何を思っているって?」
「あー、怒りません? 俺、ものすごく一方的に、親近感のようなものを抱いてまして」
「親近感」
「ここのコレクションが懐かしく感じて。あっ、その。うちのじいちゃん、古道具屋をやってたんですけど、じいちゃんの店にあった物とここにあるものって、どことなく雰囲気が似てるんですよ。もちろん、価値は全然違うんですけどね! だけどちょっと懐かしくて」
「そうなんだ。……ふむ。そういうことなら、許す」
よかった。よくわかんないけどセーフっぽい! 図々しいって怒られるかと思った。
こっそり胸をなでおろしていると、礼知さんが「おいで」と歩き出した。
俺は彼に付き従い、部屋をひとつひとつ見て回った。
やっぱ似合うな。この屋敷に、礼知さん。
「そっか。礼知さん、ここに住むんですね」
実感したらじわじわと嬉しくなってきた。
実際住んでるところは見られないから、目に焼き付けておかないと。
写真、撮りたいな。
まっすぐに伸びた背筋や、整った横顔を見ているとうずうずした。
一階に戻るときは、先回りして礼知さんが階段を下りてくるのを待った。礼知さんは笑ってたけどゆっくり降りてきてくれた。酔っぱらって俺が見たいと言っていたのを覚えていてくれたらしい。優しすぎる。
俺がオメガならきっと今頃惚れてたね。
玄関ホールのまんなかまで来たところで、礼知さんがふいに振り向いた。
「それでね、ここの整理が終わったら、もうひとつ仕事を頼みたいんだ」
「俺でいいんですか?」
「うん。彗に頼みたい。この屋敷ごと、住みよい感じに変えてくれないかな」
「礼知さんの住む空間を、俺が!?」
それはつまり、この屋敷を丸ごとコーディネートしていいってこと?
俺はハッとして、礼知さんがいるほうに駆け寄った。転ぶとでも思ったのか、礼知さんが手を差し伸べてくれた。だが、俺の目当ては彼の後ろだ。
「だったら、この扉は修理に出したほうがいいです!」
擦りガラス入りの扉は美しいが、開け閉めするたびガタガタいう。それは礼知さんにはふさわしくない。
「彗」
「屋根も――あとキッチンも! 利便性考えたら、水回りは替えたほうがいいと思います。屋敷のイメージを壊さないようなの、俺、探してみます!」
「うん、ありがとう。けど少し落ち着いて」
「え? おち? 落ちつけます?」
どこから手をつけたらいいだろう。キョロキョロしていると、強制的に視線を奪われた。顎をキュッとつかまれて、礼知さんに覗き込まれる形で。
口は開いたままだったけど、言葉のほうは引っ込んだ。
礼知さんはパッと俺から手を離し、玄関ホールを見回した。
「屋敷にあるものは、すでに倉庫に送ったものも含めて好きに使っていい。気に入った物があると言っていたよね。ぜんぶ任せる。彗の好きなようにコーディネートして構わない。ただ、一点だけ。ふたり暮らしを前提にしてほしいんだ」
「ふたり暮らし!? いつのまにお相手が!」
「え?」
「うわあ、おめでとうございますっ!」
例のオメガのための部屋が役に立ったんだろうか。そうだとしたらよかった。だけど、そうか。ふたり暮らしか……。
思いがけない一言のおかげで、俺はすこし冷静になった。
「彗、その」
「相手がいるならその人の趣味もちゃんと聞き取ったほうがいいですよ」
「いや、だから、それはいいんだ。問題ない」
「そんな独りよがりなことを言っちゃダメですよ。一緒に住むならなおさら、ふたりで考えないと!」
「ふたりで」
礼知さんは、面倒なのかすっかり顔を曇らせている。
俺、もしかして余計なこと言ったかな。
「あの、じゃあいくつか案をお持ちします」
「うん。そうして。けど、本当に急がなくていいから。これまで通り丁寧な仕事を頼むよ」
「はぁ。……まあ、そうですよね、すぐには住めませんよね。修理の必要な場所だって他に出てくるかもしれないし」
唸っていたら、礼知さんのスマホが鳴った。
しまった。忙しい人なのに、引き留めすぎたかな。
「それにしても、どんな人なんだろうな」
車の去ったほうを見送って、俺は考え込んだ。
礼知さんのお相手なんて、俺にはちっとも関係ないはずだ。
そのはずなのに、変にもやもやした。
胸のあたりの妙な重さを追い出すように、俺は片付けに励んだ。
やることはいくらでもある。




