13 食事に誘われちゃった
その日、カギを戻しにオフィスを訪れると、礼知さんは不在だった。
仕事が押してるのかな。
最近、つい朝から礼知さんとおしゃべりしてしまう。今朝も秘書さんに睨まれちゃったし、俺のせいだったらどうしようか。
ちょっとソワッとしてしまった。
「彗君、社長を待つなら、こっちでチョコでも食べない?」
毎日顔を出しているせいか、社員さんたちは気さくに声をかけてくれる。
高級そうなチョコとコーヒーの香りにつられて、俺はそそくさと席に着いた。
帰り支度をしていたはずの社員さんたちが何人か集まって、軽く雑談という流れになった。
ふだん男ばかりの職場にいるから、年上の女性に囲まれて俺は心持ち肩を狭めていた。
「なんかさ、彗君てかわいいよね。小動物みたい」
「ですよね。ほら、こっちのナッツの入ったやつもおいしいですよ」
キャッキャ言われても、浮かれてはいけないヤツだ。男としては見られていない。
ようするに気安いのだろう。
てか俺、別に小さくないだろ。フツーだろ。礼知さんの横に立つから小さく見えるだけで。
多少の不満はチョコで帳消しにして俺はニコッと笑っておく。
「うまいっす」
「いやー、癒されるわ。社長も彗君が来るようになってからよく笑うようになったよね」
「へー、そうなんすか」
ニコニコしながらてきとうに答えていたら、いつのまにか礼知さんも戻ってきたようだ。
「彗!」
妙に焦ったような声だった。
「礼知さん。おかえりなさい」
立ち上がってぺこっと頭を下げると、礼知さんのしかめっ面がふと和んだように見えた。なんて、さすがに厚かましいか。
「ごめんね、待たせちゃって」
「あ、いえ。チョコを御馳走になってたんで。今日のぶんの報告、いいっすか」
「うん。おいで」
彼は簡単に頷いて、社長室に向かった。俺はチョコのお礼を言い、慌てて彼のあとを追う。
今日やった作業を口頭で説明し、仕上がった分の目録を手渡す。あとはカギを返せば終了だ。
「それではこれで失礼します」
「あ、待って彗! 今夜予定ある?」
「いえ、何か急ぎの仕事ですか」
「そうじゃなくて。面倒なことを頼んでしまったお詫びに、食事でもごちそうしようと思って」
突然の申し出に、とっさに返事ができなかった。えっと、コレ、断ったらかえって失礼になるヤツだよな?
思わず目を泳がせた俺を見て、礼知さんは苦笑いだ。
「それとも、チョコレートで満腹かな」
「いや、そんなことはないっす!」
気のせいだとは思うけど、どことなくチョコレートに含みがあるように聞こえた。まさか食べたかったのかな。
いや、とにかく返事だ。
「行きます!」
よろこんで!
「じゃあ、着替えておいで。リクルートでいいから、スーツがいいな」
「かしこまった店ですか!? 俺、テーブルマナーに自信がありませんっ」
「そんな気取った店じゃないけど、作業着じゃちょっとね」
俺は目を見開き、自分の格好を見下ろした。
会社に戻ると、チーフは今日も苦虫を噛み潰したような顔で俺を見た。
毎日、俺が何かやらかすんじゃないかと気が気じゃないようなのだ。
言うのはちょっと怖いけど、それでも、報告しないとあとでもっと怒られる。
「チーフ、今日これから礼知さんと食事行くことになりました!」
するとチーフは椅子ごとひっくり返りそうになった。
「え、あっぶなっ。大丈夫っすか?」
「お、おまえっ、今なんてっ!」
さいわいケガはないようだが、チーフはすっかり青ざめていた。机にしがみつきながら俺を見あげた。先輩たちもどよめきながら集まってきた。
「えーと、礼知さんから誘われちゃったんですよ。なんか断ると角が立ちそうだったんで、行ってきていいですよね」
フーフー息を荒くしていたチーフの顔が青から赤に変わって、額にビキビキと青筋が浮かんだ。いつもながらつまみたくなるほど見事だ。
「和倉様と呼ばないか!」
「本人のご意向ですけど」
「黙れ黙れぃ!」
社長は時代劇のお殿様みたいに首を振って、大げさにまくしたてた。
「いいか、榎並、なれなれしくするんじゃない! 顧客と適切な距離を保つこと。それがわが社のモットーだ。和倉様が許してもわしが許さんぞっ!」
「わかってますって。俺はいつでもビジネスライクです」
真面目な顔で言ったら、チーフはなぜか頭を抱えて妙なうめき声をあげた。マズいな、冗談が過ぎたか。
「でもチーフ、そうは言ってもですよ? いまさら和倉様なんて呼びかけたら、礼知さんはかえって気を悪くすると思うんすよね」
チーフのやり方にケチをつけるわけじゃないけど、礼知さんに限ってはあんまり遠慮しすぎないほうがいいんだよ。
顧客との適切な距離感なんてその人によって違うと思うんだ。
礼知さんは俺の失言を笑い飛ばしてくれるし、俺は彼が笑うとなんだか嬉しい。
そんなわけでチーフの小言は適度に聞き流し、俺は礼知さんの待つ店へ向かった。
足取りは、自分でもどうかと思うほど軽かった。




