公道指向:II
学校の廊下。
お昼休みで行きかう同学年の生徒達。
その喧騒を私は冷めた目で見ている。
何時もならその喧騒の一員としていた筈なのに。
どうにも今日はそんな気分になれなかった。
理由は一つ。
姉。
あの日、家に帰ってから母から聞いた。
父親違いの姉。
私には姉がいた。
それは事実。
でも、私は受け入れられずにいた。
どうして今になって。
いまさら姉と言われても。
胃に溜まった真実は何時までも消化できずに私を苦しめる。
私はこれから一生、この重荷を背負わなくてはいけないのか。
どうして……
どうして、あの人なのだろう。
御子外乃々。
よりにもよって、どうして彼女が私の姉なのだろう。
その事が私を苦しめる。
どうして?
どうして……
「……はぁ」
最悪の目覚めだった。
久しぶりに見た夢は懐かしくて私を苦しめる。
見上げるテントの天井は薄暗い。上半身だけ起こして息を整える。右手で髪を掻き上げると少しだけ気が楽になった。
まだ起きるには早いが、二度寝する気にはなれない。私は静かに立ち上がろうとして、
「えっ?」
いない。
少女が、いなくなっている。
寝袋には私と七奈だけ。
思わずテント内を見渡すが、狭いテントの中、当然少女の姿は無い。
一瞬、あの少女は幻だったのかとも思ったが、そんなわけがない。ここまで私が背負ってきたのだ。少女の温もりと静かな吐息は間違いなくその存在を主張していた。
私は少女が寝ていたであろう場所に触れてみる。まだ温かい。つまり、つい先程まではここにいたという事だ。
つまりは、と実に単純な答えに辿り着く。少女は目を覚まして、このテントから外に出ただけだという事に。
単純な結論に至り、テントの入り口を見るが、当然外の様子を窺う事は出来ない。私は重い腰を上げ、立ち上がる。全身に鉛を纏っているかのような感覚を振り切り、テントの外へと出る。
果たしてそこには、所在無さげに立ち尽くす少女の姿があった。
腰回りまで伸びたブロンドの髪をたなびかせて、曇り空を見上げている。その姿は儚げで、まるで親鳥を探す雛のように見える。
そのせいか、私は特に警戒する事も無く少女に近づく。
少女が近づいて来る私に気が付く。
目と目が合う。
その瞬間、私は立ち止まり、その場から一歩も動けなくなる。
似ている。
姉に……乃々に……
髪の色さえ除けば、少女は紛れもなく御子外乃々、その人だ。
けど、そんな訳がない。
だって、この少女は私の記憶の中にある乃々そのものなのだから。そう……二年前の記憶の中の彼女に。
「……おはよう」
動揺を隠して挨拶をしてみる。けど、少女は何も言わない。何も反応せず、無表情なまま、唯々私を見つめている。
「……えっと、聞こえてる?」
今度は恐る恐る。反応無し。
「あー!」
口を大きく開けて、少し大きめの声を出す。すると、
『haaa……』
少女は私をまねるように大きく口を開ける。けどそこから聞こえてくるのは掠れた息の音。
「……もしかして、喋れないのかな?」
「うん、そうだと思うよ~」
「うきゃっ!?」
私の独り言に応える声に奇妙な悲鳴を上げてしまう。慌てて後ろを振り向くと、眠気眼の七奈がいた。大きく欠伸をしながら伸びをしている。
「な、七奈、起きたんだ」
「うん、おはよー。なんか声が聞こえたら」
「あ、おはよう。ごめんね、起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫。それより……」
七奈が私の後ろにいる少女に視線を移す。私も振り返って少女を見ると、
「……あれ、何やってるの?」
少女は急に肩を跳ね上がらせると慌てて後ろを振り向く動作を繰り返している。何度も繰り返すものだから、その場でくるくると回っている。
「んー、多分、楽來の真似だと思うよ」
「私の動きを模倣しているって事?」
さっきの七奈の声に驚いた時の私の動きはあんな感じだったのか。そう思うと何だか恥ずかしい。少しだけ照れながら見ていると、やがて飽きたのかどうかは分からないが、静止し再び私の顔をじっと見つめだす。
私は試しに右手で後頭部を掻く仕草をしてみる。すると、少女も私を真似るように右手を後頭部に当てる。
「おー、本当に楽來の真似っこだねー。私の真似はしないのかな?」
七奈はそう言うと、少女の前に立つと、両腕と片足を上げ、あちょー、とかよく分からない奇声を上げる。何とも珍妙な七奈を目の前に、しかし少女は無関心な様子で少しだけ横に動くと、再び私を見つめだす。
「ほほー」
変なポーズを解除した七奈が感心した様子で私と少女を見比べる。
「これはあれだね!いん……いんぷり?」
「もしかして、インプリンティングって言いたいの?」
「そうそれ!いんぷりん……ぷてぃんぐ!」
何とも甘ったるそうな刷り込みだこと……ではなくて。
「そんな生まれたての雛鳥じゃあるまいし」
私は改めて少女を見る。この子はどう見ても私たちと同い年か少し幼いくらいだし、勿論鳥類でもない。とても短時間で刷り込みが出るとは思えない。
「んー、でもこの子はある意味生まれたてなのかも?」
「生まれたて?この子が?」
「うん。昨日のこと思い出してよ。この子はでかくて丸いゾンビの中にいたよね」
七奈にそう言われて昨日の、今でも信じられない光景を思い出す。そう、この少女は化物ゾンビの中から現れたのだ。どうして化物ゾンビの中にいたのか、それが何を意味しているのか、今はまだ全く分からないけれど。
「つまり七奈はこう言いたいわけ?この子はあの化物ゾンビから産まれた、と」
「うん。そう考えると喋れないのも納得がいくでしょ?」
確かに、生れたてなら言語が理解できるわけがない。いやそれにしても……
「発想が飛躍しすぎじゃない?」
「そうかなぁ?ぞんびーなんてものがいるんだし、何が起こってもおかしくは無いよ」
「う……まぁそれはそうなんだけど」
私たちがこうして話している間も、少女はじっとこちらを、いや、私だけを見ている。時折私が体を動かすと、それを模倣しながら。
「まーいいや。とりあえず朝ごはん食べよーよ。お腹空いちゃった~」
七奈は踵を返すとテントの方に行き、朝食の準備を始める。彼女のあまりにものあっさりした変わり身に一瞬呆気に取られたが、直ぐに思い直す。
私たちはこの少女について、いや、この世界で起きている異変について何も知らない。ゾンビは何処から発生したのか、あの化物ゾンビは何だったのか。そして、何故この少女が姉……御子外乃々にそっくりなのかについても。
何も分からないのにあれこれ考えても推察の域を出ない。それに、私たちには私たちなりの目的がある。分からない事であれこれ頭を悩ませるよりは、目的のためにどうするかを考えた方が良い。
そう考えると少しだけ、気が楽になった。私は少女を見る。こちらをじっと見つめている。その無表情からは何も読み取る事ができない。
だから、一応の警戒はしつつ七奈の元へと向かう。七奈は既にお湯を沸かし、朝食の準備を始めている。
「今日はお豆腐のだよー」
そう言いながら七奈がお味噌汁を三杯分用意する。
「待って七奈。あの子、食事するのかな?」
「んーするんじゃない?」
私の疑問に何も考えていなさそうな感じで七奈が応える。
「でも……」
後ろを振り返り少女の姿を確認する。私と一定の距離を保ったまま、相変わらずこちらをじっと見つめている。私が移動したら一緒に付いて来たところを見ると、本当に私を親鳥と認識している可能性もありそうだ。
「もー、楽來は考えすぎだよー!ご飯食べるかどうかなんて、与えてみたら分かるんだから!」
七奈が何とも乱暴な考え方を口に出す。もし食べられないものとか……与えたら駄目なものとかあったらどうするんだろう?
私がそう思っている間にも、七奈は手際よく準備を終え、三人分の朝食が出来上がった。
今日の朝食のメニューは、ふりかけをかけたパックご飯にフリーズドライのお味噌汁、それから缶詰の鯖の水煮とひじきの煮物。この事態になった直後の頃と比べたら随分ましな献立だ。
「いっただっきまーす!」
七奈がさっそく食事に摂りかかる。私も渋々彼女の隣に座ると「いただきます」と挨拶をしてから割り箸を手に取り、お味噌汁を啜る。温かいお味噌汁が疲れの残った体に温もりを染み渡らせる。
ほっと一息ついたところで、改めて少女の方を見ると、
「あ」
少女はこちらに近づいてくると、私の目の前に同じように座る。
『iraaa……』
何事か発した後、私と同じように割り箸を掴み……取り落とす。再び割り箸を拾い直すが、私のように上手く持てずにまた落としてしまう。
『kyuuu……』
何度も挑戦しては失敗を繰り返したのち、飽きたのか、諦めたのかは分からないが、割り箸を拾うのを止め、俯いてしまう。
「お箸、上手く持てないのかな?」
既に半分近く食べ終わっている七奈が手を止め、少女を窺う。そして、少女の目の前で箸の持ち方を実演してみせる。下の箸を動かないように固定し、上の箸だけを親指と人差し指、中指を使い、器用に動かしてみせる。
「ほら、お箸はこうやって持つんだよー」
けど、七奈の呼びかけにも少女は反応しない。じっと俯いたままだ。
私は……どうしようか一瞬迷った後、重い腰を上げ少女の元へと移動する。
「楽來?」
七奈の不思議そうな顔に微笑みで返して、少女のお皿に箸をつける。鯖を一口大に切り分け、少女の口元へと運ぶ。
「ほら、口開けて」
私がそう呼びかけると、少女は顔を上げ、こちらを見つめてくる。そして、口元に寄せられた鯖を見つめたかと思うと、躊躇いなくそれに食いつく。
「おー、食べたねー!」
七奈が驚き半分嬉しさ半分の声を上げる。
少女は口の中に入った鯖の切り身を口の中でもごもごと転がしながら、やがてそれが食べ物だと認識したのかゆっくりと咀嚼して、飲み込む。
『kyaaa』
そして、改めて私に向き直すと、口を大きく開ける。その姿はまるで雛鳥が親鳥に餌をねだっているようで、それをしているのが乃々だと思うと何だか……いけない事をしている気がして、何とも言えない気持ちが全身を駆け巡る。
どうにも落ち着かない心を整えようと、この子は乃々では無いと自分に言い聞かせながら、鯖の切り身をもう一口、少女の口元へと運ぶ。今度は口の中で転がす事無く咀嚼してから飲み込む。
それからご飯やひじきの煮物も食べさせてみる。初めて食べるものは口の中で転がしているところを見ると、自分で食べられるものなのかを判別しているのかもしれない。流石に味噌汁を飲ませるのは難しそうなので、七奈に飲んでもらう。
「あははは、何だか本当にお母さんみたいだねー」
少し温くなった味噌汁を啜りながら、七奈がとんでもない事を言う。
「ちょ、ちょっとやめてよ」
流石に恥ずかしくなって思わず否定してしまったが、でも、と思い直す。いっそ私がこの子の母親代わりだと思ってしまえば、先程の背徳感も薄れるのではなかろうか。これで姿かたちが乃々でなければ……
やがて、お腹が膨れたのか、少女は口を開くのを止める。そしてまた私をじっと見つめだす。
その視線が気になりつつも、自身の味噌汁を飲む。温もりを失ったそれは、今の私を示しているようで、若干気が滅入った。




