寄り道
今日最後の授業が終わると、セラフィは急いで荷物をカバンにしまった。エトハルトから声を掛けられる前にこの場を去るためだ。
毎朝、相変わらず迎えに来てくれるエトハルト。こんなに分かりやすく避けているのにも関わらず彼の態度は何一つ変わらなかった。
その現状に、セラフィの胸は押し潰されそうになっていた。
自分で決めたことなのに、今の状況が辛かった。早く彼に別れを告げないとと思うのに、大事な話をしようとすると彼に躱される。
セラフィとエトハルトの間では、小康状態が続いていた。
セラフィは、なるべく彼と関わらなくて済むよう、授業が終わった瞬間、カバンを手にして立ち上がった。
ちょうどよくエトハルトが他のクラスメイトに話しかけられていたため、その隙に帰ってしまおうと思ったのだ。
放課後特に用事のないセラフィは、うまい言い訳がなく、エトハルトのことを避けるためには、とにかく足早に教室を出ることしかできなかった。
「セラフィ」
教室から逃げるように立ち去ろうとするセラフィに声を掛けて来たのはアザリアであった。
「久しぶりに寄り道していかない?」
「うん!」
アザリアは悪巧みを考えていそうな顔でニヤリと笑ってきた。
用事を作りたいセラフィにとってそれは、渡りに船であった。反射的に元気よく返事をしていた。
「よし、決まりね。じゃあセラフィのこと借りていくわよ。」
アザリアは友人と話していたエトハルトに声を掛けると、ヒラヒラと片手を振った。
「…ああ。」
エトハルトは沈んだ声で答えた。
マシューからの激励を受け、今日こそは彼女と話す時間を作ろうと思っていたのに、結局言い出せていない。
たまに深刻そうに話を切り出そうとするセラフィに怯え、面と向かって話すことを避けてしまっていた。彼女から決定的な言葉を言われたらと考えると、恐怖で足がすくむ。
エトハルトは、自分から離れていくセラフィの背中を縋るような瞳で見つめていた。
「はい、これセラフィの分ね。」
「…ありがとう。」
セラフィは、アザリアに連れられて街に来ていた。
彼女は馴染みの店で大量の菓子を買い込むと、大袋を一つセラフィに寄越した。
両手で持たないと抱えきれない重さの大きな袋に、セラフィは思わず苦笑した。
「セラフィと二人でいるのって久しぶりよね。」
「そう…だね。」
初夏の生温い穏やかな風を受けながら、セラフィとアザリアの二人は木陰のベンチに腰掛けていた。もうすぐ夕方だというのに、外はまだ明るい。
同じ制服を着ている男女が何組か楽しそうに話をしながら目の前の通りを歩いていった。
久しぶりだと笑顔を見せるアザリアに、セラフィは言葉を濁して曖昧に笑った。
彼女といられなかったのは、常にエトハルトといたせいであり、今彼女といるのは彼のことを避けていたからだ。
セラフィは、彼について話を聞き出そうとしているのではないかと疑い、身構えた。
たが、アザリアはそれ以上何も聞かず、お気に入りの菓子を取り出しては嬉しそうに口に運んで頬張るだけであった。
何も聞いてこないアザリアにようやくホッとしたセラフィは、彼女と同じように菓子を手に取って口に運んだ。
「私ね、前に弱いセラフィが好きって言ったでしょ?」
「うん。」
唐突に話し始めたアザリア。
セラフィは、その時のことを懐かしそうに思い返した。
あの時は、エトハルトの婚約者という重圧と周囲の陰口に耐えられなくなって心を閉ざしていた。過去の自分が今の自分を見たらきっと死ぬほど驚くだろう。
あの時は、今みたいにみんなと仲良くなれるだなんて想像すらしてなかった。
勝手に決めつけて勝手に諦めて勝手に絶望してた。ちゃんと話したらみんなと仲良くなれるのに、自分はそれをしていなかった。何も言わずに、耳と目を塞いでただ耐え忍んでいただけ。自分から現状を変えようとはしなかった。
彼がいなかったらきっと今も何も変わらなかっただろうな…
セラフィは、楽しそうに笑い合うカップルを微笑ましそうに目を細めて眺めた。
いつか、授業をサボってエトハルトに連れ出してもらった時の自分と重なって見えていた。
「でもねセラフィ、一番好きなのは、幸せに笑っている貴女よ。心優しくていつだって周りのことを一番に考える貴女には自分の幸せを掴んで欲しいの。私だって貴女に救われたのよ。王都に来て、領地にいた時とは全く違って、みんなに嫌われて異端児扱いされて、結構へこんでたんだから。貴女がいなかったら、私は私のままではいられなかったと思うわ。」
「…知らなかった。そんなアザリア全く想像できない。」
「素直で大変宜しい。」
目を見開いて驚くセラフィに、アザリアは冗談めいた声で褒めると頭を撫でてきた。
「こんな私と仲良くしてくれて本当に嬉しかった。セラフィのおかげで私は幸せを感じられたから。だから、貴女にも幸せになって欲しいわ。心からそう思う。」
「アザリア…」
「深くは聞かない、口出しもしない。でもこれだけは言わせて欲しいわ。私も彼も貴女の幸せを一番に思っているの。貴女が幸せじゃない限り、私たちが幸せになることなんてあり得ないんだから。貴女の幸せの上に私たちの幸せが成り立つのよ。それだけは心に留めて置いて。」
アザリアは、セラフィに向かって人差し指を立て、落ち着いた静かな口調で言い切った。彼女らしくない、ひどく真剣な表情であった。
「ありがとう。」
セラフィの瞳が潤んだ。
こんなにも自分のことを想ってくれる友達がいて、心の底から幸せ者だと感じた。
エトハルトもアザリアも優しい。
こんな生半可な自分にも真摯に向き合ってくれる。どんな時でも投げ出さないでいてくれる。
だからこそ、彼らが自分のことを想ってくれるのと同じように、セラフィも彼らの幸せを切に願っていた。
「その顔は…まだ考えを変えない気ね。もう、本当に意地っ張りなんだから。」
アザリアは唇を尖らせ、わざと怒ったような顔でセラフィのことを見た。
そんな彼女のことを静かに見返すセラフィ。
「…分かったわよ。後はもう彼に任せるわ。セラフィ、何があっても私は貴女のことを見捨てないわよ。路頭に迷う時はうちで雇ってあげるからね。覚悟なさい。」
「うん、それなら安泰だね。」
最後は顔を見合わせて笑い合ったアザリアとセラフィ。
その時、初夏に似つかわしくない強い風が二人の間を吹き抜けた。
風で揺れた葉の隙間から西陽が差し込む。視界に入り込んだ強い光に、セラフィは目元に手をかざして影を作り、目を細めた。
「あ、そっか…」
セラフィは自分にしか聞こえない小さな声で呟くと光に向かって軽く手を伸ばした。その手は何も掴むことなく、膝の上に戻された。
手が届かなくて当然だったんだ。
これは手に入れるものじゃない。
求めること自体間違っていた。側にあるだけでこんなにも温かく照らしてくれるのに、私はどうしてそれに手を伸ばそうとしてたんだろう…
そんなの届くはずなんてないのに。




