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「一点一格にして生きるがごとく」と映画「君の名は」 ― 完全解明には程遠い、映画「君たちはどう生きるか」考 ―

作者: sinnrinn kouenn

「一点一格にして生きるがごとく」と映画「君の名は」

完全解明には程遠い、映画「君たちはどう生きるか」考


 はじめに


「千と千尋の神隠し」を筆頭に数々の名作を生み出してきた宮崎駿監督は、近年引退や後継者問題が取り沙汰されています。映画「君たちはどう生きるか」のタイトルは、この世間の関心事に対する答えになっているのではないか。本作には葛飾北斎の言葉「一点一格にして生きるがごとく」と新海誠監督の映画「君の名は」という二つの重要な要素が隠されていると考えられます。


 スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは宮﨑作品の手法を「ブリコラージュ」(あちこちから素材を集め、パッチワークのようにつなぎ合わせる)と表現しています。この視点から映画を分析すると、北斎と新海誠の痕跡が随所に見られます。


 北斎との関連性


 映画タイトルとの関連


 作品タイトル中の「生きる」は北斎の言葉に由来すると考えられるます。北斎は75歳の時に出版された「富嶽百景」初編の跋文で「一点一格にして生きるがごとく」と記し、100歳を超えても画家として向上し続けたいという気概を示しました。「6歳の頃から絵を描いてきた北斎は、70歳以前までに描いた絵はとるに足らないもので、73歳にしてようやく動植物の骨格や出生を悟ることができた」と述べ、さらに「90歳で絵の奥義を極め、100歳で神妙の域に到達し、百何十歳になれば一つの点、一つの線を描いたとたん生きているような画になる」と語りました。また、北斎は死ぬ間際「あと10年、いやあと5年生きることができれば真の画工になってみせるのに」と創作意欲が衰えなかったといいます。


 この気概あふれる姿勢は宮崎監督の現在の心境と重なります。監督は引退する気持ちはなく、映画タイトルは観客に「どう生きるか?」と問いかけるようでありながら、その実北斎のようにこれからも優れた作品を描き続けたいという高らかな宣言というわけです。


 映画に見られる北斎の要素


 映画は監督の少年時代、昭和初期という時代設定で、刀、木刀、弓矢、箒、着物、煙管キセルといった古めかしいアイテムが登場します。また鷺、インコ、鯉、蛙、鯰(沼ガシラ)、福助といった小道具は、全て北斎が描いているものです。


 下の世界の主、大伯父の顔立ちは北斎の自画像や北斎が描いた武将や偉人の顔に通じるものがあります。さらに下の世界の宮殿で大伯父が四角柱、円柱、球、三角柱からなる8個の白い石の積み木を積み、棒で軽くたたき下の世界の強度を確認するシーンは象徴的です。北斎は画の描き方の教習本で「丸(円)と方形(四角や三角)があれば誰でも上手に画を書ける」と指南しています。


 宮崎駿監督が映画を構想した2016年の前年2015年に、スタジオジブリは長野県小布施にある「北斎館」の企画展に共同参画しています。映画製作のために北斎の専門的知見を吸収する目的があったのではないでしょうか。


「君の名は」と新海誠との関連性


 後継者としての新海誠


 続いて、作品タイトル中「君 は」部分と思われる、映画「君の名は」について。

 いわずと知れた、新海誠監督の代表作です。

 もうおわかりでしょうか?結論からいいますと、冒頭で記した世間一般の関心事、後継者は誰かについて、宮崎駿監督は吾郎ではなく、秀明でもなく、誠を選んだというわけです。


 最も直接的に「君の名は」を感じさせるシーンは、下の世界に降りたばかりの眞人が金色の門の中に見る「巨大な石積みの墓と糸杉が林立する所」です。このシーンは「君の名は」で三葉と入れ替わった瀧が、三葉の祖母と妹に同行して口噛み酒をお供えした「宮水神社奥宮」の入り口と重なります。「神木(木)が生えた岩坐(石)」という「君の名は」の要素が、「巨大な石積みの墓と糸杉が林立する所」という形で表現されています。


「石の積木だ」「この石は木ではありません」など、映画中に繰り返し出てくる「石」と「木」というキーワードは、両作品を結ぶ重要な要素と考えられます。


 眞人とキリコの入れ替わり


 映画のCパート(下の世界に降りた眞人が、若い漁師のキリコと再会するシーン)では、上の世界の眞人は大半は宮崎駿監督を、下の世界に落ちた後(特にCパート)の眞人は新海誠監督を表していると思われます。同様に上の世界で老婆だったキリコは下の世界(Cパート)では宮崎駿監督に入れ替わっていると思われます。なぜなら、映画「君の名は」の瀧と三葉の入れ替わりをオマージュしたからです。


 キリコの漁船での「お前、名はなんという」「マヒト」「まことの人か」というやりとりは、「眞」という字が「まこと」と読める点から、宮崎駿キリコから新海誠(眞人)への呼びかけと解釈できます。


 金色の門のメッセージ


 下の世界で眞人が見る金色の門の梁に刻まれた「ス死ハ者ブ學ヲレワ」(※眞人はこれを読み上げます)という文字は、中国の画家・書家である斉白石の「我学者生 似我者死」(我に学ぶ者は生き、我に似せる者は死ぬ)という言葉に近い。検索先では、我=師(斉白石)の教えを学び、それを生かして創造する者は生き、師を真似るだけでは死ぬ、という意味とあります。しかし中国語の「我」は、ウーと発音し、単純に私=自分という意味です。また「ス死ハ者ブ學ヲレワ」は、よく見ると「我」ではなく「レワ(ワレ)」です。宮崎駿監督は、観客に検索されることを前提に、我を師という意味に誤解されないように、ここを「我」ではなく日本語の「ワレ」(つまり自分)にしたのではないでしょうか?


 これを踏まえ、原文は「自分を生かして創造する者は生き残り、自分を真似るだけでは生き残れない」という意味にとります。そしてさらに眞人が声を出して読んだ文は「(過去の)自分(の作品)を生かして(新たな作品を)創造しても生き残れない。もちろん(過去の)自分(の作品)を真似るだけでは生き残れないことは、いうまでもない」という意味にとります。


「過去の自分の作品を生かして新たな作品を創造しても生き残れない」とは、どういうことでしょうか。新海誠監督作品と宮崎駿監督作品を樹木に例えて比較すると分かりやすいでしょう。


 宮崎と新海の映画作りの違いを樹木に例えると、宮崎作品はクスノキ、クヌギ、シイやカシなどあたかも一本一本違う種類の樹木のように各作品の時代・場所・テーマが異なるのに対し、新海作品は一本の太い幹(現代・東京・若い男女の出会いや別れ)はそのままに、そこから新たな枝葉に枝分かれするような作風です。宮崎監督は新海監督に「自分のように根本的に全く違う映画をつくらないと生き残れない」という厳しいメッセージを送っていると思われます。


 実際に新海誠監督は次回作について、今までの作品とは「全く違い」、現代や東京から離れ、山田芳裕のマンガ「望郷太郎」のような架空の世界が舞台になると語っています。※2025年2月YouTubeでの「近況」音声配信にて


(山田芳裕の作品は「骨太」。今までの新海誠監督作品のどこかソフトなイメージとは「全く違い」ます。)


「崖の上のポニョ」と東日本大震災


 映画序盤で眞人(宮崎駿監督)は転校した学校の生徒とケンカした後、自傷行為で右の頭部に傷をつけます。後に下の世界、眞人とキリコとの会話で、キリコも同じ位置に傷があることが明かされます。


 キリコ:「その傷は?」 眞人:「あ…バンソウコウが取れた」 キリコ:「同じだ」「沼ガシラにやられたんだ」「でっかい奴だった。食ってやったけどね」


 ⦅下の世界(Cパート)では老婆キリコは宮崎駿監督に、眞人は新海誠監督に入れ替わっていました。⦆


 ここでの「沼ガシラ」は鯰を指し、鯰は江戸時代から地震を引き起こすと言い伝えられてきました。「同じ傷」は宮崎監督自身の心の傷を表し、「大きな沼ガシラ(大鯰→大地震)にやられた」とは東日本大震災を、「自分で自分を傷つけた」とは「自分がつくった映画で自分を傷つけた」という意味と解釈できます。


 具体的には宮崎監督は映画「崖の上のポニョ」(2008年公開)の波や津波の表現が、2011年の東日本大震災を予知したかのように受け取られ、結果として人々を傷つけてしまったことに深く傷ついたのではないかと思われます。映画「崖の上のポニョ」は2010年2月にテレビ初放映されましたが、東日本大震災後は津波シーンがリアル過ぎるとして一時無期限放送禁止になったという事実もあります。


 興味深いことに、波の表現を追求した「崖の上のポニョ」と、北斎の代表作「神奈川沖浦浪裏」には接点があります。後述しますが、宮崎監督が北斎を自身の作品に生かしてきた歴史は思いのほか古いと推測されます。


 北斎と宮崎駿監督の歴史的関連


 北斎と妙見信仰と須弥山(※映画「天気の子」など)


 葛飾北斎の「北斎」という名は、仏教日蓮宗の「妙見(北極星と北斗七星)信仰」に由来しています。映画「君たちはどう生きるか」で塔の大広間の天井には北斗七星と思われる星辰図が描かれています。また円形の金色の床は須弥山世界観の「金輪際」(こんりんざい)を思わせます。眞人らは金色の床をズブズブとゆっくり下の世界に抜け落ちていきます。映画の下の世界は、須弥山世界観の下の世界を表す四輪の金輪や水輪のイメージか?


  ※新海誠監督作品、映画「天気の子」のポスター(陽菜が人柱として行った天空の地の絵柄)に北斎の作品「須弥(須弥山の昼と夜)」を感じます。

 →ぜひ検索し、両者の相似をご確認ください


 ※新海誠監督作品、映画「すずめの戸締り」と「雀踊り」。「雀踊り」は北斎が描いた日本初のパラパラマンガの作品名です。


 なぜこんなことが?

映画「君たちはどう生きるか」スタッフリストに作画協力としてコミックス・ウェーブ・フィルム(新海誠監督をマネジメント)の名が!


 ムーミンとの関連


 宮崎駿監督が北斎の魅力に気づいたのはいつでしょう?1960年代後半、1967年に日本で北斎展が大評判になった時期と、高畑勲と宮崎駿が東映動画からAプロダクションに移籍した時期1971年?が近い。大塚康夫氏は「ムーミンに惹かれて宮崎さんや高畑さんもAプロに移ってきた」と語っています。


 重要なのは、ムーミンの作者トーベ・ヤンソンも北斎作品をモチーフにした作品を残していることです。「トーベ・ヤンソン 北斎」などで検索し、画像の数々を見ていただきたいのですが「あー、なるほどね」と感じていただけると思います。それは、北斎が息づいている洋風のファンタジーです。まだ、パッと見の印象ではありますが、宮崎駿監督作品のみならず他のスタジオジブリ作品にも通じる、スタジオジブリの源流にたどり着いた思いがします。そしてさらに 「トーベ・ヤンソン 塔」で検索すると映画「君たちはどう生きるか」の塔を彷彿とさせる画像に出会えます。


 宮崎駿監督は1963年東映動画に入社。1959年入社の先輩パクさんから早い段階で北斎の芸術性、魅力を伝えられ、共感したのではないか。1967年の北斎展の大成功で「やはり北斎はすごい、いち早く北斎に目をつけていたパクさんもすごい」と。「未来少年コナン」以降の作品に北斎の影響が見られ、「君たちはどう生きるか」ではかつてムーミンを描けなかった未練も晴らしているのかもしれません。


 まとめ


「君たちはどう生きるか」は、その表面的な難解さ、支離滅裂さの厚い雲を乗り超え、北斎の作品や生き様や、東日本大震災と映画「崖の上のポニョ」の関係、また高畑勲、北斎、「ムーミン」など自らの創作の源流との向き合いや、映画「君の名は」を代表とする新海誠監督への後継者としての期待と助言など、各要素を丁寧に、丁寧に一瞬の晴れ間をとらえるように読み解くことで、まさに宮崎駿監督の「自伝」とよぶべき、雲一つない青空のような明確で明晰なテキストが重層的に浮かび上がる、そんな映画かと思われます。


(この原稿は、5000字程度の凝縮版です。この原稿とは別に14000字程度の完全版があり、近日中に投稿する予定です。)

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北斎やムーミンとの関連は知りませんでした。
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