【第5局】確立の一手
日本棋院の特別対局室。
合宿の最終日、ナショナルチーム代表選抜の総当たり戦が始まった。
集められた若手棋士は8名。代表に選ばれるのは、勝率上位3名のみ。
盤を挟んだ空気は、日常の対局とはまるで異なる緊張感に包まれていた。
──一局一局が、未来を決める。
光志の初戦。相手は序盤型に強い厚み派の攻撃型棋士だった。
「星・三々……うーん、やっぱり“型”に逃げてるな……」
序盤、ツケ引き定石から小ゲイマで展開しようとした瞬間、ふと手が止まる。
直感が鈍っていた。
右上の一間バサミをためらった。中央の模様への展開が読めず、後手に回った。
結果、整地前に形勢は大きく傾き、投了。
「……まいったな」
二戦目、三戦目も、負けはしないが白星を掴めない。
どこか“勝ち筋”ばかりに目がいき、読みと感覚のバランスを崩していた。
「また守りに入ってる……“楽しく打つ”って、どこに行った」
中盤まで優勢に進めながら、ヨセでの小さな怯みが命取りになった対局。
まさに“勝てる碁を落とす”典型。
「勝ちに行こうとして、負けてどうする……」
迎えた四戦目。
盤上を見下ろし、深呼吸。
「──もう一度、自分の碁を打とう」
初手、天元。
周囲が一瞬ざわつく。
布石であえて中央に構え、相手の意図を崩す。
相手の二連星を無視し、三々をカカってから一間トビで割り込む。
局面は混沌としていた。
しかし、そこにこそ光志の呼吸があった。
「……打ってて、面白い」
五戦目、六戦目。
まるで少年時代に戻ったように、伸びやかに、かつ読みの筋は正確に──
左辺の攻防では、AI的には“損”とされるノゾキに誘いを仕込み、相手を振り回す。
読みの外側にある一手。
「どこまで見てるんだ、古賀……」
他の棋士がつぶやく。
だが、その手は確かに盤面に“音”を生んでいた。
──そして、最終戦。
相手は、加藤大河。
AI至上主義を貫く加藤の碁は、相変わらず正確無比だった。
「さあ、“印象”より“結果”を見せてくださいよ」
「そのつもりだよ」
初手から、互いに譲らぬ展開。
序盤は互角。
中盤、右辺での攻防。
加藤は早くも模様を確定させようと、実利重視の手を打つ。
光志は、その手にわずかな“揺らぎ”を感じた。
──ここだ。
相手の厚みに突っ込む。
手筋で切りを誘い、シチョウアタリからの利きを逆用して、中央を制圧。
「っ……!」
相手の目が揺れる。
終盤。
わずかな形勢の差。
だが、光志の“打ちたい手”が、それを超えていく。
──最終譜。
「……投了です」
加藤が静かに言った。
静寂。
次の瞬間、周囲から小さな拍手が湧いた。
「これが……古賀の碁か」
結果発表。
光志は、5勝2敗。
勝率的には3位ギリギリ。
だが、選ばれた。
代表の一員として、その名が読み上げられた。
「──古賀光志」
その瞬間、光志は天を見上げ、深く息を吐いた。
「“勝ちたい”だけじゃない。“響かせたい”んだ」
自分の碁が、確かにこの場所に届いた。
彼の“確立”は、ここから始まった。




