友達
「エトハルト!」
ソフィリアとの話を終え、馬車に乗り込もうとするエトハルトに、追いかけてきたランティスが声を掛けてきた。
近くにソフィリアの姿はなく、彼一人でやって来たらしい。
彼の真剣な表情に、話したいことがあると察したエトハルトは、連れてきた護衛に馬車周辺の人払いを指示すると、ランティスのことをサンクタント家の馬車の中に招き入れた。
カーネル公爵邸の敷地内とは言え、ここは正面入り口にほど近く、どこで誰が聞き耳を立てているか分からない。彼らのような高貴な身分の生まれの者は、周囲の様子に気を配ることを徹底して叩き込まれている。
車内に入り、エトハルトが窓のカーテンを閉めると、彼の向かいに座るランティスが礼を言ってから話し始めた。
が、なぜかその表情は暗く、よく見ると額に冷や汗をかいている。まるで何かにひどく怯えているような、そんな様子であった。
「その、考えたんだが…」
ランティスは、組んだ手を額に当て、伺うようにエトハルトの顔を見た。目の前の彼は相変わらず、いつもの穏やかな表情で話の続きを待っている。
「セラフィさんをうちの養子にしないか?」
「はぁ?」
一瞬にしてエトハルトの顔から表情が消え、低い声で聞き返すと、ランティスのことを睨み付けてきた。
想定通りの反応であったが、眼前に迫るそれは想像以上に恐怖を感じるものであった。
「いや!違うんだ、これはその…」
ランティスは気付いたら大仰に手を振り、慌てて否定していた。あまりの恐ろしさに、思ってもないことを口走ってしまった。
「何がどう違うの?説明してくれる?でないと僕、何するか分からないから。」
エトハルトは、座席の下に手を伸ばして隠されていた剣を手に取ると、いつでも抜刀出来るように膝の上に構えた。
いきなり剣を構えてくる目の前の同級生の奇行に、ランティスは理解不能に陥り、思考停止した。
あまりに理解出来なさすぎで、一周回って冷静さを取り戻したランティス。
「いや、まず話を聞け…」
一応両手を上げながらも、呆れた口調で言い返した。
「君とセラフィさんは結婚するんだろ?二人の父親がそれを許すはずないと思うんだが、君の父親はエトハルトがなんとか出来るとして…彼女の父親は?かなり厄介な人物と聞く。二人の邪魔をしてくるんじゃないのか?であれば、彼女をシブースト家から切り離し、うちの家名を名乗ってもらえればと考えたんだ。…決して他意はない。」
エトハルトからの視線が気になって仕方ないランティスは、最後聞かれてもないことを付け足した。
「話は分かったけれど…それ君に何か得がある?セラフィの兄になれる以外に得られるものなんてないと思うんだけど。それが目的?」
「君という奴は…マシューの気持ちが分かってきた気がする。」
思考がセラフィ一色となっているエトハルトに、ランティスは呆れてものが言えなかった。だが、セラフィ至上主義のエトハルトが彼の気持ちなど分かるはずもなく、畳み掛けてくる。
「君、セラフィの何になりたいの?学級委員の時からおかしいと思ってたんだよね。彼女の隣にいたかったの?」
「違う!あれは…あれは、ソフィリアのことが心配で、二人の関係を見極めようと思ってやったんだ…それだけだ。」
「なるほどね。」
納得したエトハルトは増幅させていた殺気をすっとしまい込んだ。
ランティスはハンカチを取り出し、額に滲んだ汗を拭った。
「話が脱線してしまったが…セラフィさんをうちに迎え入れる利点ならある。サンクタント家との繋がりを作れる。」
「ああそっちか。」
エトハルトは納得したように軽く頷いた。
ランティスにとっては、そっちも何もそれしか考えられなかったのだが、藪蛇だと思った彼はこれ以上余計なことは言うまいと言葉を飲み込んだ。
「サンクタント家とカーネル家に繋がりが出来れば、ソフィリアの政略結婚を回避できる可能性が高い。妹には、彼女の人生を歩んで欲しい。家同士の繋がりは婚姻だけではないから。家のために慕っていない相手との結婚を強要されるなど、そんなこと本来はあってはならないのだ。」
「その考えには僕も賛同するよ。今までは疑問にも思わなかったけれど、今なら分かる。望まない相手と結婚することがどれほど辛いことかと。今の僕が強要されれば間違いなく命を絶つだろう。」
「…君ならそうだろうな。まだ私には決まった相手がいないから、家のためで妹のためにもなるのなら、親が決めた相手でも異論はないが、いつか好いた相手が出来た時に苦しい想いをするのだろうか…」
自分の状況に置き換えて想像したランティスは、遠くを見る。
その時が来たら、自分も彼のように意思を持って欲しいものを欲しいと言えるのだろうか…そんなことを考えていた。
「はぁ…早くセラフィに会いたい。」
エトハルトは全く話を聞いていなかった。
物憂げな表情でため息を吐くと、セラフィに想いを寄せた。
分かりやすい態度にランティスは呆れるのを通り越して笑っていた。
「で、この話はどうする?セラフィさんに話してくれるか?私の親なら問題ない。話せばすぐに進めてくれるだろう。」
「そうだね。大事なのは彼女の意思だ。明日話をしてこよう。また連絡する。」
「ああ。」
話を終えたランティスは、馬車から降りるためドアに手を掛けた。
「ランティス」
馬車のドアが閉まる直前、エトハルトは声をかけた。呼び止められたランティスは少し驚いた表情で振り返った。
セラフィのことで話す機会は多々あっても、こうやって彼から名を呼ばれたことは初めてのように感じたからだ。
「ありがとう。」
「…なんだ急に。」
「僕にはずっとマシューしか話せる相手がいなくて、この先もそうだと思っていたから、こんな風に君と話せて嬉しく思う。こんな僕と対等に話してくれてありがとう。セラフィのことも、気遣ってくれて感謝する。」
「友人なのだから当たり前だろ。またな。」
エトハルトの思いがけない言葉に照れたランティスは、赤くなった顔を隠すように足早に馬車から降りていった。
「友人、か…ふふ…」
馬車の中残ったエトハルトは、くすぐったそうに一人で笑みをこぼした。
マシューとは良き関係を築いているが、そのきっかけは家の同士の繋がりであり、主従に近いものであった。
彼の気さくな性格のおかげで今のように仲良くなれているが、友人とはまた別物だと思っていた。
だからこそ、自分のことを友人と言ってくれたランティスの言葉が嬉しくて堪らなかった。こんな自分にも友人がいるのだと、エトハルトは暖かな気持ちを抱いていた。




