3.4母の最期
母の叫び声に気を取られたユアに一瞬の隙ができた。敵はその隙を見逃すことなく、ユアに向かって弓を放った。母の叫び声に動揺しているユアは、相手の放った弓に気付かず、矢の攻撃を背中に受けてしまった。
矢を受けて急いで後ろを振り向くと、さらにもう一本の矢がユアに向かって一直線に飛んできているところだった。ユアは攻撃を避けようと慌ててその場から立ち去ろうとしたが、別の木へと飛び移ろうと木の枝を踏み込んだ時に足を滑らせてそのまま地面に落ちていった。
木の下では、ユアを待ち構えていた人狩りが、着地の瞬間を狙ってユアに向かって剣を振り下ろした。
相手が振り下ろした刃があと少しで肩に触れるというところで、ユアはなんとか身を躱し、自身の剣を引き抜く動作から流れるようにして、相手の身体を切りつけると、目の前にいた敵はうつ伏せになって倒れこんだ。
あと一人、弓を扱う敵が森の中に隠れているはずだが、母の叫び声が頭から離れないユアは、相手をそのままにして、先へ進むことに決めた。
少し先の森の中を走ると、そこには地面に蹲る母の姿があった。母の脇腹には、無機質な紫色の瞳をもつ蛇の装飾がギラギラと輝いている。その蛇は母の腹から溢れる血を吸いとっているかのようだった。
「お母さん!」
ユアのその言葉に気付いた母は薄っすら目を開けた。
「ユア、来ちゃだめ。」
母の言葉なんて聞こえなかったかのように、ユアは母の元へ走り出した。
しかし、あと少しで母の元に手が届きそうだというところで、ユアは太ももに鋭い痛みを感じて、膝から崩れ落ちた。太ももを見れば、そこに紫色の蛇の瞳と目が合った。ユアは痛みに耐えながら、太ももに深く刺さったナイフを引き抜き始めた。ナイフを引き抜く時の痛みにユアは思わず目を固く閉じた。
引き抜いたナイフを見れば、その鋭い刃にはねっとりとした赤黒い血が纏わりついている。その赤く染まった刃を見ていると、ユアの視界に男物の黒い皮のブーツが映りこんだ。
ユアが顔を上げるとそこには、腰に一本の大きなサーベルと、数本のナイフを差した男がユアを見下ろしていた。しまったと思って、ユアは慌てて目の前の男から距離をとった。太ももの傷の痛みに注意が奪われていたのか、相手が気配を消すのが上手かったからか、ユアは相手が目の前に来るまで、全く気配を感じ取ることができなかった。
「この女の娘か。」
そう言った男の声はとても冷静だった。
「お前がやったのか。」
ユアは目の前の男に尋ねた。
「あぁ。俺がやった。」
その言葉を聞いた瞬間、ユアは男に向かって飛び出していた。
「ガイア、こいつを始末しろ。」
「了解だ、ジフ。」
ユアの目の前にいたジフと呼ばれた男と入れ替わるようにして、別の男がユアの目の前に現れると、ジフに降りかかっていた刃を易々と自身のサーベルで跳ね返した。その甲高い音を合図にガイアとユアの間に激しい金属音が途絶えることなく鳴り響いた。
目の前にいる敵とさきほどまでの連中とでは、明らかに強さも動きも違っていた。ユアが今までに戦っていたのは蛇の尻尾のような、紫蛇集の中でも下の奴らだった。今ユアが相手をしているのは、蛇の頭に近い奴だと感じた。
(こいつらを倒せる気がしない…。)
ガイアの刃を受け止めながら、ユアはそんなことを考えてしまった。ユアのその心の隙を狙ったかのよに、ガイアは血が溢れるユアの太ももに蹴りを入れた。あまりの痛みに膝をついて、ユアが顔を上げた次の瞬間には、もう目の前にガイアの鋭い刃があった。
「これで、お前も母親も終わりだな。」
そう言ったジフの持つサーベルの先に、母の心臓があった。
「やめて!」
ユアはそう叫びながら、自分に向けられたガイアの刃を跳ねのけて、ジフに立ち向かったと思った次の瞬間には、ユアの薄い腹にジフの大きなサーベルが突き刺さっていた。
ユアの腹を抉りながら、ジフは薄ら笑いを浮かべていた。すべての戦いは相手の掌の上だったことをユアは悟った。ユアは腹から溢れる血を見ながら、このまま母と二人で父の待っている天の国へ行こうと思った時だった。
「ユア!」
ユアに追いついたエテルの叫び声が森の中に響いた。夜の森に潜んでいた鳥が、その声に驚いて一斉に木から飛び立ち、辺りは鳥の鳴き声と羽の蠢く音に包まれた。
「河原には、ゼノがいたはずだ…。いくら若くても王の騎士団は伊達じゃないな。」
ジフは驚いた様子でエテルを見た。
「ジフ、どうする。」
「お前は手を出すな。」
ジフの命令にガイアはサーベルを下ろした。
「おい、そこの若い騎士、交渉だ。この娘の命は取らねえ。その代わりお前は娘を連れて城へ帰れ。始末しないといけないのは、この女だけだ。このまま邪魔をするようなら、この娘も道連れにする。」
ユアの腹に刺さった大きな刃が引き抜かれ、ユアはその場に倒れこんだ。それを見たエテルは急いでユアの元へ駆けつけ、その身体を引き寄せた。
「ユア」
今まで聞いたことがないようなエテルの切羽詰まった声が耳に届いて、ユアはそっと目を開けた。一度瞬きをすれば、零れそうなほどの涙が翡翠色の瞳に溜まっていた。
「エテル、ユアを連れて城に帰って。ここで全員が死ぬ必要はないのだから。」
母の掠れた声が二人に届いた。
母の言葉を受けて、エテルはユアを抱きかかえた。ユアの傷口から止めどなく溢れる血が、エテルの手を赤く染めていく。
「私をここに残して、エテルだけ逃げて。」
「それはできない。」
ユアの振り絞るような願いをエテルは拒否した。この状況を己の力で変えることのできない悔しさに、エテルは強く唇を噛みしめる。
「お願い、降ろして…。お母さんを置いていけない。」
ユアはエテルの腕を振り解こうと暴れたが、その力は弱々しいものだった。
「ユア」
自分の名を呼ぶ優しい母の声にユアは足掻くのを止めた。光を失いつつある母の黒い瞳がユアを見つめている。
「ユア、いつか必ず国を取り戻して…。」
「おかあさん。」
ユアの頬に大粒の涙が伝っていく。
「ユア、愛してる。」
母の言葉がユアの頭の中で痛いほどこだまする。
「エテル、ユアをお願い…。」
エテルはユアを一層強く抱きしめ立ちあがると、馬に跨り、もと来た道を走り始めた。冬の気配を感じる秋の冷たい風が二人の肌を撫でていく。風に揺られた森の木々は乾いた音を立てていた。ユアは自分の身体が徐々に冷えていくのを感じながら、意識を失った。
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