1 街で一番
「彗、今すぐ脱いで」
きちんとしたスーツに身を包んだ男性から冷たく見下ろされ、俺は作業着の襟元をぎゅっと掴んだ。
二人で並んで話すには少々狭いクローゼットルーム。
アルファとベータにはあるまじき距離感だが、断じて色っぽい話ではない。
「あ、礼知さん、落ち着いてください。これは違うんです!」
顔の怪我を隠すように腕を上げたのは失敗だった。袖口が少し下がって、紫に変色した手首を見られてしまった。
しかも、かなり、じっとりと。
「自分で脱げないなら私が脱がそうか」
この人ならやりかねない。
焦った俺は、言い訳を放り出して起こったことをすべてぶちまけた。
「いや、誤解なんです! 出禁のはずのベータが着ぐるみダンスを披露した挙句、お嬢さんと駆け落ちするなんて騒ぎになったら――誰だって殴りたくもなるでしょう!」
いつも品行方正な礼知さんが、ぱかっと口を開けたまま黙り込んだ。
ああ、俺ときたら……。
なんでよりによって彼に、こんな顔をさせちゃうんだろう……。
高校の卒業式を済ませたその足で、俺は便利屋として働くためにこの街へやってきた。
そして初仕事でさっそくクライアントの不興を買った。
その因縁の相手をさらに怒らせちゃったわけだから、今度こそクビは免れない。
本当にどうして、こんなことになっちゃったんだろうな。
そう、はじまりはあの日――。
ダサすぎるパーティー会場の飾りつけに、思わずうなり声をあげたことがきっかけだった。
◇ ◇ ◇
「彗、何やってんだ。ほら、そっち持って!」
先輩の怒鳴り声はもちろん聞こえていたが、俺はうーんと首をひねった。
「本当にこの、歯茎みたいな色の壁紙貼っちゃうんですか? 白いピアノに合わせるならせめてもう少しスモーキーなピンクの方が……」
「歯茎っておまえな……、それがクライアントの依頼なの! 教えただろうアルファの命令には――」
「よろこんで!」
「よし、分かってんならちゃんと持ってろ!」
「へーい」
返事はしたものの、俺は顔をしかめっぱなしだった。
明日のパーティーのために、作業着姿の男たちがあちこちで忙しそうに働きまわっている。
俺もその一人。
「でもこれ、クライアントのお嬢さまの、誕生日パーティーでしたよね?」
お嬢様の好きな色がピンクという話だったけど、本当にこのピンクか?
それに明らかに盛りすぎだ。
ステージ中央のピアノは辛うじて白だった。だが、床にはウォールシールのハートが気持ち悪いほど貼られているし、背景には「LOVE FOREVER」と書かれた謎のネオンがかかってる。
客席に並ぶのは真っ赤なデザイナーズチェア。
なぜかラッピングペーパーに包まれている。
これって、座っていいもの?
コンセプトがいかれたパーティーとかならわかるけど、お嬢様の十四歳の誕生日にこれはない。
同情しちゃうよ。
よく、先輩たちは黙っていられるよな。
ひょっとして、おっさんたちには、この酷さがわからない?
設営が終わった後も、どうしても引っかかってしまって、俺はこっそりと会場に戻ってきた。
提案の範疇で、なんとかもうちょい改善できないかな。
などとおせっかいなことを考えていたのだ。
そして大きなため息をついてしまう。
「無理だな。せめてあの壁紙を引っぺがせばマシになるだろうに」
簡単にはがせるぞと、悪魔の囁きが聞こえてきそうだ。
「だったら何とかして頂戴!」
不意に幼い声が響いて、俺は慌てて振り向いた。そこには中学生くらいの少女が立っていた。ツインテールに黄色のふわっとしたスカートの。この子まさか……。
「壺河様の――お嬢様ですか?」
「そうよ! ねえ、それよりあなた、これ直せるんでしょう!?」
お嬢様は涙目だった。やっぱりこの惨状はお父上の暴走か。
同情はする、だけど理性はやっちゃダメって言っている。
「手直ししたいのは山々ですけど、クライアントの指示ですから」
「いやよ、あたし、こんなの!」
あたし、だって。
都会の女の子は、こんなしゃべり方をするんだな。
地元のクラスメイトとは全然違って、気取った感じだ。古い映画にでも出てきそう。
俺はちょっと逃避気味にそんなことを考えた。
女の子の宥め方なんて知らないし。
ところが黙っているうちに彼女の声が震え始めた。
「明日はお友達も来るのよ? それなのにこれじゃ品がないって笑われちゃうじゃないの」
ヤバいかな、これ。
クライアントを裏切るのと女の子を泣かせるの、どっちが重罪なんだ?
「ねえ、聞いてるの!」
「あー、申し訳ございませんお嬢様、社の決まりでそういったことはできないんです」
「だって、あたしの誕生日なのよ!」
彼女は両のこぶしを固く握って、ぐっと涙をこらえていた。
ここで彼女が、その涙を一粒でもこぼしていたのなら、俺は逃げ出していたかもしれない。
けれどお嬢様は譲らなかった。
その姿勢に感服したとか同情したとかではない。
俺は彼女の気持ちを言い訳にして、自分の美意識を守ったわけである。
下品なピンクの壁紙と、椅子をくるんでいた謎のラッピングを外す。
ステージ上のハートのウォールシールもかなり減らした。減らしただけと自分をごまかして。
そのあともちょいちょいと調整した結果、お嬢様にはお褒めの言葉をいただいた。
「信じられない、パパのセンスじゃないみたい! 可愛い!」
パパのセンスではないですねと、ツッコミは心の中に留めた。
「お嬢様、お父上に伝えてくださいね、自分の望みだって。ちゃんと取りなしてくださいね!」
「ええ、もちろんだわ!」
当日はお嬢様も大満足、クライアントである壺河様も笑顔だったらしいから、これはセーフかなと安心していたのだけど、あとから乗り込んできて怒られた。
「娘のために考え抜いた装飾をなぜ変えたんだ! 指示通りにできないベータなんぞ存在する価値もない! こいつを辞めさせろ!」
反論しかけた俺の頭を、チーフが無理やり下げさせた。
「申し訳ありません壺河様、榎並はまだ研修中でございまして! 今後このようなことがないよう、きちんと教育してまいります!」
「こんな若いだけのろくでなし、留め置いて何になる! 何がアイドルみたいな顔だ!」
お嬢様、取りなすどころか、さては余計なことを言ったな?
顔は関係ないだろ。
顔をあげて反論しかけたが、教育係の先輩まで俺の頭を押さえつけた。
「コイツ、高校卒業したばっかりで、まだ何も知らないんです! お許しください壺河様」
チーフと教育係の先輩が必死にかばってくれなければ、初日でクビになっていたところだ。
まあ、社にとってはそっちの方がよかったのかもしれないけど。
壺河様は怒鳴りこんだだけでは収まらず、俺のしでかしたことをあらゆる場所で喧伝した。
おかげで俺はあっという間に、街で一番評判の悪いベータになってしまった。
だけど捨てる神あれば拾う神あり。
どうやら面白い奴がいるらしいと、却って俺に興味を持った人がいる。
それが礼知さんだった。
彼はこの街でその名を知らない人はいない――和倉家の一員だ。
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