水火も辞せず
朝の光が、病院の白い壁を淡く照らしていた。
アルニカと隣家の娘は、女衒のおいちゃんに連れられ、廊下を歩く。
村の夜とは違う現実感。
冷たく張りつめた空気の中、アルニカはキョロキョロと視線を移す。
「これも、お前さんらのためなんだ。薄汚え客のガキなんか、はらみたくねえだろ?」
おいちゃんの声は軽い笑みを帯びていたが、アルニカは眉をしかめた。
病院の廊下を進むと、無表情の看護師や、制服姿の事務員が、忙しなく行き交う。
村から一歩も出たことのないアルニカには、その何もかもが異質だった――白い壁、リノリウムの冷たい床、そして消毒アルコールの匂い。
カチャカチャと鳴る金属皿。
目の前で麻酔の手を動かす大人たちに、まだ未成年のアルニカは、ただ押さえつけられるがまま。
感じたことのない恐怖に、息が詰まる。
その背後では、病院の裏事情がひそやかに動いていた。
出世するにも働き続けるためにも、賄賂が必要な役人、
収益が立たなければ、病院も立場も失う病院経営者、
経営者からの圧力に怯えつつ、地位と名誉から執刀の手を動かす医師、
置屋は妊娠されたら困ると依頼し、
ブローカーもまた、自己利益と残り少ない商材の未来を計算する。
本来は経産婦へのDV保護や貧困防止を目的とした善意の支援金――しかしそこに群がるのは、歪な社会構造が作り出したバケモノ。
すべての問題を置き去りに、ひたすら進む利権の絡み合い。
アルニカの目には、ただ淡々と、世界の不条理が映るだけだった。
手術室の扉が開き、冷たい光に包まれる。
アルニカは麻酔が効いてぐったりとして、まだ動けない。
表向きは存在してはならない、未成年への不妊手術。
アルニカは病院の冷暗所の一角で目を覚ます。
隠し場所にもおあつらえむきで、目覚めなかったらそれまでだ。
鼻をつく薬品の匂いも、寝かされたアルミベッドの硬さも、すべてが不安をかき立てる。
隣家の娘は、すでに置屋のママさんに引き渡されていた。
アルニカは女衒のおいちゃんと、別の置屋に向かって昼間の繁華街を街歩く――ただそれだけだった。
「……終わったんだ」
「な~に言ってんだよアルニカァ。これからが、はじまりはじまり~」
女衒のおいちゃんは、カラッと手拍子を叩く。
アルニカは、水火も辞せず、この都会を生き抜くだけ――。




