既視感
客間かサロンに案内されるのだと思っていたセラフィが通されたのは、ソフィリアの自室であった。
唯一仲の良かったアザリアの家には諸事情により行ったことがなく、見知っている人の部屋に入ることは初めてであった。
ここでもまた違った緊張を抱いたセラフィ。
だが、そんな彼女の心境など知る由もない使用人の女性はドアの前に着くなりノックをして入室の許可を願ってしまった。
「どうぞ、お入りになって。」
心の準備を出来ないまま部屋に入ることになったセラフィは、そっと耳のピアスに触れ呼吸を整えてから中へと足を踏み入れた。そして、意識していつもより芯のある声を出す。
「こんにちは、ソフィリアさん。本日はお招き頂きありがとうございます。」
セラフィは、スカートの裾を摘み上げ淑女の挨拶をした。
きちんと形になっているか不安で堪らなかったが、気取られないように必死に優雅な微笑みを維持する。頭の中では、エトハルトの普段の姿を思い浮かべ、必死に真似た。
「こちらこそ、ご足労頂きましてありがとうございます。わたくしのために貴重なお時間を割いてくださり、改めて感謝申し上げますわ。」
部屋に入ってすぐ、ソファーセットの脇にソフィリアは綺麗な姿勢で立っていた。
制服姿のソフィリアも十分に美しいが、瞳と同じ真っ青なドレスに身を包み、豪奢な調度品に囲まれても一切見劣りのしないその様はさすがとしか言いようがなかった。
「どうぞ、こちらにお座りになって。」
「ありがとうございます。」
セラフィは勧められるがまま、可愛らしいデザインのソファーに腰掛けた。
用意されたティーセットを使い、ソフィリアが2人分の紅茶を淹れてくれた。
その手捌きは優雅で美しく、それでいて無駄がなく、セラフィは彼女の所作に思わず見惚れてしまった。
「ストレートで良いかしら?お砂糖かミルクは必要でして?」
「いえ、このままで大丈夫です。良い香りですね。」
セラフィは彼女が差し出してくれた紅茶を受け取り、礼を伝えた。
ここで初めて、ソフィリアの顔を真正面から見たセラフィ。
ランティスと同じ青い瞳に長いまつ毛、美しく整えられた金髪、端正な顔立ちなのに愛らしさを感じる丸い瞳、顔の良さを際立たせる彼女に合った化粧、そして柔らかい印象を与える口角の上がった口元、そのどれもが完璧で、公爵令嬢としての矜持が感じられた。
持って生まれたものはあれど、ここまで磨き上げられるのは彼女の努力の賜物だろうな…私はこんなに自分と向き合ったことはない。誰でもなく自分のためにだなんて…そんな途方もない努力、私には想像もつかない。
現状に奢ることなく努力家で、周囲の期待に応えようとする優しい人なんだろうな…本当に凄い人だ。
セラフィは、淹れてもらった紅茶をひとくち啜り、感想を伝えようと再びソフィリアのことを見たのだが、その時既視感を覚えた。
自分とは対極に位置する彼女なのに、なぜかいつかの自分を見ているような、そんな気がしてならなかった。
見た目など似ているわけがなく、言葉遣いも所作も声音も何もかもが自分と違って美しく、皆の尊敬に値するものだ。それなのに、何かが自分と同じだと感じてしまった。
その答えを探るように、セラフィはつい礼儀を忘れて正面に座るソフィリアの顔をじっと見てしまった。
「何かありまして?」
ソフィリアは朗らかな顔のまま、小首を傾げてセラフィに尋ねてきた。
その彼女の表情を見たセラフィはようやく気がついた。
ソフィリアの言葉と心が一致していないから、昔の自分と重なって見えていたことに。
大丈夫と口では言いながら、実際は感情を押し殺して気付かぬまま心が悲鳴を上げていた頃の自分と同じだと思ってしまったのだ。
もしかしたら自分の勘違いかもしれない、思い過ごしかもしれない、彼女の自尊心を傷つけてしまうかもれしれない、もし事実だったとしても私には知られたくないかもしれない…
でも、本当は助けを求めていたら?彼女が気付いていないだけで心が限界だったら?誰にも言えずに悩んでいたら?本当は誰かに気づいて欲しかったら…?
もし勘違いだったとしても、自分が恥をかくくらいなら別にいい。だけど、ここで知らないふりをして、彼女がもし1人で泣いていたら私は今日のことを一生後悔をする…それだけは絶対に嫌。
気付かないふりをすることが正解だと頭では思いつつも、彼女の心の内を想像したら止められなかった。
「ソフィリアさん、あの…このような不躾なことを言うものではないと分かっているのですが…どうしても今聞きたいことがあって…」
セラフィは緊張で震える手がバレないように、テーブルの下で両手を組んだ。そして、膝を押さえつけて震えを堪える。
「せっかくいらっしゃったのですから、お気遣いは不要ですわ。何でも話してくださいませ。」
天使の微笑みを見せるソフィリアに、セラフィは勇気を振り絞り震える声で尋ねた。
「あの…何か無理をされてはいませんか?」
「え…??」
突然のセラフィからの質問に、ソフィリアは真顔になった。
今ここでそんなことを聞いてくる彼女の意図が分からず、唖然とした顔でセラフィのことを見返した。
完全にやってしまったと思ったセラフィは、青ざめた顔で必死に言葉を続けた。
「と、突然失礼なことを言ってごめんなさい!その…なんと言いますか、昔の自分とすごく似ていて…あ、もちろん見た目とかそんなのは全くで、なんかこう…自分の心を閉ざして大丈夫って強がっていた時の自分と凄く似てる気がして…勘違いだったらそれが一番なんだけど、でももし今何かに困ってたら絶対助けになりたいって思っちゃって、だからその…」
動揺していたセラフィは、後半から言葉遣いも話し方も普段の口調に戻ってしまっていた。
身振り手振りを交えて必死に想いを伝えようとするセラフィを見ているうちに、ソフィリアの表情が和らいだ。
嫌味でも何でもなく、これが彼女の心からの気持ちだということが分かったからだ。
疑い深いソフィリアから見ても、セラフィの必死な様子は嘘をついているようには全く見えなかった。
ここで否定することも、隠すことも、有耶無耶にすることも、ソフィリアならこの場の空気を悪くすることなく、そつなくこなすことができた。
でも、そのどれも選ばなかった。こんなにも真っ直ぐに自分の心配をしてくれる彼女のことを軽んじてはいけないと思ったからだ。
それと同時に、前にエトハルトに言われた言葉を思い出していた。
『君の周りに100人いたとして、その中に1人だけ君自身を見てくれる人がいたとしよう。その時、君は誰もいないって思う?それとも、そのたった一人のことを良き理解者だと受け入れることが出来る?』
自分にとって、今目の前にいる彼女がそのたった1人なのかもしれない…
「セラフィさんの言う通りかもしれないわ。」
ソフィリアは自嘲気味に笑って見せた。
彼女はこの時初めて、人前で自分の弱さを認めた。




