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停滞温床:V

 朝、目を覚ますと目の前には白。控えめに膨らんでいるそれは規則的に動いている。それが七奈の胸元で、昨日それに顔を埋めて眠ってしまった事を思い出し、一気に意識が覚醒する。全身が一斉に熱を持ち、口は何か言いたげに口をわななかせながら声にならない声を上げている。ふと視線を感じ、上を見上げる。七奈の顔がそこにはあった。彼女はまだ眠そうな表情で、それでも私と目が合うと「おはよー楽來」なんて優しく微笑む。

「っ!」

 その声を合図にしたわけではないが、慌てて上半身を起こす。顔から火が出るほど茹で上がった頭から一斉に血の気が引き、軽い貧血に見舞われる。自然と口から「うー」なんて呻き声が漏れる。

「楽來?何してるの?」

 そんな私の気まずさを気にもせず、七奈も上半身を起こし優しく微笑んでくる。思わず見つめ合う構図になって、引いた波が再び押し寄せてくる。

「え、あ、うん」

 気の利いたことも言えずに、口から発せられるのはしどろもどろな想いだけ。

「変な楽來」

 そんな私に笑顔を見せながら七奈が寝袋から出て立ち上がる。両手を上げて大きく伸びをする彼女を見上げる。上に押し上げられたTシャツの裾から程よく引き締まったお腹が見える。更に視線を上にあげるとTシャツの胸元辺りが緩やかに膨らんでいる。よく見ると手足もすらっとしている。きめ細やかで艶のある肌。顔も小さくて整っている。何より笑顔が可愛い……って、何でこんなに人の体をじろじろと観察しているのだろう。軽く自己嫌悪に陥る。でも……

「あ、えと、おはよう」

 そういえば挨拶していなかったなと思って挨拶をして、私も寝袋から出て立ち上がる。七奈と同じように伸びをすると、それまで覆っていた頭の靄が幾分か晴れる。少し落ち着きを取り戻した所で再び七奈を見ると、「うえっ!?」なんて奇声を上げて驚かれる。

「え、何、どうしたの?」

「え、あ、いやー、うん」

 今度は七奈の方がしどろもどろになっている。何で?心なしか、彼女の頬が赤く上気しているような……

「あ、そうだ!」

 けど直ぐに何時もの感じに戻ると、突然提案をしてきた。

「海を見に行こう!」


 海に行くにはどうしても建物が多く建っている道を通らなくてはいけない。私たちは慎重に、ゾンビがいたら迂回しながら、それでも何とか海まで辿り着く事ができた。そこは小さな海水浴場で、海の家らしき建物と更衣室のような建物がそれぞれ一軒ずつ建っていた。当然どちらも施錠されていて入る事は出来そうに無い。砂浜には大小様々な流木や石などが点在していて、素足で歩くのは危なそうだ。これらも海水浴のシーズンになれば取り除かれ、奇麗なビーチを楽しむ人々で溢れるのだろう。当然、今はオフシーズンで私と七奈以外の人影は無い。

「海だねー」

 七奈が波打ち際まで歩いていく。私も黙って彼女に着いて行く。どうして、七奈は海を見たいなんて言い出したのだろう。その真意も分からず着いて来てしまった。

「ね、海に入らない?」

 暫く無言で海を眺めていた七奈からの提案。

「まぁ、海に来た時点でそう言うとは思っていたけど」

 今日の七奈は初めて会った日の服装、おそらく通っていた学校の制服だろう、を着ている。スカートを選んだという事は最初から海に入る気満々だったに違いない。

「んー、流石に?」

「流石に」

 私の言葉を返事と受け取ったのか、七奈が「えへへへー」と照れながら靴と靴下を脱いで海へと歩き出す。波が七奈の足を覆い隠す。

「おー、冷たーい」

 七奈が当然の感想を漏らしながらも嬉しそうに波打ち際ではしゃぐ。私はそれを見ながら、絵になるなぁ、なんて思う。制服にしては若干短めなスカートの裾を持ち上げて動き回るものだから、目のやり場に困るのだけど。それでも楽しそうにしている彼女から目が離せない。

「ねー楽來も来てよー」

「えっ、でも冷たいんでしょ?」

「うんっ、でも気持ちいいよー」

 七奈はそう言うと嬉しそうにその場でくるくる回る。まぁ、楽しそうではある。というか白状すると、私も学校の制服を着ている。理由はまぁ、七奈と同じだ。

「もぅしょうがないなぁ」

 なんて言い訳しながら、私も靴と靴下を脱ぐ。素足が砂にめり込む感触。慎重に波打ち際まで近づいていくと、波が私の足を、指先をさらっていく。

「わっ、冷た」

「ねー、冷たいよねー」

「うん、でも気持ちいいかも」

「うんうんっ」

 海に入ってきた私を誘うように七奈が手のひらをこちらに向けて伸ばしてくる。私はその手を取る。途端、七奈がくるくると回り出す。

「あはははー」

「ってわっ、わわわわ」

 釣られて私も回る羽目になる。これってこけたら大変な事になるんじゃ。そう思いながらもその流れに身を委ねる。七奈の嬉しそうな顔。私を見つめる瞳は喜びで溢れていて、頬は薄く色づいていて桜の花びらを連想させる。

「っとと」

 流石に目が回ったのか、七奈が若干ふらつきながら止まる。どうやら二人ともこけずに済んだようだ。

「あははー流石に目が回っちゃったねー」

「あ、それそれ」

「あそれそれ?」

「うん、今の流石の使い方」

「流石に?」

「いや、流石に?じゃなくて、さっきの方だよ」

「んー?」

「流石に目が回ったって言ったじゃない」

「おー、言ったかも?」

「言ったの。それが正しい使い方だから」

「あははは、そうなんだー」

「そうなの」

 なんてやり取りもあったりして私たちは海を堪能した。その後は砂浜にレジャーシートを敷いて二人寛ぐ。波の音が耳に心地よい。七奈もそう感じているのか、静かに海を眺めている。

 暫しの沈黙。突然海に行こうなんて言い出した時はどういうことかと思ったけど、もしかしたら私を気遣ってくれたのかもしれない。昨日の夜の事……私は激しく取り乱し、七奈に思いっきり甘えてしまった。その事もあって今朝はいつも通りに接する事ができなかった。だからこうやって遊ぶことで気晴らしをしてくれたのかもしれない。そう思うと何だか嬉しくて、でも何だか照れくさくて。いつの間にか七奈という存在が私の中で大きくなっている事に気が付く。七奈と出会ってまだ数日だけど、それでも七奈と出会えた事は私にとってとても大切な事だったと思える。

「ねぇ、楽來」

 私が七奈への想いを馳せていると、彼女がぽつりと私の名前を呼ぶ。

「うん」

 私が短く返事をすると、七奈がこちらを向き、柔らかな笑顔を見せて、再び海を見つめて話し出す。

「楽來はあの海の向こうには何があると思う?」

「あの海の向こう?」

「うん」

 七奈が海の方を指差す。海の遥か彼方、その水平線の向こうには何も見えない。

「外国……なんじゃないかな?」

 私は七奈の問いかけの真意が見えずにありふれた答えを返す。けど彼女は首を横に振り、

「ううん。あの海の向こうには私の住んでいた街があるの。ここは入海だから、向こう側に行こうと思えば歩いてでも行けるんだよ」

「……」

 七奈の言葉に私は何も返せなかった。つまりは……どういうことだろう?七奈は何が言いたいのだろう。

 いや、もう自分を誤魔化すのは止めよう。きっと七奈は帰りたがっている。考えてもみれば直ぐに分かる事だ。彼女は隣町からここまで歩いてきたのだ。移動してきたのには意味がある。彼女は自宅を目指す事を決めたのだ。何時までもここに停滞している私と違って。

 それでは、どうして七奈はここにいてくれるのだろう。それも分かっている。私がいるからだ。私が七奈をここに留めている。だから私もそろそろ決めないといけない。

 七奈と一緒に行くか、七奈と別れここで朽ち果てていくのかを。

 無言で海を眺める七奈の横顔を見る。彼女は何も言ってくれない。唯々、海の向こうに思いを馳せるだけ。

 波音だけが何時までも私達の中に鳴り響いていた。

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