エトハルトの矜持
「セラフィ、今日のお昼は、」
「ごめん、今日はフローラさん達と勉強会をする予定になってるから。…しばらく一緒にランチは難しいと思う。」
「…うん、分かった。」
エトハルトはいつものように穏やかに微笑んだ。
だが、心の中では絶望に打ちひしがれていた。もう何度目か分からないこのやり取り、彼の精神は限界だった。
めげずに毎日セラフィのことを求め続けたが、返ってくる答えは変わらない。
自分の言葉に安堵し笑顔を見せてくれた自分だけのセラフィはもうどこにもいなかった。
『彼女はもう僕のことを必要としていない』
そんな言葉が何度も頭をよぎる。
自分の言動で彼女を困らせていることくらい分かってる。もう解放してあげた方がいいことも。正直、自分もこの状況は辛い。辛過ぎる。こんなにも近くにいるのに、こんなにも遠い僕の大切な人。
でも、初めて自分から求めた相手だ。
そう簡単に諦めたくはない。
一体この先どうしたらいいんだろう…
嫌がってるのに、嫌がられているのに、それでもなお欲しいと求めて続けて良いのだろうか。これは愛なんかじゃなくて、ただの執着や独りよがりの類なんじゃないだろうか…
せめて、せめて彼女にはっきりと言われたのなら諦めることが出来るのに…いや、すんなりとは無理だと思うけど、それでも自分の気持ちをコントロールすることは出来ると思う。今までと同じように。
思い通りにいかないものを手放して期待することもやめて、最低限の望みだけで生きてきた。これまでとなんら変わらない自分に戻れば…
セラフィと出会えたことで、少し欲を出し過ぎてしまったのかも。
僕の人生は求めてはいけないものだったんだ。自分で選べない僕は、いつか無くすことが決まっているから。敷かれた道の上を歩かなければならないから。それなのに僕は、そんな大切なことを忘れていたようだ。
きっと、僕とセラフィが結婚すると言ってもあの父親は反対する。今見逃されているのは、この婚約はお遊びだと思っているからだろう。卒業が近くなれば、公爵家との婚姻を強要してくるはず。
だから、今このタイミングでセラフィのことを離してあげられることは良かったのもしれない。
あの父親ならシブースト家に圧力をかけて力づくで婚約解消を認めさせるだろう。そんな風になったらセラフィのあの父親も彼女に怒りをぶつけるかもしれない。
だったら、彼女が離れていこうとする今、それに従った方が彼女のためなのかもしれない。
彼女と共にいたい、共にありたい、彼女を心の底から欲する。でもそれよりも何よりも望むのは彼女の幸福だ。彼女に辛い想いをさせてまで僕に縛り付けておくことは望まない。そんなことはしたくない。
いつだって、どんな形であったって、離れていたって、僕は彼女のためにありたい。
それが今の僕の唯一の矜持だから。
「お前、セラフィ嬢のために彼女のことを諦めようとか思ってないだろうな?」
「え…」
マシューの一言で、エトハルトはようやく思考の深みから浮上してきた。
両手で握りしめているティーカップにはもう温かさは残っていない。随分と長い間考え込んでいたことが分かる。
今日は休日、家の用事でサンクタント家を訪れていたマシューは彼の部屋に寄っていた。というのは口実で、彼の元を訪れるために書簡を運ぶ役を使用人からぶんどってきたのだ。
部屋に入るなり、虚な瞳で考え込んでいるエトハルトを見たマシューは、ここにきて正解だったと思っていた。
よからぬ方向に考え込んでるな…
セラフィに対して彼女の反応などお構いなしに底なしの愛を見せつけてきたエトハルトだったが、そんな様子はもう微塵も見当たらない。
今は、ただただ彼女を失うことに怯えていた。
「あの彼女が理由もなしにこんなことすると思うか?愛か恋か友情かは置いといても、お前のことを心から大切にしていた。それは誰が見てもそう言うと思うぞ。セラフィ嬢がいたずらにお前の心を乱すようなこをすると思うか?」
マシューは、翳りのあるエトハルトの顔を正面から見ながら言った。
だが、エトハルトは目を逸らした。
そんなことは何遍も考えていたからだ。
あのセラフィがこんなことするはずがないと、これには何か深い理由があるのだと。
でもあるはずのその理由は分からなかった。
彼女もそれを話してくれない。
こんな状況なら、彼女の意思であっても、仕方なく選んだことであっても、エトハルトにとっては大差無かった。結局は彼女が決めたことでそれを変える術は自分に無いのだから。
「理由があったら何をしても許されるの?」
気付いたら口走っていた。
彼女のことを責めるつもりなんて全く無かった。彼女が本当の理由を隠すことは自分が頼りないせいだと思っていたから。
なのに、口から出た言葉は彼女のせいにする、そのものであった。
「知らん。」
マシューの返事は短かった。
彼の気持ちを痛いほど理解しているからこそ、自分自身を責めている彼のことを悪く言うつもりはなかった。
「だが、理由も知らずに言いなりになるのは違うと思うぞ。お前には知る権利がある。仮とは言え、婚約者なんだし。それに、理由も知らないまま婚約を解消した場合、お前に彼女を守れるのか?どんな理由であれ、彼女は自分の父親から責められるんじゃないか?そのせいで、ひどい家に嫁がされる可能性だって…」
マシューの言葉にはっとした。
今のことで精一杯で、セラフィとの縁が切れた先のことまで考えていなかった。
例え彼女に嫌われていたのだとしても、彼女の幸福のために自分が出来ることはなんだってやってあげたい。
自分が変に巻き込んだせいで彼女が不幸になるなんて、そんなこと絶対に耐えられない…
「…彼女を不幸にはしたくない。誰よりも幸せになって欲しい。毎日多幸感に包まれて生きて欲しい。」
エトハルトのシルバーの瞳に光が戻った。
ようやく力のこもった声を出した彼に、マシューは心の中でホッと息を吐いた。
「そうだな。なら、セラフィ嬢の話を聞いてやれ。それからでも遅くないだろ。簡単に手放すなよ。」
「ああ。ありがとう、マシュー。」
「礼は良いから、卒業後宜しくな。俺もアザリアのことで、親に条件を出されたんだよ。」
「もちろん、僕の背中を預けられるのはマシューしかいないから。」
「おうよ。」
らしくなく真剣に話をしたせいでその少し気恥ずかしくなってしまったマシュー。誤魔化すように紅茶に口を付けた。
すっかり冷えていたが、部屋に入ってすぐ口にした時よりも紅茶の味がした。
気にしてないようで自分もたいぶ気が落ちていたことに気付いたマシューは、ふっと小さく笑をこぼした。




