停滞温床:VI
海からの帰り道、私は違和感に気が付く。それを七奈に気付かれたくなくて、静かに辺りを見渡してみる。
「楽來?」
七奈がどうしたの?といった顔で私の名を呼ぶ。それに笑顔で返して再び周囲を観察する。
ここは辺りが田畑だらけの農道で見晴らしは良い。その私たちが歩いてきた方にゾンビの姿が見える。それも一体ではない。ざっと見た限り五体はいる。それらは特に何をするでもなくそこに突っ立っている。ただ……それらのどれもがこちらを見ている。まるでこちらを観察するかのように。
嫌な予感がして、私は七奈の手を取り先を急ぐ。
「わっ、ちょっと楽來?」
七奈が驚いた声を上げるがそれを無視して歩みを早める。幸い、彼女は私にしっかりと着いて来てくれている。その事に安堵しつつ農道を歩き続ける。だが、
「楽來、あれ!」
「っ!」
私たちが進む先、そこにもゾンビたちがいた。後ろを振り向くとそちらからもゾンビたちがゆっくりと迫ってきていた。
おかしい。明らかにおかしい。今までゾンビたちは、こちらを見つけるなり我先にと襲い掛かってきていた。中には走れる者もいて、それから逃げるのは大変だった。けど今回のやつらは違う。ゾンビ同士、徒党を組んでいる。そして、ゆっくりとこちらを追い詰めるかのように迫ってくる。
「楽來、こっち!」
七奈に手を引かれた先は田んぼだった。そのまま二人、手を繋いだまま田んぼの中を走って横断する。田植えされたばかりの田んぼの水は冷たく、靴の中に泥が入り込む感触が気持ち悪い。それでも逃げるためと植えられたばかりの苗を散らしながらひたすら走る。
それにしても七奈は思い切った事をする。前後どちらの道も塞がれているからそうするしかないのは分かるけど。
けど……ふとあの日の事を思い出す。初めてゾンビが現れた夜……山道から逸れて斜面を一気に駆け下りた時の事を……途端、吐き気を催し、足が止まる。
「楽來!?」
先を走っていた七奈も必然と止まる。繋がれた手はまだ離れていない。
「大丈夫、大丈夫だから……」
繋がれた手を強く握り返されて、それを手放したくなくて無理矢理嘔気を呑み込む。田んぼを渡り切るまであと少しだ。私は走り出そうとして、
「っ!」
田んぼの先の農道にもゾンビたちがいた。そいつらもただ突っ立っているだけで、でも顔は全てこちらを向いている。まるで私たちがそちらに行くのを待つかのように。
「楽來、こっち!」
七奈もそれに気が付いて左側へと進路を変更する。だが、
「そ、そんな……」
そちらからもゾンビたちが近づいて来ていた。私は辺りを見渡す。先程まで農道で突っ立っていただけのゾンビたちも私達に向かって来ている。
どうして……こんなことになってしまったのだろう。ゾンビたちが徒党を組んで襲ってくるなんて。そう考えたところで、私は自らが立てた仮説を思い出す。
ゾンビたちは生前に行っていた事をなぞるかのような動きをしていた。コンビニに買い物に行くかのように。コンビニでバイトをしているかのように。そして、今追いかけてくる者達は、きっとここに住んでいた人たちなのだろう。彼らは咎めに来たのだ。自分たちの住む土地に突然居ついた不法滞在者を。
その考えに至りぞっとする。急速に全身から血の気が引く感触。田んぼの水の冷たさが気にならなくなるくらい全身が冷え切り激しく震えだす。
ああ、なんだ……彼らにとっては私達こそがこの地を荒らす侵略者だったんだ。
自然と全身から力が抜けていく。手を繋いだ七奈の体に縋るかのように体が傾く。
「楽來、しっかりして!」
私の異常に気が付き、七奈が私の名を呼ぶ。私は彼女の顔を見上げる。小さく可愛い顔はまだ力強く輝いている。どうやら彼女はこんな状況でも諦めていないようだ。その瞳に映る私はなんとも情けない顔をしている。そうだ。私はもうだめかもしれないけど、七奈だけは……諦めていない彼女の足を引っ張るわけにはいかない。私は無理矢理体に力を入れ、七奈の顔を見て微笑む。その後ろ……ゆっくりと迫ってきていたゾンビたちの一体が突然走り出す。
「七奈、危ないっ!」
考えるよりも先に体が動いていた。勢いよく向かって来るゾンビに向かって繋いでいない方の手をかざす。途端、そのゾンビは何かにぶつかったかのように弾かれ、田んぼに倒れ込む。その一部始終を見ていた七奈が驚いた声を上げる。
「楽來、今のは……?」
知られてしまった。私のこの力の事を。そうするしか無かったとはいえ。
田んぼに倒れたゾンビが起き上がり、再びこちらに近づこうとしている。けど、見えない壁に阻まれこちらに近寄る事ができずにいる。その様子を不思議そうに見つめる七奈。私は他の2方向にも手をかざし、見えない壁を張る。こちらに近付いて来ていたゾンビたちがその壁にぶつかる。それを確認してから、
「七奈、こっち」
私は震える口で七奈へ呼びかける。壁を張っていない方向、海がある方へ向かって走り出そうとして、
「嘘……」
そちらからもゾンビたちがやってきていた。囲まれた。完全に。
「楽來……」
七奈が繋いだ手を強く握る。けど、私はその手から力を抜く。
「楽來?」
七奈が不安げな声で私を呼ぶ。けど、彼女の顔を見れば決意が鈍る。私は代わりに周辺を見渡す。見えない壁は既に消え去り、ゾンビたちはこちらに近づいてきながら包囲網を縮めてくる。
「七奈、私がもう一度ゾンビたちの足止めをするから、その隙に走って逃げて」
そうだ。七奈だけは逃がさないと。ここに留まる事しかできなかった私と違って、彼女は前に進める人なのだから。私が引き留めたせいで窮地に陥っているのだから。私の心中に七奈を巻き込ませるわけにはいかない。
「楽來、大丈夫だよ」
けど、七奈は逃げない。逃げずに隣にいてくれる。繋いだ手を離さないでいてくれる。それは嬉しい事でもあり、哀しい事でもある。
「駄目だよ……だって七奈は帰りたいんでしょ。それなら私を置いてでも先に進まないと……こんなところで終わっちゃ駄目だよ!」
私は叫ぶ。七奈が先へ進めるように。
「うん。でもそれは楽來と一緒でないと嫌だ」
けれど七奈はきっぱりと言い放つ。私と共に居たいと。一緒が良いと。
「七奈……」
堪らず七奈の顔を見る。滲む世界の中で七奈の笑顔だけがはっきりと見て取れた。繋いだ手に再び力を込める。もう離さないと。離してなるものかと。
「だからっ!」
七奈が繋いでいない方の腕を高らかに掲げる。その先へ人差し指だけを伸ばして。そして……
「びーむ!」
七奈がそう叫びながら、一体のゾンビへとその指先を向ける。その途端、それは動きを止め霧散するかのように消え去った。
「……え?」
突然の事態を目の当たりにして呆気に取られる私を置き去りにして、七奈が次のゾンビに向かって、
「びーむ!」
と叫ぶ。途端、そいつも同じように消え去っていく。私が消えていくゾンビを呆然と見ている間に七奈は次々と「びーむ!」と叫びながらゾンビたちを消し去っていく。
一応説明すると……決して七奈の指先から何かビームのようなものは一切出てはいない。七奈のしている事は傍から見れば何というか……そう、小学生の頃、男子がよくしていた遊びに似ている。けど消えていく。ゾンビたちはそれに抗う事も出来ずにその姿を消していく。
「びーむびーむびーむびーむ!」
やがて間もなく、私達を取り囲んでいたゾンビたちはいなくなった。
「ふー。ね、大丈夫だったでしょ、楽來」
そう言って七奈が私の体に身を寄せ、キラキラとした笑顔でこちらを見てくる。その瞳は褒めてほしい犬のように期待に満ち溢れている。けど、私はどうリアクションしていいか分からない。何が起きたのかすら分からない。ただ、助かった事だけは分かる。いや分かるんだけど……
「な……な……」
口から自然と言葉が漏れる。ああそうだ。こういう時はこうするのが一番だ。
「何なのよそれぇー!!」
田んぼのど真ん中で二人寄り添いながら……私の絶叫は何物にもさえぎられることも無く世界中に響き渡った。