オーストラリアの若者SNS禁止法案と「2.5次元の誘惑」
世界の趨勢は子供たちのSNS利用を制限する方向にあると考えられるのか、今まで子供たちのスマホ所持を禁止しようと呼びかけてきたある市が、現実にスマホを持っている児童生徒がいることや家庭の要望により、その宣言を廃止し、デジタル・シチズンシップ教育に舵をきろうとしています。ただ、内実を考えると・・・。
「まったく、なんてこったい!」
11月28日、世界初の16歳未満のSNS利用禁止案がオーストラリアで可決しました。でも、ため息はこのニュースに対してではありません。ため息は、先に真逆の結論を出した日本の某N県M市でのニュースを思い出し、追い打ちをかけられたからなのです。
以前、某N県M市は、市内の小中学生に原則、携帯電話を持たせないよう保護者に提言をしていました。2008年当時、やり過ぎだという意見もあったように記憶していますが、画期的な提言だったと思います。(実効性は別として)
ところが、同市は10月下旬の「第1回スマホ所持についての提言見直しに関する検討会議」において従来方針を廃止し、(スマホ所持の容認を伴う?)「デジタル・シティズンシップ教育」推進に重点を置く方向性を確認したそうなのです。・・・で、これが冒頭のため息につながるのです。「禁止」から「正しい利用へ」へと舵をきる。具体的な提言はこれから決まるらしいのですが・・・。
ため息、つまり落胆と危惧の理由の一つ目は、自分自身が注目していた海外情報と真逆だったからなのです。オーストラリアの決断はそれに確信を与えました。
例えば、4月30日に発表されたフランスの大統領委託の調査報告書では、スマートフォンの使用は11歳まで、ソーシャルメディアは13歳まで禁止すべきだ等の報告がなされていましたし、あの、あのアメリカでさえ、3月25日、フロリダ州のデサンティス知事が13歳以下の子どものソーシャルメディアの使用を禁止した法案に署名し、2025年1月1日発行するといいます。これらの事案は世界の趨勢で、情報教育の先進国でさえ、もはや手に負えなくなってきた現状を露呈するものだと私は見ていました。子供たちを本気で守るために権力が介入したのです。(権力ってそのためにあるんですよね?本当は)
そして、理由の二つ目はアンケートのことです。予定調和とは言いませんが、所持率が小学校で1割、中学校で半数以上と、「持たせない」という提言だったにもかかわらず、実態が普通に多かったということです。
実態に合わないから、実態に合わせようというのでしょう。だったら、少なくともその大前提があってしかるべきだと思うのですが。この点は第三の理由と関係して判断すべきなのでしょう。
そして、その理由の三つ目は「デジタル・シティズンシップ」という概念です。自分も言葉にしたことがあるので、理論的には反対ではありません。しかし、以前調べたところこの概念はまだ手探り状態で実践例もあまりなく、確立されたものではないのです。具体的な取り組みは商用ベースで多少あったように記憶していますが、概念はあるものの、どうしたら実現できるのかは漠然としているのです。そして、この点に一番の問題は、当然ながら某M市にはそのシソーラス(体系化された像)や具体的なカリキュラムはありません。作るとしてもまだ話は出ていないようです。(関係者に問い合わせました)つまりは、「デジタル・シティズンシップ」という言葉に踊らせられ、全く野放しでスマホを許可しようというのかもしれません。(あくまで推測の域を出ませんが、現時点でなんらかの手が打たれる様子はありません)そして、例え詳細なカリキュラムが作成されたとしても、今の学校現場でそれを指導する時間が確保されているか、または確保出来るか?この可能性は現場を知る者ならほぼ無理だと言うと思います。では家庭では?夫婦共働きは普通でそんな時間は取らないでしょうし、祖父や祖母に責任を負わせることも無理でしょう。まあ、ご時世だから、ご家庭の要望もある中で、家庭のことに行政が介入するのはおかしいということで落ち着くのでしょうけど。(もちろん、学校ではダメであり、あとは家庭で持つということなのだから、責任はご家庭だよ・・・と言いつつ、何かあれば学校が動くのでしょうけど)ニュースを見る限り「提言も現実に合わせた方がいい」とか「行政が定めた決まりを守らせる時代でない」などというご意見もあったようです。自由って無限でいいのかでしょうか?相手は子供!さすが、”liberty”と”freedom”がごっちゃになっている国です。(・・・そうじゃなくて、「大人の覚悟」ってことでアニメの話題につがるんですけど)
ついでに教育長先生のお言葉もニュースからの引用(新聞社名を書くと県・市が特定されるので済みません)させていただきます。「子どもたちが切ない、悲しい思いをしないように、まず大人がしっかり議論していけたら」と願い、「スマホの便利さは皆さんご承知の上と思うが、その裏側にまだまだ大きな問題を抱えている。学校、保護者、教育委員会と一緒になって議論を深めていきたい」と、おっしゃっています。あえてコメントはいたしません。
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そこで、「2.5次元の誘惑」の話になるのですが、これは少年ジャンプに掲載された橋本悠先生の漫画が原作のアニメの話になります。(現時点でBS11等で放送中!)なにおアニメなんかと言うなかれ、今や漫画やアニメは日本が世界に誇る一大文化なのです。下手な文学作品を凌駕するほど今やアニメのレベルは高い。私はこの作品をアニメで見ました。病気入院中、アマゾンプライムで見ることが出来ました。(1話から見るならこれはお勧め)コスプレに焦点を当てた「着せ恋」などのアニメも好きだったので、最初は暇つぶしに見ていました。それなりに面白かったのですが、エピソード12で強烈なパンチを食らってしまいました。
エピソード12の説明をしておきましょう。主人公、天乃リリサと奥村正宗は漫画研究会の活動としてコスプレを続けるためには部室が必要でした。しかし、実績のない部は部室がなくなることになりました。そこで主人公たちはコスプレの集まりに参加して十分な話題をさらってそれを活動実績にしようとするのです。そのコスプレは話題となり、成功するのですが、それをレポートにして申請した時のこと。顧問の羽入まゆりには迷いがあり、校長先生に相談に行くのです。後はアニメを見ながらの耳コピでの会話。
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(校長室で校長先生に相談する羽入先生)
校長:う~ん、ああ、私の一存じゃ決められないからね。それより私が気になるのは、これ(写真)、他の生徒に公表しちゃっていいの?羽入先生はどう思います?この子、身分隠してやってるんでしょ。普通に考えてえっらい騒ぎになるんじゃない?
(場面が変わり、部室で待っている奥村に羽入先生が話す)
奥村:・・・・。
羽入:いやそれがな、レポートは通ったが、活動内容は公表はしない。そういう判断になった。コスプレについて知っているのは校長と生徒会長だけ。
奥村:ふ~
羽入:複雑か?
奥村:まあ、喜ぶべきことなんでしょうけど、でも、やっぱり。俺たちがやっていることは人に隠さなきゃいけないことなんでしょうか?
羽入:そう思うよな。でもな、違うんだ、奥村・・・。
奥村:・・・・。
(また場面は変わり、校長室での回想)
羽入:彼女たちは知られることを覚悟で報告したことです。隠すことではない。恥ずべき事ではないと。
校長:そう。
羽入:しかし、私は迷っています。そもそも部室がかかっていなければ、彼女たちは秘密にしていたかも知れませんし、二人のために余計な混乱は避けたいと思います。ですが、本人達がこれでレポートを出すと決めた。その覚悟に私は心を打たれ、顧問を引き受けました。大人の判断でそれを隠すのが正しいんでしょうか?私には分かりません。
校長:こういうことは本人の思い通りに誰もが受け入れてくれるとは限らない。彼らはそこまで考えているんでしょうか。。
羽入:いえ、当然、人に知れた後のリスクは承知の上かと。
校長:本人が決めたことだから、無条件に尊重する・・・という考えには、私は賛成しかねます。それは思考停止。彼らの考えを受け止めていないのと同じかもしれませんよ。生徒の覚悟、熱い想いというのはとても嬉しいものです。ついそのまま彼らの好きにやらせてあげたくなってしまいます。しかし、好奇心でからかう生徒は出てくるでしょう。悪意をもった生徒が 天野さんの身元をネットに拡散するかも知れません。いじめが起きるかも知れません。彼女は傷つき、コスプレを止めてしまうかも知れません。
(羽入:うちの生徒が悪意だのいじめだなんて校長がそんなこと言うのか。)
校長:そういうリスクはこの世の中に山のようにあります。私はねぇ、羽入先生。若い頃大きな失敗をしました。若気の至りです。十年、二十年、その失敗を引きずり、自分を責めました。あれは自分の人生に必要な失敗だったんだと、必死に正当化し、気付かないふりをしました。しかしね、あるとき、ふと気付いたんですよ、あれは経験する必要の無い失敗だったと。今の私があのときの若い私の隣に居たら、絶対に彼を止めます。彼の未来を知った上で、お前に必要な経験だからと見過ごすことは絶対にしないでしょう。間違うのもいい経験と言う人も居ますがね、一生後悔するだけで、何の役にも立たない失敗というのもあるんですよ。私はねぇ、 私はそれを知っている大人として、あんな気持ち、どの子にも味わって欲しくないんです。生徒が間違えないなら、教師などいりません。本人のことを真剣に考えるからこそ、反対しなければならないこともあります。大人だからといって完ぺきなわけではないし、判断が正しいとも限りませんが、大人の経験をフル動員して彼らの未来を考え抜くことが子供と真剣に向き合うこと。いざという時は、嫌われてでも子供を守る判断をする・・・それが大人の覚悟ですよ。
(再び場面は変わり、部室で)
羽入:覚悟は認めるが、危険なので公表はしない。
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状況を理解していただくために長々と引用させていただきました(集英社さん、橋本先生ごめんなさい、ありがとう)が、その中で校長先生のこの言葉、とても共感したのです。
・本人が決めたことだから、無条件に尊重する・・・という考えには、私は賛成しかねます。それは思考停止。彼らの考えを受け止めていないのと同じかもしれませんよ。
・生徒が間違えないなら、教師などいりません。本人のことを真剣に考えるからこそ、反対しなければならないこともあります。
・いざという時は、嫌われてでも子供を守る判断をする・・・それが大人の覚悟ですよ。
情報教育が20年以上も進んでいる海外でも手を焼いているSNSの問題(スマホを持たせることは直結の問題)に、実態がそうだからとか、親とか子供が望んでいるからと言って、理解もままならない「デジタル・シティズンシップ」という言葉に踊らされて、荒野に踏み出すのでしょうか。今は2008年の頃とは違い、GIGAスクールで子供たちには一人一台のタブレットが貸与されています。これらは全てMDMで管理され、ICT支援員もついています。つまり、自動車学校でいえば、助手席にもブレーキペダルが用意され、指導教官が隣に座っているようなものです。後はカリキュラムがしっかりしていればそれなりに運転技術や道路交通法を覚えて公道に出られるでしょう。それなりに安全に運転出来るのではないでしょうか。(それでも事故はバンバン起こっているのですが)それを、正しい運転を学ぶためといって車を買い与え、いきなり公道走行をするようなものだと思うのです。無免許運転の若者が公道に溢れるのです。ちょっと極端だとは思いますが・・・。しかし、諸外国ではそのことに気付いた国も多いのだと思います。
みなさんはどうお考えになりますか?
某市の会議は一生懸命考えられた上で出された結論ですので、その判断を下された方々を個人的に批判するつもりは全くありません。ただ、これらのことを世間はどう考えているのだろうかと、自分なりの立場を明確にしたかったです。あくまで一個人の考えです。
ちなみにヒントを与えてくださった少年ジャンプ、橋本悠先生、製作委員会の皆様、ありがとうございました。この場をお借りして御礼申し上げます。また、同作品がいい作品ですので、さらに視聴されていくことを望みます。