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無意識に溺愛してくる婚約者と愛を知りたくない少女  作者: いか人参


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幸せな夢


夢を見た。


名前を呼ばれただけで心が飛び跳ねるほど嬉しくて、目が合うと引き込まれて何も考えられなくなって、何もかもが満たされて多幸感に包まれる。


そんな幸せに溢れた世界。



なんて幸せなんだろう…



こんな世界、現実じゃあり得なくて、絶対に夢だと気付く夢。

こんなに幸せな気持ちになれるのなら、夢でも構わない。眠っている間だけでもこんな優しくて温かな世界にいられるのなら、私は何度だって夢を見たい。


嫌な夢しか見たことのない自分にとって、これは本当に珍しい体験であった。




心地よい体温に包まれて、そっと髪を撫でられる。時折、自分に対して愛を囁く言葉すら聞こえてくる。


本当に、自分はなんて都合の良い夢を見てるんだろう。



「…ふふっ」


夢の世界に入り込み過ぎて、セラフィは現実世界でも寝ながら笑みをこぼしていた。



「セラフィ、寝たまま笑ってる。ふふふ、可愛い。」

「ん…」


すぐ耳元で聞こえた気がするエトハルトの声。彼の声に反応したセラフィがゆっくりと目を開ける。



「おはよう、セラフィ。」

「おはよう、エティ。」


いつもの癖で、淀みなく挨拶を返したセラフィだったが、頭に疑問が浮かんだ。


どうしてエトハルトの声がしたのか、どうして見上げた先に彼の顔があるのか、どうして彼の手は優しく自分の髪を梳いているのか、現状の全てが理解不能だった。



「あ、夢か。」


寝起きの頭で思考することが億劫になったセラフィは、手っ取り早く夢のせいにすることにした。


もう一度あの優しい世界に行こうと、セラフィはシーツを引っ張って頭まで被ろうとしたのだが、なぜかシーツが動かなかった。



「…ん?」


引っ張られている先を見ると、エトハルトの手があった。彼女がベッドの中に潜り込んでしまわないよう、シーツを抑えていたのだ。



「朝の挨拶がまだなんだけど。」


エトハルトは、拗ねたような口調で言ってきた。



「朝の挨拶ならさっきしたばかり…あ、夢だから場面が飛んでるのかな…?」


「ふふ、やっぱりセラフィ寝ぼけてる。昨日のこと、覚えてないの?」


「え?」


エトハルトは、セラフィの頬を撫でると彼女のおでこに口付けをした。



「ひゃっ!!!!」

「はい、朝の挨拶。」


びっくりして両手でおでこを抑えるセラフィを見て、エトハルトは満足そうに微笑んだ。すっと真顔に戻ると、今度は口の端を上げてニヤリと笑ってきた。



「昨日のこと、思い出してくれた?」


セラフィの答えは聞くまでもなかった。彼女は頬だけでなく耳まで真っ赤に染めて狼狽えていたからだ。


何度も交わした口付け、囁かれた愛の言葉の数々、抱きしめてくれた逞しい腕、鼻に残っている春の香り、全て思い出してしまい、羞恥心で死にそうになっていた。


だが、どうして朝までエトハルトがそばにいたのかは分からない。寝落ちする時の記憶がすっぽ抜けていた。

無意識に彼に向けた瞳は、不安そうな色をしていた。



「昨日は色々あって疲れてたみたいでセラフィが寝ちゃったから、僕が付き添っていたんだよ。ほら、ここに君を一人にしておくのは危険だしね。」


エトハルトの視線の先には、ガラスのない窓枠があった。風でカーテンがたなびいている。

セラフィが寝ている間に彼が掃除したのか、散らばっていたガラスの破片は一つ残らず取り除かれていた。



「あ」


そう言えばそうだった。エティは窓ガラスを割って入ってきてくれたんだっけ。確かにこれは…防犯上良くないかも。随分と風の通りが良くなってしまってる。

修繕費……は後で考えるとして、自分のことを心配してくれたのは嬉しい、かも。


やっぱりエティは優しい。



「ありがとう。」


修理のこととか、そもそも自分で割ったのにとか色々と思うところはあったが、セラフィはとりあえず自分の身を案じてくれたことに対して感謝の気持ちを伝えることにした。



「…っていうのは建前でね、セラフィの側にいたかったから。僕がここにいた理由はそれだけだよ。僕が君の側にいることを望まないことなどないのだから。」


照れることも恥ずかしがることもなく、当然のように言ったエトハルト。

その顔は清々しく、朝日を浴びた横顔は輝いていた。だが、セラフィには当然のように受け取ることはまだ難しかった。また顔が赤くなっている。



「嬉しい…けど、あんまりそういうこと言わないで。恥ずかしくなる…」


またベッドの中に潜り込もうとするセラフィの腰と肩に手を回し、自分の方に抱き寄せた。



「それは無理。僕たちは遠回りをしてしまったから。今まで伝え損ねた分も伝えないと気が済まない。それに、僕の言葉で顔を赤くするセラフィをもっと見たいから。」


「だからっ、そういうこと言うのは…ひゃっ!!」


エトハルトは、抗議をしてくるセラフィの頬に自分の頬をぴたりと密着させ、彼女の肌と体温を堪能するかのように目を閉じた。



「あー…もう幸せ…セラフィ大好き。今までの分も、こうしてずっとくっついていたい。…うん、そうしようかな。」

「なっ!!」


しばらくの間、エトハルトに堪能し続けられたセラフィは、寝起きとは別の意味で頭がぼーっとしてきた。

彼女の意識が戻ってきたのは、それから少し経った後のことであった。


ようやくはっきりとしてきた頭で、セラフィは今一番にしなければいけないことを思い出した。



「学園に行かなきゃっ!!!」


朝日が昇り切ってからだいぶ時間が経っている。夏の日の出は早い。今すぐに家を出たとしても、一限目の授業に間に合わないかもしれない。


セラフィは、慌ててベッドから飛び降りた、はずだったが、またもやエトハルトの腕によって阻止された。



「セラフィ、やっぱり寝ぼけてる。もう堪らなく可愛いんだけど。朝から困る。」


エトハルトは銀髪をかきあげながら艶っぽくため息をついた。

そのあまりの美しさに、セラフィは思わず胸を押さえた。彼女からすれば、エトハルトの方が綺麗で魅力的で堪らなかった。



「今日から夏季休暇だよ。」


「あ、そう言えば…」


ようやく状況を理解したセラフィ。

エトハルトが部屋でゆっくりしていることにも納得がいった。



「だけど、僕は少し行かなければならないところがあって…また明日、少しこれからの話をしよう。君に話さないといけないことがあるから。」


急に真剣で少しだけ寂しそうな表情を見せたエトハルト。



「うん、分かった。また明日。」


「明日の朝、また迎えにくるから。窓の修理はこちらで手配しておくから心配しないで。それと、しばらく領地にいると聞いているから問題ないと思うんだけど…念の為僕の護衛を置いていく。部屋の外に控えさせておくから、何かあったらすぐに彼らに伝えて。」


「ありがとう、エティ。」


エトハルトの気遣いと配慮に、セラフィは胸が温かくなった。

こんな自分に手を煩わせてしまって申し訳ないという気持ちもあったが、今は感謝の気持ちの方が優っていた。










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