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4.5二年前のあの日と呼び笛

 母が殺され、城の中に閉じ込められてから数日が経った。コルベの縫った腹の傷口はきれいに塞がれていて、傷跡すら残っていなかった。しかし、傷口が塞がっただけで、傷ついた腹の内部が完全に治った訳ではなかったため、ユアが上半身をねじろうとすると、腹に鋭い痛みを感じた。それでも、ユアが自由に部屋の中を歩き回れるほどまで体力は回復していた。


 思い切って、部屋の扉を開けると、近くには見張りの兵士が立っていた。兵士はユアを見るなり、「どちらへ?」と言い放った。その言葉を聞いたユアは、ネリアスが本当に自分を部屋に閉じ込めようとしていることを悟った。


 誰かが部屋を訪ねてくるのは、馴染みのない召使が食事や衣服を運んでくるときと、医師がユアの傷を治療しに来るときだけだった。その医師はナタリアと言って、母から治癒魔法を教わっていた見習いの若い医師で、彼女だけが、ユアの唯一の話し相手になってくれた。

 

 毎日朝早く、彼女はユアの部屋を訪ねては、薄められた薬をユアの傷口で塗っては、使い古された包帯で巻き直していった。彼女はユアの傷を手当てするたびに、申し訳なさそうな顔をしていた。


「エテルや、コルベさんは、元気ですか。」

治療の間に流れる重い空気を変えようと、ユアは尋ねたが、その質問にナタリアは顔を暗くした。


「コルベさんは…三日前ほどに、軍専用の医師になることを拒んで、解雇されました…。今、城勤めの大半は、軍専用の医師となって、ほとんどを軍の訓練地で過ごしています。エテルは…。」


そう言ってナタリアはユアの顔を伺うと、躊躇しながらも言葉を続けた。

「同期の医師から聞いた話なので、本当かどうかは分かりません。ただ、エテルが軍の兵士として訓練場に赴いていたのを見たと言っていました。」

 彼女の口から告げられた言葉に、ユアは身体が冷たくなるのを感じた。その様子を見たナタリアは慌てて、言葉を取り繕った。

「でも、見間違いかもしれません。私もこの目で確かめた訳ではないので。」


 エテルがネリアスに、軍に従うはずがない、心の中でそう思いながらも、一度、胸に宿った不安は消えそうになかった。


「戦いは、ルアーニアの領地への侵攻はいつ始まるかご存じですか。」


「分かりません。でも今、軍の命令で、城で使う薬の多くに制限がかかり始めたんです。今まであった薬品のほとんどが、軍の管理になってしまいました…。本来だったら、もっと良い薬が使えるはずなのに。治癒魔法だって、医師の魔力を軍の兵士以外に使用することが禁止されているんです。」

 

 ナタリアはどうしようもない悔しさが溢れたのか、涙を流し始めた。自分が医師を志したのは、こんなことをするためではないと呟いた。


 その次の日から、ナタリアはユアの治療へは来なくなった。食事と一緒に質の悪い薬が運ばれてくるだけで、もはや医師すら、ユアの部屋にやってくることはなかった。


 ある日の夕刻、いつもと同じように食事と薬を運びにきた召使がユアの扉を叩いた。ユアは「どうぞ。」と言って召使を部屋に入れ、食事と薬ののせられたお盆を受け取ろうとした。

 その時だった。大きな爆発音が城の外から聞こえた。その音に驚いたユアは、思わずお盆を受け取ろうとした手を引っ込めた。


 何事かと思い、部屋にある小さな窓から身を乗り出せば、爆発かと思った音は花火の音だった。城の正面にはアスタリアの軍隊が並び、その先頭には馬に乗った一等級の兵士とネリアスがいた。


 彼らは今からルアーニアに戦いを仕掛けに行くのだと、直観的に理解した。


『俺はこの笛でお前たちを縛るようなことはしない。俺がこの笛を吹くときは、自らの手で止められない争いが起きた時か、自分が愚かな独裁者になるときだけだ。』


 父の昔話がユアの頭に浮かんだ時、すでにユアの身体は扉に向かって動いていた。


 どこにいくのかと尋ねる召使を無視して、ユアは部屋の扉を思いっきり開けた。その音に驚いた見張りの兵が一瞬の隙を見せた。ユア相手が動揺した一瞬の間に、男が腰に差している剣を引き抜くと、剣の柄で相手の顔を思いっきり殴って、身体を突き飛ばし部屋に押し込んだ。


 ユアは、裏門を抜け、城の正門まで、全力で走っていた。打ち上がり続ける花火の大きな音がユアの頭の中を揺らしている。普段なら裏門から正門まで、息を切らしながら走るような距離ではなかったが、まだ体に残る傷の痛みと乾いた空気がユアの呼吸を荒くしていた。


 何とか城の正門までたどり着くと、ユアに気付いた二人の門番が動揺の色を見せながらも、ユアの身体を取り押さえようとした。ユアは門番兵に容赦なく殴りを入れると、二人はそのまま地面に伏せてしまった。ユアは門の扉の向こう側にいるネリアスを待ち構えた。


 慌ただしさとともに、花火の打ちあがる大きな音が終わりを迎え、大きな門の扉が軋む音が聞こえ始めた。ユアは荒くなった息を落ち着かせて、大きく深呼吸すると、ユアは胸にしまっていた呼び笛を握り絞めた。


(この戦いを止められるのなら、愚かな独裁者と呼ばれても構わない。)


 人一人分が通り抜けられるほどに、扉が開いた時、馬に跨って歩みを進めるネリアスが見え始めた。呼び笛に口を付けると、最後の望みを託して、大きく息を吐いた。門の扉が完全に開くと、ネリアスは軍隊を引き連れてユアの前で止まった。


「そこで何をしている。」


 呼び笛は冬のからっ風のような音を出しただけだった。呆然とした様子で立ち尽くすユアをネリアスの冷ややかな目が見下ろしていた。

 もう一度ユアは呼び笛を吹いたが、辺りには馬の蹄と人間の足音が響くだけだった。


「なんで…。どうして…。この呼び笛には力があるんじゃないの。」


そう呟いた瞬間、ユアの瞳から涙が零れ始めた。


「そこの兵士二人、ユアを城の中へ連れ戻せ…。それから、ユアが部屋から出ないようそのまま見張っておけ。」


 戦に向かう兵士のうち二人に命令をすると、ネリアスは座り込んだユアの横を通り過ぎて行った。


 ネリアスに続いて、ユアを通り過ぎる幾人もの兵士の足音が、ユアの頭で延々と流れ続けた。通り過ぎるすべての兵士の顔がぼやけて見える中で、一人の顔がユアの目にくっきりと映し出された。彼だけは、何があっても自分の味方でいてくれると思っていた。


「エテル!!」


ユアは泣きながら、エテルを呼んだ。


 しかし、そんなユアの声など聞こえていないといった様子で彼は横を通り過ぎて行った。二人の兵士が座り込んだユアの腕を掴んで、ユアを立ち上がらせようとしたが、ユアはしばらくその場から動くことが出来なかった。


 


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