遊行厳戒:V
朝、目を覚ます。視界に映るのは安らかな寝顔。それが七奈だと分かって、私はその寝顔をじっと見つめる。いつも元気で表情の変化が激しい彼女も、寝顔は大人しい。
微笑ましく見ていると、閉ざされていた瞳がゆっくりと開いていく。
「ん~楽來ぁ~?」
「おはよう、七奈」
寝ぼけた声を出す七奈に朝の挨拶を交わす。「うん、おはよー」なんて言いながら寝袋から上半身を起こして大きく伸びをする七奈。それを視線だけで追いながら、少し……そう、ほんの少しだけ残念に思いながら私も身を起こす。七奈とは違って完全に立ち上がり、そのままテントの外まで出てみると薄曇りの空が迎えてくれた。
「今日は曇りか」
こんな事態になってから何日かは雨の日もあったけど、この街に来てからは晴れが続いていた。空模様を眺めながら今日はどうしようかと考える。
「おー曇ってるねー」
七奈もテントから出てきて空を眺める。
「うん。今日はどうしようか」
今日も生存者を求めて市街地を回るか、或いは……
正直なところ、この街の主要な建物などはあらかた見て回れている。その全てで生存者は終ぞ確認できなかった。これ以上この街に留まる必要は無い気がする。
「んー、曇ってるし、今日はここでゆっくりする?」
けど、七奈は私のどうしようかを別の意味で捉えたようだ。反射的に突っ込みそうになって、けど、と思い止まる。私たちはここ数日歩き詰めだ。一日くらい休んでもいい気もする。そう思って再び空を仰ぎ見る。薄曇りの空から雨が降りそうな気配はない。
「雨、降りそ?」
七奈も私と同じように空模様を眺めながら尋ねてくる。
「雨は降りそうにも無いけど、一日くらい休んでもいいと思う」
結局自分だけでは結論が出なかったので、自分の考えを素直に話してみる。
「おー、お休みかぁ。良いねぇー」
幸いな事に七奈も賛同してくれた。
「それじゃあ今日一日はゆっくりしましょうか」
「さんせー」
今日の方針も決まって、まずは朝食を摂る。休みと決めたからか、食べるスピードもいつもよりゆっくりめだ。今日何しようか、なんて他愛のない会話を楽しみながら食べるご飯は、何時もより優しい味がした。
朝食を摂り終わったらテントを畳んで移動を開始する。休みにすると言っても一か所に留まる事は危ない。日中は街中で落ち着けるところに滞在して、日が落ちる前には宿泊するところへ移動する予定だ。そう考えると結局いつもと同じような気もするが、今日は休みだと考えると、生存者を求めて探索している時と違って気楽ではある。
「どっかゆっくりできるところあるかなー?」
「どうだろ。室内で腰を落ち着かせられたらいいんだけど」
当てもなく大通りを道なりに歩いていく。この辺りは街中なのにゾンビの姿が少ない。そして、その先には確か……
「あ、ねぇねぇ楽來。あれって」
「うん」
私たちの行く先に何体かのゾンビがいる。そいつらは皆一様に同じ方向へゆっくりと歩いていく。
「まさか、よりにもよってここに辿り着くなんて」
そこはこの国でも有名な神宮で、当然観光スポットでもあり、私の修学旅行の行き先の一つでもあった。
実はここだけはまだ探索できてはいなかった。理由は一つ。ゾンビたちの数が異様に多いからだ。それもただ多いだけではない。この辺りのゾンビたちは皆何かに引き寄せられるかのようにこの神宮へと入っていく。今も数体のゾンビが、まるで参拝でもするのかのように神宮へと向かっている。恐らく、境内には無数のゾンビたちがたむろしていると予想できる。
私はゾンビたちを眺めている七奈の横顔を見る。彼女の力は確かに強力だ。数体のゾンビ位なら一瞬で片が付く。けどそれが何十体、何百体となったら?それ上の数になったら?果たしてどうなるのか想像もつかない。
そもそも、私たちは自分の持つ力について知らない事の方が多い。これまでは何となくで使って、それで何とかなっていたが、そろそろこの力について検証する必要があるのかもしれない。そう、いざという時に手詰まりになってからでは遅いのだ。
「ねぇねぇ楽來。折角だしここも見ていかない?」
私があれこれ考えていると、七奈がとんでもない事を言いだす。
「いやいや、ここはゾンビが多いから止めておこうって話し合ったじゃない」
「うん。でもほらこれ見て」
そう言って七奈は手に持ったガイドブックを私に見せてくる。
「ここって、入り口が二つあるみたい。今目の前にある所と、少し離れた所に、ほらここ」
七奈の指差すところを見ると確かに入り口が二つある旨が記されている。そこは今私たちがいる入り口の近くにあるらしい。
「ここはゾンビが多くて無理でも、こっちならいけそうじゃない?」
「確かにその入り口はまだ見てないけど」
「でしょ。そうと決まれば行ってみよー」
七奈はそう言うや否や、乗り気で歩き出す。私はどうするべきか悩みながらも彼女の後を追う。
もう一つの入り口にはガイドブックに書いてある通り、直ぐに辿り着いた。
「ほらほら、こっちはやっぱりゾンビ少な目だよ」
七奈の言う通り、ゾンビの数は疎らでこれくらいなら何とかなりそうではある。
「ね、行ってみようよ」
七奈がまるでコンビニにでも行くかのように気楽に言う。けど、無数のゾンビに襲われる危険を冒してまで行く必要があるのだろうか。
私は改めて参道を見る。鬱蒼と生い茂った木々の合間を縫うように続くそれは、まるで異世界へと誘う口のようにぽっかりと開かれている。
行かない方が良い気がする。私は漠然とした不安に苛まれる。根拠なんて何一つない筈なのに。
「……やっぱり止めとかない?」
だからか、七奈の提案を断る言葉も酷く曖昧なものになる。
「えー、何でー?」
私の煮え切らない返答に、七奈が食い下がる。その反応を見て、しまったと思う。もっとはっきりと「止めておこう」と言い切るべきだった。
「だって、どちらにしてもその先にはたくさんのゾンビがいる訳だし」
どうにか思い止まってもらおうと言い訳じみた理由を並べ立てる。
「でもでも、もしかしたら、だよ。建物の中に生存者がいるかもしれないよ?それだから今もゾンビが集まり続けているのかも、じゃない?」
「それは……」
確かに七奈の言う事にも一理ある。この混乱の中、避難できる場所を求めてここに人が集まってきていたとしたら。そして今もまだ立てこもり、救助を待ち続けているのだとしたら。
私たちが行かないという事は、それらを見捨てる事になる。何故なら、私たちにはゾンビを何とかする術があるのだから。
「……分かった。じゃあ楽來はここにいて。私だけで見に行ってくるから」
はっきりしない私を見つめながら、七奈がまたしてもとんでもない事を言う。
正直、七奈がそこまで人命救助に拘っているとは思いもよらなかった。だって、この街を探索している時にはそんな素振り、一度も見せなかったから。
何時にない七奈の真剣な表情。決意は固く、もう覆せそうにない。けど……その瞳が僅かに揺れている事に気が付く。
「行ってくるから……絶対にここで待っていてね」
「七奈……」
「絶対だよ!待っててくれなきゃ、や、なんだからね!」
そう言って私の両手を握ってくる。その温もりに、震えを感じながらその手を握り返す。
「楽來?」
「もう、言い出したら聞かないんだから」
瞳を閉じて深呼吸一つ。私も覚悟を決める時なのかもしれない。だって、七奈と離れて行動を取るなんて、私にはもう考えられないのだから。
「私も行く」
だから七奈の瞳を真っ直ぐ見て短く告げる。震えはもう何処にも無かった。
「楽來!ありがとう!」
喜びに満ち溢れたその顔を見て、これで良かったのだと自分に言い聞かせる。
「大丈夫だよ!どれだけゾンビがいてもぜーんぶびーむでやっつけちゃうから!」
「うん、期待してるね」
「まっかせてよ!」
そう言って得意げに自分の胸を叩く七奈。その姿に思わず可愛いと思いながら参道の入り口を見る。
薄暗がりに開けた大口は、ただただ静かに、異界へ旅立つものを待ち続けていた。




