遊行厳戒:III
それから丸三日をかけて、私たちは市街地を探索した。
ただ、闇雲に見て回っていたのでは効率が悪いので、まずはコンビニでこの周辺の地図と観光ガイド本を手に入れて、生存者が避難できそうな場所を虱潰しに回った。学校、警察署、消防署、病院、市役所、図書館、大型の商業施設、神社仏閣、等々……
結論から言うと、何処にも生存者はいなかった。その事実は予め想像はしていたけれど、それでも気持ちは落ち込んだ。七奈もそういう素振りは見せないように振舞ってはいたけど、その顔色に若干の陰りがみられる。それが私の思い過ごしでない事を証明するかのように、彼女に小さな変化も見られた。それは……
「……」
私は自分の手を見つめる。そこに重なるものは無く、宙ぶらりんのまま虚空を掴んでいる。
そう、あの夜から七奈は私と手を繋ごうとしなくなった。それまでは隙あらば手を繋いできていたのに……
それに、探索している時も妙に距離感を感じる。まぁ、手を繋いでいないのだから必然と互いの距離も離れるのは分かるんだけど、それでも遠い。その微妙な離れ方は、まるで私から手を繋ごうとしても届かないようにしているようで、正直靄る。
それでも普段の態度はいつも通りだし、寝る時も一緒の寝袋だ。けど、それでも手を繋げないという事にどうにもやきもきしてしまう。それならばと、自分からと手を伸ばそうとしても、そういう時に限って七奈は私から離れるような行動を取る。そう、まるで手を繋がれそうになるのを事前に察してそれを避けるかのように。
「はぁ……」
だから自然と溜息が漏れる。それが生存者がいないからではなく、別の理由である事に自己嫌悪しつつも止められない。もし私の溜息の理由を七奈が知ったらならどう思うだろうか。
「……何考えてるんだろ」
どうにも思考が後ろ向きで何ともよくない流れだ。私は前を歩く七奈の背中を見つめる。彼女は今日も元気にゾンビたちをビームで消し去っている。向かうところ敵なしだ。それでも見晴らしの悪い道や狭い路地を行く時は警戒が必要だ。もし七奈がビームを打つ前に襲われたら……それだけは絶対に避けなければいけない。
「んー、この辺りにもいなさそうだねー」
「え、あ、うん、そうだね」
突然七奈がくるっとこちらを振り向いて話しかけてきたから、ついしどろもどろな返事を返してしまう。私の歯切れの悪い言葉にも彼女はにこっと笑顔で返してくれる。けど、やっぱりこちらには近づこうともせず、また前を向いて歩きだしてしまう。
今や街の中心からだいぶ離れた所を探索している。役割を終えた踏切は抗議の声を上げる事もせずに唯々佇む事しかできない。それを超えると街並みの様子が変わり、建物の合間に田畑が見られるようになる。それらを眺めつつ進むと、左側に大きな工場が現れる。入り口の看板から見るにどうやらゴム工場のようだ。北門と書かれた入り口はフェンスで塞がれており、工内には数体のゾンビの姿が見て取れる。
右側には田畑、左側には工場を眺めながら更に進む。途中、大通りにぶつかったので青い案内標識に従い左折する。そのまま南下して暫く進むと、更に大きな道路にぶつかる。青い案内標識には直進すると市街地の南地区へ、左折すると市街地へ、右折すると次の市へと辿り着くと表記されている。
「んー、今度はどっちに行く?」
七奈がどっちへ進むか聞いてくる。この通りを挟んで南の方は既に見て回っている。とすれば右か左か。ここに辿り着いてから四日。結局見つけたのはゾンビだけだった。となると、もうここを離れるべきなのかもしれない。けど……
「その前に、ちょっと疲れたから、あそこのコンビニで休憩しない?」
私は交差点の一角にあるコンビニを指差す。七奈は快く了承して付近のゾンビをビームで消し去ってから、コンビニ内へと入っていく。店内にゾンビの姿は無く、それでも警戒しながら食料を少しだけ手に取る。コンビニの駐車場でそれらを食べながら一息つく。
「何か、ずっと歩きっぱなしだねぇ」
七奈が車止めのポールに軽く腰掛けながら足をぷらぷらさせる。
「うん、自転車が使えたらよかったんだけど」
「だねー」
市街地に入って直ぐの頃、自転車での移動も考えて駅の駐輪場を見に行った。止められていた自転車は少なかったが、中には鍵の掛かっていないものもあった。これ幸いと試しに乗ってみたが、車道には車が多く、それを避けて走るだけでも大変だった。それにスピードを出したら急には止まれない。乗っている時にゾンビに襲ってこられたら対処が難しいという事で自転車での移動は断念した。
「ふんふんふー、アイス食べたーいー♪」
脚をぱたぱたさせながら七奈がのんきな歌を歌う。短めのスカートからすらりと伸びる健康的な脚を何とはなしに眺めてしまう。疲れているならばたつかせずに休ませればいいのに。
「アイス、食べたいね」
ぼーっとしながらも七奈の歌に同意する。でもアイスを食べたいのは事実だ。残念ながら、コンビニなどで見かけるアイスコーナーの物は全て溶けてしまっていて、とても食べられそうにない。
「そうだよー。バニラに抹茶にチョコミント~♪」
「えっ、チョコミント?」
続けて歌う七奈の歌詞に聞き捨てならないワードが出てきて思わず突っ込んでしまう。
「うん、チョコミント食べたーい」
「でもチョコミントって歯磨き粉の味がしない?」
「えーしないよ?」
「いやいやするでしょ」
「えーそうかな?」
「そうだよ」
「んーいやいやしないって。流石に?」
「いやするでしょ流石に」
「んー?」
七奈がどうにも納得がいかないといった感じで腕組みをして小首を傾げる。というか、何この会話。
「んんん~?」
「いや七奈ごめん。別にそこまで悩む事じゃないから」
勿論チョコミントと歯磨き粉は違うものだというのは分かっている。それでも私の友達にも同意見の子が多かったのも事実だ。けどチョコミントが好きな子もいたわけで、その事にここまで頑なに主張する事は無かった。だから今回も軽く流せばよかったんだけど。
唸り続ける七奈を見つめながら自身の不可思議な行動について考えていると、七奈が突然「あっ、そっか!」と大声をあげて立ち上がる。そして、人差し指を立てた手を私に向けて伸ばして宣言する。
「チョコミントが歯磨き粉の味がするんじゃなくて、歯磨き粉がチョコミントの味がするんだよ!」
「あー成程」
七奈の力説に思わず納得してしまう。私の成程という言葉に得意げな顔になる七奈。はい可愛い。
確かに歯磨き粉には爽快感を上げるためにミントが入っているものが多い。あれ、でもそれだけではチョコミント味にならないんじゃ……?
「でもそれだとミント味のガムとかも歯磨き粉の味がするんじゃない?」
「むむっ?」
「それにチョコ成分は何処に行っちゃったの?」
「……あれ、そうだね?」
「そうだよ」
「ミント味のガムは歯磨き粉の味がするって言われないよね?」
「言われないね」
「チョコは?」
「行方不明……かな」
「んー……何で?」
「いや私にも分からないから」
「楽來でも?流石に?」
「うん、流石に」
「うーむむむ~」
振出しに戻ってしまった問題に、いや別に問題があるわけではないけれど、再び頭を悩ませる七奈。いや、もっと他に悩むことがあるはずなんだけど。
けど、そんな彼女を見ていると私も自然と明るい気持ちになれる。それは私一人でいた時には無かったものだ。七奈といるだけで前向きになれる。そう考えたら手を繋げない事なんて些細な事のように思える。
尤も、その小さな棘は何時までも抜けずに常に小さな痛みを訴えかけ続けている。私も七奈のことは言えないな、と思いながら、今も頭を悩ませて唸っている七奈を見つめ続けた。