1.1ユアと呼び笛
重たい雨の音が城を包み込んで、夜の静寂を切り裂き、雨の運んだ湿った空気が、ユアの長い髪をうねらせていた。
ユアは化粧台の前に座に座ると、その長い髪を櫛で梳かし始めた。湿気で絡まった髪は、思うようにきれいにならず、ユアは少しの苛立ちを感じ始めた。
ふと、化粧台の鏡に映る自分の顔を見れば、陽の光を存分に浴びていた頃の健康的な小麦色の肌は消え去り、雪のように白い顔が映っていた。その白い顔には、母から送られた異国風の美しい黒い髪と、父から受け継いだ深い茶色の瞳が備わっている。
自分の顔に残る両親の面影は、柔らかく暖かな両親との記憶が蘇るのと同時に、あの日に起こった出来事を思い起こす起爆剤となって、心に黒い灰を積もらせていた。
ユアは鏡に映った自分の顔から目を背けると、櫛を元に戻そうと思い、勢いよく化粧台の引き出しを開けた。すると、奥から心地のよい乾いた音を鳴らしながら、小さな朱色の呼び笛が転がってきた。
その呼び笛に施されたアスタリアの象徴である太陽と鳥の紋様を見て、ユアは幼いころに父から聞いた昔話を思い出した。広く柔らかなベッドの上で、まだ小さかった彼女は、父の逞しく暖かな腕を枕にしながら眠りに就いていた。ベッドに入ってから眠りに就くまでのわずかな時間、父は子守歌の代わりにアスタリアに伝わる昔話をしてくれた。
「お父さんが生まれるよりも、お前のお爺さんが生まれるよりも、何百年も前のことだ。アスタリア人はもともと西の海に浮かぶ小さな島々を縄張りにしていた海賊の集団だった。」
父の低くて心地のよい声がユアの耳に届いた。
「海賊?」
「そうだ。海賊だ。気まぐれな海の風を操りながら、広い海を自由に渡って、たくさんの島を回り歩いていた。だから、アスタリア人は風を操る魔法を使える人が多いんだ。」
そう言いながら、父が小声で呪文を唱えると、春に吹くような優しい風が舞い起こって、ユアの髪を撫でていった。その風の気持ちよさが、ユアに眠気を誘った。
「ある日、その海賊の集団の目の前に、太陽のように燃える翼と真紅の瞳をもった大きな鳥が現れた。その鳥は大きな翼を広げながら、海賊船の周りを一周すると、東の水平線へ向かって飛び始めた。その美しさに魅入った海賊たちが、鳥を追いかけてこの島に辿り着いた。そして、海賊たちはここで暮らすようになっていった。」
「本当に、燃える翼を持つ鳥がいるの。」
ユアは問いかけた。
「何百年も前の話だからな。本当かどうかは分からない。でも、今お父さんが持っているこの呼び笛は、その鳥から送られたものだと言われているよ。アスタリアの王は代々この呼び笛を受け継いでいく。お前もお父さんくらい大きくなったら、王になる順番がやってくるよ。」
そう言って父は寝間着の中に隠していた小さな呼び笛をそっと取り出して見せた。ユアは先ほどまで重く感じていた瞼が急に軽くなったような気がした。ただのお伽話が、本当にあった出来事かもしれない、そう考えると急にユアの中に好奇心が生まれた。
「これ、吹いてみたい。」
呼び笛を握る父の手に自分の手を重ねながら言った。
「ユア、この呼び笛はそう簡単に吹いていいものじゃないんだよ。」
父の言葉にユアは小さな肩を落とした。
「吹いちゃいけないの。じゃあなんで、その笛を持っているの。」
ユアはその小さな頬を一生懸命に膨らませた。父は少し不機嫌になった娘の顔を見て微笑むと、小さな風船のように膨らんだ頬を優しく突いた。
「海賊たちがこの島にたどり着いた日、彼らはこの呼び笛を手にした。この笛を吹いた者は、その音を聞いた人や物を支配することができると聞かされてね。そして、海賊たちは、その恐ろしく魅惑的な力を手に入れようと、争いを起こすようになった。」
「この笛には本当にそんな力があるの。」
「さぁ、どうだろうな。この笛を吹いた者は、まだいないと言われているからな。」
「今まで、本当に誰もこの笛を吹かなかったの。」
「少なくとも、誰かが笛を吹いたという記録はアスタリアの歴史には残っていないよ。ユア、この話の大事なところは、まだここじゃないんだよ。」
ユアの小さな頭を撫でながら、父は穏やかな声で話を続けた。
「この呼び笛をめぐる海賊たちの戦いに終わりを告げたのが、クラウエンと名乗る男だった。クラウエンはアスタリアに辿り着いた海賊たちの中で、一番強い海賊船の船長だったと言われていた。彼が笛を手にした時に言った。
俺はこの笛でお前たちを縛るようなことはしない。俺がこの笛を吹くときは、自らの手で止められない争いが起きた時か、自分が愚かな独裁者になるときだけだ。
だから俺が愚かな独裁者になるまでは、俺をお前たちの王にしてくれ、そう言ったと言われている。そして、クラウエンはこの地の王となってアスタリアを築いた。彼の信念が何百年も受け継がれてきたから、今のアスタリアがある。」
父は手にした呼び笛をそっと服の中にしまった。
「この笛を鳴らすことなく国を治める、それが賢明な王であることの証明だ。だから、アスタリアの王は、笛に頼らずともこの国を導くための強さを持たなければならない。長く険しい道のりではあるけれど、いずれお前が進まなければならない道のりだ。」
父の力強い大きな茶色の瞳がユアの瞳を覗き込んだ。ユアは幼いながらに、王女になることへの不安を抱きながらも、居心地のよい父の暖かい体温に包まれながら、深い眠りに就いてしまった。
初めてその話を聞いた時から、ずいぶん長い年月が過ぎた。家族も、人も、国も、あらゆるものが移り変わってしまった。ユアは幼い頃の記憶をたどりながら、もう一度、あの頃に戻れたら、どれほど幸せなことだろうかと考えた。
(私は、アスタリアの王女になる資格はなかった。この呼び笛で戦いを止めることができなかったのだから…。エテルも軍の兵士として、戦いに赴いていった。私にはもう、何もない。)
ユアは冷たい視線を呼び笛に注ぎながら引き出しを閉めた。呼び笛は暗く小さな箱の中で再び眠りに就いた。
ふと耳を澄ませば、先ほどよりも雨が激しくなってきているようだった。開けっ放しにしていた窓からは強い風が吹き込んで、ベッドのカーテンを揺らした。風を受け止めて大きく膨らむカーテンは、幽霊が踊り狂っているようだった。
ユアは窓を閉めて、ベッドに転がり込むと、早く夢の中に沈みたいと思いながら、ゆっくり目を閉じた。
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