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停滞温床:IV

 七奈と出会えてから数日が過ぎた。彼女との共同生活は、ゾンビが現れてから一人きりだった私にとって、心身ともに劇的な変化をもたらした。

 まず、行動範囲が広がった。

 私たちは前に話していた川へと向かった。なるべく建物と隣接していない農道を選び、辿り着いたのはかなり大きな川だった。そこはとても見晴らしがよく、思わず開放的な気分になれた。川の水深は深く、水浴びは無理そうだったが洗濯ならできそうだった。

 川に沿って道路が左右に引かれていて、左側の遠くにはその川を渡るための橋が見えた。青く塗られた橋を目指して歩くと、その手前の左側にコンビニを見つけた。そのコンビニも駐車場が広く、離れた所から中を観察しやすかった。ゾンビがいなくなったタイミングで中へと入ると、特に荒れた様子もなく、ゾンビが現れた日から生きている人は誰も訪れていない事が伺えた。私は一瞬、食料の確保が出来ると喜びそうになり、直ぐに落ち込む羽目になった。私たちが来るまでに誰も来なかったという事は、ここら辺の人たちも皆ゾンビになってしまったという事だ。七奈も同じ気持ちなのか、何時もの笑顔は見られなかった。

 コンビニを出て、改めて辺りを見渡す。コンビニに面した大通りは道の特徴からして、恐らく左側に行けば最初のコンビニに辿り着くのだろう。その逆側、川を渡るための道を見る。車道だけでなくしっかりと歩道まであるこの橋を渡ればこの地域から出られるのだろう。この橋を渡れば……そこにはゾンビなんていなくて元の世界が広がっているかもしれない。そんな淡い期待はあっても、どうしてもそちらに行こうとは思えなかった。

 ふと、隣に立っていた七奈が橋の方へ一歩踏み出す。更に二歩、三歩と歩みを進める彼女の手を私は慌てて握る。

「楽來?」

 七奈が不思議がって私に振り向く。急にどうしたの?と顔に書いてある。

「あ、いや……」

 そんな七奈に私は曖昧な返事しかできなかった。だって言える筈も無い。七奈がどこかに行ってしまいそうだから、だなんて。

 戸惑う私に、七奈はしっかりと手を握り返してくれた。どこにも行かないよと言ってくれている様で少しだけ胸が痛んだ。

 例のホームセンターの中にも入った。そこはコンビニとは違ってゾンビの数が多かったけど、それでもいなくなる時もあって、私たちはその隙をついて中にあるものを持ち出した。カセットコンロにやかんやフライパンなどの調理器具に、寝袋や電気が無くても明かりを灯せるランタンなどのアウトドアグッズ。寝袋に関しては、「楽來、見て見て!ふたり用の寝袋だって。一緒に寝る?」なんて嬉しそうに提案してきたが、やんわりと断っておいた。あと、七奈はバーベキューセットにも興味があるようだったが、流石に嵩張り過ぎるのでやめておいた。帰り道の途中、そもそも焼く肉や野菜が無い事に気がついて、持ってこなくてよかったなんて笑い合ったりもした。

 それから、一人きりでない事がこんなに嬉しい事だとは思わなかった。朝、起きたら隣に七奈がいる。「おはよう」と挨拶を交わせる。ご飯を一緒に食べられる。他愛ない会話を交わす。七奈が「流石に?」と言って私がリアクションをする。七奈が私の事を「楽來」と名前で呼んでくれる。

 それらはゾンビが現れる前は当たり前にあった事で、けどその有難みに今までは気付くことも無く、あるのが当たり前とさえ思っていた。

 だからこそ手放したくないと思った。私に向けられるその笑顔を。小さな棘の痛みは未だに消えないけれど、それを無視してでも。


 そんなこんなで私たちの生活の質は段々と上がっていった。今も七奈が土鍋でご飯を炊いているところだ。

「はじめちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな~♪」

 なんて陽気に歌っている。どこでそんな歌を覚えたのかは謎ではあるけど、楽しそうに体を左右に揺らしながら口ずさんでいる。彼女の体の動きに合わせてポニーテールもゆらゆらと波打っている。

「ホームセンターって何でもあるんだね~」

「そうだね、お米まであるなんて」

 流石に電気が必要なものは使えないけど、食べ物や飲み物も置いてあるし、ゾンビたちが多いのも頷ける。

「ご飯できたよ~」

「こっちもカレー温まってる」

 七奈が土鍋からお皿にご飯をよそい、私がレトルトの封を切りカレーをかける。「いただきます」と声を合わせて食事を摂る。

「ん~おいし~へるし~?」

「うん、何がへるし~?なのかは分からないけど、美味しいね」

「えへへへ~」

 まさかこんな風に温かいご飯が食べられるとは思わなかった。それも誰かと一緒に。

 今のところ七奈との関係は良好だ。七奈はとても素直な良い子で、私の提案にも特に口を挟む事無く賛同してくれる。何より笑顔が可愛い。見ているこっちまで幸せな気分になれる。出会って数日だけど、これからも一緒にいたいと思う。それだけに心苦しい。私の我儘で七奈をここに引き留めてしまっている事が。

 それに私の力の事も話していない。手をかざすと見えない壁が出る。ゾンビが現れた夜に私にもたらされた力。もしその事を打ち明けたら、七奈はどういう反応を示すだろうか。「すごいよ楽來!」なんて、きっと素直に感心するのだろう。けどその後は?「その力があればゾンビが来ても安心だね!」なんて言い出して、あの橋の向こうに行こうとするのではないだろうか。

 それは怖い事だ。もし橋の向こう側に行っても、ここと同じくゾンビたちがうろつく世界だったら。淡い期待は濁流に飲まれ、二度と浮かび上がる事は無いだろう。だからこうしてここに留まっている。ここより外の世界にはゾンビなんていなくて、今は対策を考えているところなのだと。何時かは助けが来るのだと。そんな妄想に浸りながらここで朽ち果てるのを待っている。

 暗い考えを払うかのようにかぶりを振る。折角七奈と一緒にいるのに。そう思ってはいても上手くは行かない。

 だからだろうか、私は夢を見る。

 私はあの日の高台にいる。目の前には緊張した面持ちの男の子。けど、その顔は土気色で、頬はこけ、呻き声をあげながら、虚ろな瞳でこちらを見ている。私は思わず後退り……背後に気配を感じる。

 そこにはクラスメイトのみんなが、引率の先生たちが、そして私の家族が……みんなみんな虚ろな瞳で頬はこけその顔は土気色で呻き声をあげながらうつろなひとみでほほはこけそのかおはつちけいろでうめきごえをあげながらうつろな――

「っ!」

 全身が大きく震える。荒い呼吸音が聞こえる。心臓が痛い程激しく脈打つ。汗まみれの体が気持ち悪い。吐気を無理矢理抑えたせいか、喉が焼けるように熱い。見開かれた瞳には闇が滲むように揺れている。

「今のは……」

 自分でも驚くくらい低く掠れた声が漏れる。それは何処にも届かずに闇へと溶けていく。その事に怯え、自身を抱きしめる。そうしたことで自分の体が震えている事に気付く。それを抑え込もうと冷え切った身体を縮こまらせ、抱く腕に力を込める。それでも震えは収まらなくて更に力を込める。このまま小さくなりすぎて消えてしまいそうになる寸前に、

「楽來?」

 私の耳に届く甘く優しい音色。その音に助けを求めるかのように顔を上げると、

「楽來、大丈夫?」

 私の冷え切った頬に添えられる温かさ。不安げに揺れる瞳は自然とぼやける。

「七奈……私は……」

 何かを伝えようとして、でもそれは言葉になる前に塞がれる。温かくて柔らかいものに包まれる感触。おろしたてのシャツと少しばかりの汗の匂いが鼻孔をくすぐる。それは七奈の匂いだ。その温もりをもっと感じたくて彼女の背中に両腕を廻して思い切り抱きしめて、彼女の胸に顔を深く埋める。

「楽來、大丈夫だよ」

 何が大丈夫なのだろうか。分からないけど、私の頭を優しく撫でる手のひらの心地よさに考えるのを止める。今はただ、この優しい温もりだけを感じていたい。そうして何時しか、私は再び深い眠りに落ちていく。

 悪夢はもう見なかった。

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