注意喚起
翌日朝、このクラス始まって以来の衝撃が教室中に走っていた。
席に座ろうとしていた者もカバンを置こうとした者も廊下に出ようとした者も、皆面白いくらいにそのままの姿勢で停止している。
そして、彼らの視線は一点に集中していた。
「おはよー。……って、皆どうしたんだ?」
いつもより少しだけ早い時間に教室にやってきたマシュー。
突き刺さる視線、視界に入る驚愕した顔の数々、そのどれもを気にせず、とぼけて見せた。
だが、彼の隣にいる彼女はそうではなかった。逃げないようにしっかりと手を繋がれた彼女は、見ているこっちが不憫に思ってしまうほど、顔を赤くして俯いている。
「マシュー!君は一体いつの間に…ってそんなことを言うのは野暮だな。とうとうか…おめでとう。アザリアさんも良かったな。」
「昨日色々あってな…詳しくはあいつに聞いてくれ。」
マシューが顎で示した先には、セラフィと手を繋いで現れたエトハルトの姿があった。
「おはよう。マシューもランティスも朝からなんだか賑やかだね。」
「お前な…覚えてろよ。」
昨日のことなんてすっかり忘れ去っているエトハルトに、マシューは恨みを込めた目を向けた。
「アザリア、おはよう。なんか今日はざわついて…」
マシューとアザリアの手が繋がれていることを目にしたセラフィは、分かりやすいほど言葉を止めて凝視した。
数秒後、はっとして口元を両手で覆う。
「アザリア!おめで…」
「恥ずかしいから言わないで!!」
隣で物凄く照れているアザリアは物凄く可愛く、大いに心を揺さぶられたマシューだったが、ここで理性を飛ばしては嫌われてしまうと、必死に冷静さを保ち、なんとか口元がニヤける程度に収めることが出来た。
その後、アザリアはクルエラやキャサリン、フローラなど仲の良い友人から溢れんばかりの祝福を受けた。
止まることのない祝福に、これ以上はさすがにしんどそうだなと思ったマシューは、適当なところで割って入りアザリアを救出していた。
「そうだ、ランティス。」
救助作業を終えたマシューは、そろそろ席に戻ろうとしていたランティスの背中に声を掛けた。
「どうした?」
「生活発表会の件、もう俺たちのことは気にしなくて良いからな。主役は二人に任せたぞ。」
「は…」「え…」
ランティスと近くで話を聞いていたクルエラの声が息ぴったりに重なった。
「あれだけあからさまにされればな…俺たちのことを主役と関わりの多い役にして、練習も付き合わされて、でみんなして俺たちのことを二人きりにさせようとして…粗方、体調不良か何かで辞退して俺たちに主役を頼む気だったんだろ。」
「いやそんなことは…なくもないが、いやないんだが…」
「お前それどっちだよ…」
珍しく歯切れの悪いランティスに、マシューは苦笑いをした。
そんな彼の肩を掴むと、顔を近づけてランティスにしか聞こえないように小声で話した。
「いいきっかけになるといいな。」
「なっ!!!」
動揺して大きな声を出してしまったランティス。マシューは、せっかく内緒話にしてやったのにーと皆の視線を集める彼を見て笑っていた。
ホームルームの時間を告げる鐘が鳴った。
この時間はいつも発表準備に使っているのだが、今日は珍しくカナリアが教室にやってきた。
不思議そうな顔をしながらも皆空気を読んで席に着いた。
「おはようございます。今日はひとつだけ注意喚起があってね。昨日、空き教室のドアが破壊されてたと報告があったの。このクラスにはその…前科者がいるから、よく伝えておくようにと学園長から直々に言われてしまったわ。はぁ…」
最後は思わずため息を吐いてしまったカナリア。
ちらっとエトハルトのことを見たが、彼はにこにこと微笑みを返すだけであった。
「このクラスは無関係だと思うのだけど…皆さん、ドアは破壊しないように。開かない時は鍵を使って開けましょう。」
とてつもなく当たり前のことを言って、カナリアによる注意喚起は終いとなった。
残り僅かとなったホームルームの時間、台詞のあるものはそれぞれ台本の読み込みを行っていた。
クルエラも皆と同じように机の上に台本を開いたが、全く頭に入って来なかった。
形だけの主役だと思っていたのに、あんな大勢の前で演じるなど不安しかなかった。漠然とした不安と恐怖が押し寄せ、何も手につかない。
途方に暮れている暇があるのなら、一文字でも多く目に入れて方が良いことくらい分かっているのに、動揺した心は中々収まらなかった。
「クルエラさん。」
声に反応して上を向くと、目の前にランティスがいた。
「あ…ごめんなさい…」
咄嗟に出てきた言葉は謝罪だった。
自分だけじゃなかった。
ランティス君も同じ立場であるはずなのに、自分ばかり被害者みたいな顔をしてしまった…
「何も謝るようなことはない。目論見は外れてしまったが、その…クルエラさんが良ければ私の相手役を続投してもらえないだろうか…」
「私に出来るかな……」
「もちろんと言いたいところだが…どちらかと言うと、私が君相手の方が演じやすいんだ。」
「え???」
「いや、悪い…変な意味はなくて……もちろん、無理強いはしない。けれど、せっかくここまで一緒にやってきたのだから、最後までやり切りたいなと思って…」
「ランティス君の言う通り、だね…途中で投げ出すのは無責任だよね。私もちゃんと最後までやる。」
「……ありがとう。」
オブラートに包み過ぎて上手く真意を伝えられなかったランティス。彼は、何とも言えない顔で自席へと戻って行った。




