聖剣に選ばれなかったもの
俺の両親は…物心が付くよりも早くに失った。
両親との数少ない記憶よりも濁ることない真実がただ頭に残っている…
毒殺だった。
俺の父親はキバ湖で取れる魚が好物だったらしい、幼い頃から食べ親しんだものを人生の最期に口にした。
母も笑顔でその料理を口にした…
何気ない日常の一コマに紛れ込んだ悪意によって、俺は家族を失った。
犯人は乳母だった。幼い俺をまるで自分の子のように育ててくれた彼女は城の兵士に囲まれながら、今にも命を手放しそうな青い顔で必死に無実を訴えていた。
きっと…
父が生きていたら、
あるいは母が生きていれば…彼女を庇っていたことだろう…
俺も…彼女が好きだった。
城の誰よりも早く起きて、誰よりも献身的に働いていた彼女の筈が無いと…
兵に囲まれ、絶望に心を押し潰されるように膝をつく彼女は、最後に俺を見つけた…
その時の安堵の顔が今でも忘れられない…
ポロポロと涙を流して俺に手を伸ばしていた。
産まれて間もない俺に何を望んだのか…そして、彼女がその時何を思ったのか…そんなことを考えると吐き気が込み上げてくる…
幼い俺は…彼女が俺に手を伸ばす意味も理由も分からなかった。だから…ただいつものように笑顔を浮かべた。
…彼女の最期は打首だった
大事なものは大事なものと理解するよりも先に消えてしまう…
その次の日からだったか、空いた両親という席に座ったのは祖父と…
「………」
「アルシエル、彼女が今日からお前の新しい母親になる…」
「モルガン・ル・フェイと…」
その後に続く言葉が何だったのか…覚えていない。
よろしくだったのか、ただその一言だったのか…
無口、無愛想…
そんなものなら…気には留めなかっただろう。
「⁉︎」
彼女の瞳の奥にゆらりと見えた蒼い炎…
見間違えでは無い…滝のように降り注ぐ雨の中で確かに揺れる宗玄火
その炎を見た瞬間、まるで夢の中に引き摺り込まれたような感覚がした。瞳の中に燃ゆる炎は俺に飛び火しジリジリと音を立てて俺の存在そのものを燃やされた気がした。
降り頻る雨の音すら、静寂に…
まだ心を知らぬ子供に…
彼女という存在たらしめたのは
たった二つだ…
この世全ての生命を俯瞰した冷たい視線と
その奥にある轟々と燃え上がる真逆の憎悪
酷く、ひどく…冷たい瞳の中で静かに宿った炎は初めて知る恐怖とともに俺の心と頭に焼き付いた。
それが彼女、モルガン・ル・フェイ
という女性の最初の印象であったこと…
@
マーリン達と別れたアルシエルはこの国の王にして、祖父にあたる人物のもとへと向かっていた。
アルシエルは扉の前で一度、深呼吸をすると扉を叩く。
「陛下、アルシエルです」
「おお、アルシエル……さぁ、中へおいで…」
「失礼します」
ひどく嗄れ声とともに、入室の許可をもらったアルシエルは中へと入った。
「…陛下」
痛ましい表情を浮かべるアルシエルの視線の先、窓際に横たわる男性こそが、この国の王である" アンブロシウス・エディン・ガラル" といった。
彼が残した数多くの武勇は数々の詩人に謳われた。かつて、この国へ攻めてきた巨大な石の巨人を拳一つで撃退してみせたと、はたまた、ずる賢いお化けの猫を騙してやっつけたなどと。嘘か真か分からない話が多かったが、それでも…この国を今日まで守り続けてきたことは確かだということ
そして…そんな華やかな武勇もまた昔の話だと
彼の目の前で横たわる彼はすでに剣を握ることはおろか、この寝床からまともに立ち上がることすらやっとの状態だということ
「堅苦しい礼儀は…無しとしよう…ここは…私とお前の2人きりなのだから…」
「はい…」
窓際に横たわる白髪の男性は瞼を閉じたまま、アルシエルに手招きする。
「剣の技量をメキメキと上げているとマーリンから耳にしている…ケイの肝を冷やすことがしばしばあると」
…頑張っているのだな
そう、嬉しそうに笑う祖父に俺は苦笑いを返す。
「マーリンの言葉を鵜呑みにしないでください…俺の剣は一度たりともケイ卿に届いてはいません」
そうだ…
俺はまだまだ未熟だ。
ランスロット卿、ガウェイン卿達の方がよっぽど才能がある…
ぎゅっと拳を握る俺を見て、祖父は俺の頬に手を伸ばす
「ただ…鵜呑みにしたわけではない。自分に厳しいアルシエルは気付いていないのだろう?」
「何が…ですか」
「精悍な顔つきに変わっていることに…焦らずともお前は立派な騎士になる」
「……ケイにも言われました。………俺にはよく分かりません」
「いいや…分かる筈だ」
「?」
トントンと俺の胸を指で叩いて祖父は笑う
「ここに流れる…このガラルでもっとも"陽気な騎士" の血がお前を必ず立派な騎士へと導く筈だ」
「……」
「だから、この言葉を忘れず…ここにきちんと置いておきなさい…」
「……はい」
俺の返事に祖父は満足そうに笑みを浮かべた。
嘘か真実か分からない祖父の武勇を讃えて、誰かが"陽気な騎士" と表現した。次第にそれは国を回す民に、国を守る兵に、国を背負う子供たちに親しまれる二つ名となった。宰相達は目くじらを立てていたが当の本人である祖父はそれをとても気に入っていた。
皆の心に残るいい名だと…
祖父はそういう人だった。
華やかで勇ましい武勇ではなく、泣く子も笑うような道化のような騎士を望んだ
民に愛される…俺の自慢の父親だ。
「ところで、アルシエル…私の大切な孫であるお前に…大事なお願いをしたい…」
「はい…」
「ルミナスメイズの森に住み着いた盗賊を退治してきてほしい…」
「俺1人で…ですか」
「まさか…何人かともをつけるとしよう、出立は4日後、人選はマーリンに任せてある」
「あいつ…ですか」
「ああ、私以上にアルシエルを理解しているのはマーリンしかおるまい?」
そして何より…
「私の唯一信頼できる友、マーリンならなんの問題もないだろう」
微かに笑みを浮かべる祖父を見て、アルシエルは口を開く
「あいつのどこが信頼できると?口も態度も軽い、さっきだって訓練場に来たかと思えば女のために酒を飲むと」
そんな奴のどこが…
そう口にしかけたアルシエルの頭にそっと手がのった
「いつか、お前にも分かる時が来るのだろう。…心置きなく言葉を交わせる友が…背中を任せられる戦友が」
「………」
「願わくば、この命尽きる前に…お前の友や晴れ舞台を見たいものだ…」
アンブロシウスはそう呟くと、窓の外へと視線を向けた。
「アルシエル…」
「はい…」
「これからのガラルを背負って立つ王となるお前の初めての戦となる…心して向かうといい」
「はい!」
「私はここで吉報を待つとしよう」
「必ず、おじいさまの期待に応えて見せます」
深く頭を下げるアルシエル…
そんな彼らのもとへと見計らったようにやって来る一つの人影
「おお…モルガン」
「……」
俺の背後に立つ幽鬼のように静かな存在…
彼女は一度だけ俺の存在を確認すると口を開く
「陛下、あまり窓に近付かれぬよう…お体に触ります…」
「……ああ、そうだな」
「何をしに来た…」
「…」
「アルシエル?」
彼女の顔を見ることは無い…彼女の言葉の一つ一つが俺の神経を逆撫でしていく…
昔からそうなのだ。物心がついて、徐々に心が成長していく中で、こいつとのやりとりは何一つとして変化していない。何一つ積み上がったものがない。
何かを彼女にされたわけでない…
何かをしたと断言する材料もない…
なのに、心の奥底から彼女が憎いと思ってしまう。
俺にケイのような剣の技量があれば…今手元に剣があれば、少しの気の迷いで俺はこいつを…
「何か喉を潤すものを…と」
彼女の傍らには銀の台車とその上には二つの容器が添えられていた。
「必要ない」
「分かりました」
ただ一言、俺の言葉に彼女は静かに部屋から出て行こうとする。
彼女が離れると、逆立っていた神経がゆっくりと…落ち着きを取り戻していくのを感じ…
「いや、ちょうど喉が渇いていたところだ…」
「⁉︎」
祖父の言葉に俺は返すように咄嗟に口にする
「飲み物なら俺が…」
「今、目の前にあるのだ。厨房から取りに行く必要はないだろう」
「っぅ…ですが…」
まごついている間に祖父の前に飲み物が置かれた、手を伸ばし止めるよりも先に祖父は飲み物を口に運び、音を立てて飲み干した。
満足そうに容器を戻すとモルガンと談笑を始めた。
俺はそんな二人の会話の蚊帳の外…
おじいさまが誰かと楽しそうに笑うのはいい…
だが…コイツは…
ほんの少しの敗北感を包み込むのは嫌悪感と嫉妬…
おじいさまが自分といる時よりも弾む声音と笑顔向ける先がこの女であることが我慢ならなかった。
ガタッ…
「…アルシエル?」
「……」
落としていた視線は背後へおじいさまを見ないように俺は立ち上がった
「用は済んだので…」
そう言って俺は二人から距離を取るようにこの場所を後にした。
@
頭に大量の空気を送り込まれたような感覚…今にも膨張しそうな怒りとともに当てもなく城を歩いた。
何人か城の者が俺に話しかけようとするが、俺の雰囲気を察して手を止める。
早足からゆっくりと速度が落ちていく、怒りは徐々に鎮火し、寂寥感が胸を通って涙腺へと到達する。
「……もう嫌だ…こんな城に居るのは…うんざりだ」
ぼやける視界を覆う先に見えたのは、花が舞う緑の庭園その中心にいるのはいつだってどこか儚さを纏った蒼き狼…
「また行くのですか」
その瞬間、瞼の裏に見えた景色が怒りに掻き消された。
「何故っ…お前が…」
こめかみを抑える手にギリギリと力が籠っていく…
「どれだけ足繁く通おうと…聖剣に認められることはありません」
「黙れ!お前に俺の何が分かる!」
吐き出すように振り返った先にいるのは、怒りを露わにする俺とは対照に何も無い空虚な表情を張り付けた魔女
「…」
「お前のような奴に俺を理解されてたまるものか!」
「…」
響き渡る俺の声に近くにいた城の者がこちらを伺う、止めるべきか、誰かを呼ぶべきか右往左往している彼らの注目の的になりながらも、俺の怒りは収まらない。
彼女が示したのは真実だ…だがそれをこの女の口から吐き出されることが心の底から我慢なら無かった…
それはまるで…
俺の大切な存在との関係を否定された気がした。
唇を噛み締めるように吐き出す…
「お前さえ居なければ…」
「殺しますか…」
「!?」
矢のように鋭い視線にドキリと心臓が脈を打った…
ふと一つの違和感を確かめるように俺はゆっくりと視線を落とす。
「…」
俺の手は腰へと伸ばされていた…もし、数刻前であれば剣が添えられていた場所だ。
無意識だった。
殺してやりたいと思ったことは何度もある…それでもここまで明確に行動に移したのは初めてだった。
「…俺は…ただ…」
城の者の俺を見る視線が変わったのを感じた。
恐れるような…あるいは軽蔑したような…冷たい視線だった。
そんな彼らの視線に耐えられなくなるように俺は一歩後ろへ下がるが…
目の前の女の勢いは止まらない、ただの一歩も微動だにせずに、ただ一つの言葉を持って俺に止めを刺した。
「陛下の笑顔を奪いたいですか…」
その瞬間、自分の視界が真っ白になったのを感じた。
強い光を浴びたような視界の向こうで見える筈もない未来…あるいは過去が現像される
死に逝く父におじいさまの姿が重なった瞬間、体の内側から吹き出す憎悪に突き動かされるように目の前の女の細い首へと手を伸ばした。
「やぁやぁ、お二人ともこんな所でご歓談かな?」
肩にそっと手が載った瞬間、真っ白だった視界が晴れていく。
自分が何をしようとしたか思い出し、咄嗟に俺は手を確認した…自分の手が何も握っていないのを確認し目の前の女を確認する。立ち位置は視界が眩む前と変わっていない。
つまり…今のは…夢?
「………マーリン」
「ふむふむ、確かにこの僕の色香にクラッと来てつぅい、熱い視線を送ってしまうのは理解出来てしまうけど、そこまで見つめられると城の者に関係を怪しまれてしまいます」
「……」
「なんでお前がここ………」
肩に置かれた手を払い、改めて俺の隣に立つマーリンの顔を見た瞬間に全てを理解してしまった。
「……ほんと死ねばいいのに」
「開口一番ひどいぃっ!」
右の頬には紅葉のような手の跡が、真正面には拳の跡が…相当な一撃をもらったのか鼻からとめどなく溢れる血液が今も城の地面を濡らしていた。
「顔面がヒリヒリ痛いんだよ〜アルシエル、昔みたいに" 痛いの〜痛いの〜飛んでけ〜" してくれないかい!」
「やめろ、血が付くだろ!汚っ…おまっ…ほんと死ね!」
人の衣服にこれでもかと鼻血を擦り付ける宮廷魔術師の頭に拳を叩き込んだ。
潰れた蛙のような体勢で地面に沈んだマーリンはよろよろと立ち上がると女に向き直った
「さてと、アルシエルに用があるのだけれど、借りていっても?」
「俺をモノみたいに言うな!」
「…お好きなように私の用は済みました」
「ん?それは年端もいかぬ少年に僻みをぶつけることかな?」
「……」
「まぁ〜僕が言うのもなんだけど、君がどれだけ頑張ろうとアルシエルのような才能を持った子は産まれないと思うけどね」
「?」
「貴方の言う" みらいよち" がそうなると?」
「それもあるけど…使わずとも分かるさ」
「…」
「おっと…こっから先は言わぬが花ってやつかな?」
片目を閉じて笑みを浮かべるマーリンに何も言わず女が背を向け歩き出すのを確認し、俺はマーリンへと向き直る。
「おい、今の話は…」
「うん?」
「はぐらかすな…何の話をしていたと聞いている」
「それはね〜」
ニヤニヤと笑みを浮かべたマーリンは俺の額の前に指を持っていく。
パチン…
「いてっ…」
「お子ちゃまなアルシエルにはまだ早い大人の話ってこと」
さぁ〜行くよ〜
と歩き出すマーリンの後ろへついていく。長い付き合いだが、こういう時のマーリンはどれだけ聞いても何も答えてくれない。上手いことを言ってはぐらかしたり、他の話題に持っていく。最近はそういう雰囲気を察して深く追求するのをやめた。
「アンブロシウスとは話せたかい?」
「…ああ」
邪魔は入ったが…
そんな後の言葉を察したようにマーリンは続けた。
「君にお供する騎士は僕の方から声を掛けておいたよ」
「はやいな…」
「君と一緒に行けると聞いて皆んな張り切っていたよ。特にアグラヴェインはね」
「…」
「意外かい?」
「いや…」
そうじゃない…
他の奴は大抵、ガウェインかランスロットの名を挙げるからだ。アグラヴェインを評価する声は少ない、それも分かるが…それでも
「君も彼らに置いて行かれないようにね」
「無論だ…民を導くのは王の勤め、そしてその先に立つのは俺でなくてはならない」
「うんうん、その意気だ。ただ少し残念なことに今回の遠征にケイは参加出来ない…僕もその日酒場へ行かなくてはならなくてね」
「ケイ卿がいなくとも問題ない」
「アルシエル?僕もね、僕も行けないよ…聞こえてるかい?」
視界の隅で喚いているカスを思考の外に、俺は物思いに耽る。
この四日間で少しでも剣の腕を上げなくてはならない。しかし、城の者も忙しい…いくら王の息子である俺でも我儘で彼らの仕事は邪魔出来ない。
ならば、どうするか…
「愚問だったか…暇なものならすでに居たな」
「ぎくっ…いや、言ったでしょ…アルシエル。僕は酒場へ行かなくちゃならないって…今度こそ彼女をね」
「黙れハゲ」
「禿げてないよぅ〜」
涙目で訴える宮廷魔術師をあとに俺はまどろみの森へ向かった