2.1戦いの果て
しばらく森の中を走り進めていると、水の流れる音がユアの耳に届いた。森を抜けるとそこには一本の大きな川が流れていた。この川は、アスタリアの領地とルアーニア人の領地の境目を表す川だった。
普段なら、泳いで渡れる程度の川だが、雨で川の勢いが増して、渡るには危険な状況になっていた。
(でも、川の水が落ち着きを取り戻すまで待っていられない…。)
一番泳ぎやすそうな場所を探そうと辺りを見回すと、対岸に灯りが一つ漂っているのが見えた。ユアはその灯りの付近に大きな橋が架けられているのに気が付いた。
(お母さんとこの川を渡った時にはあんな橋はなかった。あの灯りの持ち主は一体誰…。)
ユアは橋に近づいて行った。対岸に漂う灯りの持ち主の姿はここからでは、見えなかったが、この川を泳いで渡るよりかは、相手が誰であれ戦った方がいいだろうと結論付けて、ユアは馬を走らせた。
橋を渡り始めると、徐々に相手の姿が見え始めた。相手の右肩には五本の剣が描かれた紋章があった。
(アスタリアの兵がルアーニア領にいる。しかも、彼は軍の中でもトップクラスの兵士だ。)
ユアは心臓が大きく脈を打つのを感じた。
「そこを止まって、顔を見せろ。ここに何の用だ。」
ユアの走る馬に気付いた兵士は声を大きくしていった。ユアは走る馬を止めて、降りると、左手に手綱を握りながらゆっくりと男に近づいて行った。ユアが歩いて自分に向かってくる様子を見た兵士は再度忠告した。
「俺は馬から降りろと言ったんじゃない。そこに止まれと言ったんだ。」
相手の2回目の忠告でユアは歩みを止めた。ユアはちょうど橋の真ん中に立っていた。
ユアが止まったのを確認した兵士は剣を構えながらユアに近づいてきた。
「何者だ。顔を見せろ。」
男が剣の先でユアの被っているフードを外そうとした時、ユアは自分の腰に差してある剣を思いっきり引き抜き、相手の身体に切り込もうとした。しかし、あと少しで刃が相手の身体に触れるというところで躱されてしまった。
「貴様、アスタリアの兵士に刃を向けるということがどういうことなのか分かっているのか。」
そう言い放って、兵士はユアに向かって剣を振り下ろした。ユアはその重い剣をなんとか受け止めたが、単純な力の差で押し返そうにないことを悟ると、そのままその剣を流して脇に逸れた。
相手が再び襲い掛かかろうとした時、ユアは着ていたマントを脱ぎ捨てて、相手の顔面向かってに投げつけた。ユアはその隙をついて相手に切りかかると、刃は相手の脇腹に深く突き刺さり、兵士はわずかに呻き声を上げた。しかし、兵士はその痛みに対して動揺する様子もなく自分の脇腹に刺さった刃を掴みながら、彼の目の前を覆うマントを投げ捨てた。濁流が轟轟と流れる橋の真ん中で二人の目が合った。
「俺が戦っていたのは、この国の王女様だったわけか…。」
蔑むような相手の声が雨音に交じってユアに届いた。
「あなたがここに逃げてきたということは、ネリアス様の子が無事に生まれたわけだな…。」
ユアは相手の脇腹に刺さったままの剣をなんとか抜こうとするも、相手の刃を掴む力が強く、引き抜くことが出来ずにいた。むき出しの刃を握り絞める手から血が溢れて、鋭い刃に伝っていく。男の昂った息遣いが辺りに響いている。
「もともとアスタリア人は海賊だった。大海を渡り、この地に辿り着き、そして、呼び笛を手にするための争いの末にできた国だ。その呼び笛の音すら鳴らすことのできない奴が、この国の王になる資格はない。この国の軍を支配するネリアス様こそが、真の王なのだ。」
興奮した様子の兵士の言葉にユアは何も言い返すことができずに、ただ歯を食いしばっていた。
ふと、彼の刃を握る力がふっと弱まって、剣が抜けた。剣を引き抜くため力を込めていたユアは、その反動で思わず後ろによろけた。
その様子を見た兵士は大きな声を出して笑うと、ユアに刃を振り下ろした。ユアはその刃を受け止めたが、相手の力に押されて、徐々に橋の淵に追いやられていった。
いっそのこと川に身を投げ出して逃げようかと考えたその時だった、大人しくしていた馬が急に暴れ出して、押し合うユアと兵士に迫ってくるのが男の背後に見えた。男は興奮していて周りが見えていないのか、迫りくる馬に気付いていないようだった。
ユアはギリギリまで相手の刃を受け止め、馬が間近に迫ってきたというところで、身を引いた。その動きを不審に思った兵士が後ろを振り向いた瞬間、兵士は馬に突き飛ばされて、川へ落ちていった。男の叫び声は濁流音に混ざって消えていった。
「ありがとう。私を助けてくれて。」
ユアは息を整えながら、馬を優しく撫でた。
(私が王女に相応しくないことくらい、私が一番知っている…。)
その気持ちを察したかのように、馬はユアの身体に頭を寄せてきた。ユアは小さな笑みを浮かべると、気を取り直して馬に乗り、橋を進み始めた。
橋を渡り終えようとした時、ユアは近くに小さな小屋があるのを見つけた。
(橋を守る兵の休憩所だろうか…。あの戦いでルアーニア人はアスタリア兵を追い返したはずなのに。)
様々な考えを巡らせながらユアは目の前に広がる大きな森を見つめた。
二年前、ユアの叔父であり、アスタリアの軍師であるネリアスは大軍を率いて、ルアーニア人の住む領地に侵略して行った。その戦いが起こる数週間前、ネリアスがルアーニア領を攻めようとしていることを伝えるために、母とユア、そしてエテルの三人は城を抜けだし、ルアーニア人の集落を目指した。そして、無事にこの川を渡り終えて、森の中を進んでいたところに、三人は人狩りに見つかり、母は命を落としていった。
その後アスタリアの大軍はルアーニア領に攻め入り、戦いを起こしたが、互いの戦力が互角だったのか戦は硬直状態に陥り、結局アスタリア軍は城へ戻ってきたと聞いていた。
(あの時、私たちが何か行動を起こしたところで、結局アスタリア兵はルアーニア人に押し返された。だから、あの戦いを止めるために、母が命を落とす必要はなかったと思っていた…。)
目の前に広がるルアーニア領の森は、木々の背が一層高く、陽の光も通さないのではないかと思うほど葉が生い茂っていて、夜の森を一層暗くしているようだった。
(でも今、ルアーニア人の土地でアスタリア兵がうろついている。あの戦いのせいで、ルアーニア人は故郷を手放すことになったのだろうか…。お母さんが命を懸けて止めようとした戦い。私が止められなかったあの戦いの果ての姿をこの目で確かめたい…。)
そう決心したユアは、馬と共に暗い森に足を踏み入れていった。
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