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1.2逃亡

 いくつもの扉が連なる長く暗い廊下に、女の叫び声が響いていた。数ある扉の中で、最も豪華な装飾が施された大きな扉の向こうから、その叫び声は聞こえているようだった。


 扉の前には見張りの兵士が二人。一人は体格の良い中年の男。もう一人は、琥珀色の珍しい瞳をした青年が立っていた。体格はやや中年の兵士に劣るものの、すらっとした長い手足に無駄のない引き締まった身体をした、人目を惹く青年だった。長い間この扉の前で見張りについていた二人の顔からは、眠気と疲労が滲み出ていた。


中年の兵士は、胸のポケットから懐中時計を取り出すと、「あと少しで交代の時間だ。」と呟き、懐中時計を元に戻して、代わりに煙草を取り出して口に加えた。


「ここで吸っていいのですか。」


その様子を見ていた青年は男に尋ねた。


「いいだろ、これくらい。何もせず何時間も立ちっぱなしで見張に就く方が無理だろ。」


気だるそうに言葉を返すと、男は人差し指から小さな火を生み出して、口元の煙草に添えた。煙草に火が付いたことを確認すると、風を起こして火を消した。


「お前、二年前の事故から火の魔法は使えているのか。」


男は青年に問いかけながら、煙草の煙を吐き出すと、甘い香りが辺りに広がった。


「はい、何とか。」


「そうか。あの事故がなければ、お前はとっくに俺の階級を越えて、最上級の兵士になっていただろうな。」


そう言った男の右肩には、アスタリア軍の兵士である意味を表す剣の紋章が付けられていた。彼の肩には剣が四本、青年の肩には剣が三本、描かれている。彼らの属する軍隊では、隊服の右肩に描かれた剣の本数が、軍の中での階級を表していた。


「火の魔法すらまともに操ることができない。それが俺の実力です…。」


「左腕には、まだ少し麻痺が残っているらしいな…。」


青年は男の問いかけに対して頷いた。


「昨日、お前の訓練試合を見かけた。麻痺が残っても、あれだけ剣を扱う技術がある。さすがは、王の騎士団の第三隊長を勤めていただけのことはあるな。」


青年は前よりも重く感じるようになった左腕をゆっくり動かすと、手の甲を見つめた。そこには、鳥の翼の形をした刺青が施されていた。


「王の騎士団が解体されて、もう何年も経つ。まだここに残っている奴らはいるのか。」


「隊長クラスは俺だけです。騎士団が解体される直前に入隊した兵が少しは残っていると聞きましたが、ほとんどは、ここを出ていきました。」


「そうか…。たった数年前の時代が、これほどまで懐かしいと感じることになるとは思っていなかった…。時代はあっという間に姿を変えていくな。」


そう言った男の目はどこか遠くを見つめているようだった。気づけば、男の口元にある煙草が短くなっていた。


「そういえば、最近ルアーニアの領地で、魔法の遺跡が見つかったのは知っているか。」


男のその言葉に青年は首を振った。


「新しい魔法ですか。」


「あぁ。まだ、剣使いの兵士は知らなかったのか。今少しずつ弓使いの兵士があの遺跡に赴いているはずだ。あんな魔法をルアーニア人が持っていたとは思っていなかった…。」


短くなった煙草は男の掌の中で握り潰された。吸い殻は男の掌の中で燃やされて灰になった。


「これで証拠隠滅だ。」


そう言いながら男が掌を広げると、灰が風に乗って廊下の暗闇の中に消えていった。


「新しい魔法は一体、どんな魔法なんですか。」


青年が尋ねた時、二人の後ろにある重い扉が開いた。


「男の子です。」


額に大粒の汗をのせた産婆は顔を出して伝えると、すぐに扉を閉じて部屋に戻っていった。

残された二人は顔を見合わせると、中年の男が言った。


「俺はネリアス様に伝える。お前は…各軍隊長に伝えてくれ。」


そう言うと男はゆっくり廊下を歩いて行った。


 産婆から男子の誕生を告げられてすぐ、青年はある部屋を目指して、階段を駆け上がっていた。その部屋は城の最上階にあるというのにも関わらず、城の中でも陽の光が届きにくい場所に位置していた。もうすぐ階段を登り終わるというところで立ち止まると、青年はそっと顔を出してその部屋に続く廊下を確認した。部屋の扉の前に二人の兵士が立っていることを確かめると、男は胸のポケットから小さな瓶を取り出して、蓋を開けた。小瓶の中には、ほとんど白に近い薄桃色の粉が入っていた。


 青年は広げた右の掌に意識を集中させ、小声で呪文を唱えると、自分の掌の上を漂う空気が動き出して、小さな渦が出来始めるのを感じた。

 青年がその小さな渦の中に小瓶の粉を注ぐと、渦はまるで生き物のように動き出して、見張りの兵士に向かって飛んで行った。薄桃色の衣を纏った空気が兵士に辿り着くと、男たちは大きな音を立てながら床に倒れこんでいった。


 青年は兵士が完全に眠りに落ちたことを確認すると、部屋の扉をそっと開けた。薄暗い小さな部屋の中には、化粧台と椅子、クローゼット、そして天蓋付のベッドがあるだけだった。侍女が住んでいるといわれてもおかしくない部屋の中で、彼女は静かに眠りに就いているようだった。


 青年はそっと彼女に近づき、ベッドの薄いカーテンを開けた。そこには、前よりも白く痩せた彼女の身体が横たわっている。その白い身体を辿った先には、深い隈が刻まれたユアの顔があった。二年前にはなかったその隈を見て、あの日、彼女の手を取って一緒に立ち上がることができなかった自分への後悔が大きな波となって押し寄せてくるのを感じた。


 自分の不甲斐なさに唇を噛みしめながら、ユアの白い腕に触れようとしたその時、青年の腕が勢いよく引き寄せられて、わずかに体勢を崩した。


「なぜあなたがここにいるの。エテル…」


青年の琥珀色の瞳と、ユアの深い茶色の瞳がぶつかり合った。気付いた時には、エテルの首筋には鋭いナイフが当てられていた。


「男の子が生まれた。ネリアスの子だ。」


その言葉を聞いたユアの瞳がわずかに揺れ動いた。


「それが私に一体何の関係があるというの。」


その冷ややかな声に構わず、エテルは前のめりになって、ユアの肩を掴むと、力強い声で言った。


「お前の命を奪いに来てもおかしくない。今すぐここから逃げろ。」


首筋に当てられたナイフが、エテルの薄い皮膚にわずかに食い込んで、血が流れた。ユアはその血に動揺して、握っていたナイフを思わず手放した。ユアはエテルの勢いに流されかけたが、彼に反発するようにして声を荒げた。


「何であなたにそんなこと言われないといけないの。もう、私がどうなろうとあなたに関係ないでしょ。私たちを裏切って、あの戦いに赴いて行った人に何も言われたくない。」


そう言うと、ユアはエテルの右肩にある腕章を握り絞めた。かつてそこには、王の騎士団の印である鳥の片翼が描かれていた。エテルはユアの訴えに反論することはなかった。もうそんな時間も二人には残されてはいなかった。


「ここから逃げるには今しかない。見張りの兵士は眠りに就いている。城の裏門からでた、すぐの宿屋に俺の馬がある。そいつを使ってすぐに逃げろ。」


エテルは先ほど見張りの兵に使った眠り薬が入った小瓶をベッドに置くと、自身の右肩を掴むユアの手を強く握り絞めた。


「どこかで必ず生きていてくれ。」


そう言ってエテルは手を離すとユアに背を向けて、部屋から出ていった。


 ユアは一人取り残された部屋でしばらく俯いていたが、ベッドから立ち上がると、寝間着のワンピースを床に脱ぎ捨て、白い長そでのシャツと黒いズボンに着替えた。部屋の中で履いていたペラペラの靴は頑丈な皮の編み上げブーツに履き替え、最後に深い紺色のマントを羽織った。

 そして、先ほどまでエテルに向けていたナイフと、眠り薬が入った小瓶、部屋に隠していた金をしまうと、ユアは扉の前に立った。城を出ることを決意して、この部屋を出ていくのは一体いつぶりだろうかと考えた。


 ユアは意を決し扉を開けた。エテルの言う通り、そこには二人の兵士が床に倒れて眠りに就いていた。

眠っている兵士の一人に近づくと、男の腰にある剣をベルトごと奪って、自身の腰に巻き付けた。ユアは一度振り返って、あの日からずっと過ごしていた小さな部屋を見つめると、階段を駆け下りていった。



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