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無意識に溺愛してくる婚約者と愛を知りたくない少女  作者: いか人参


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自覚とその先


春休みに入り、マシューはいつもの長期休暇と変わらず、勉強と領地経営を学ぶ日々を過ごしていた。


基本的に自室で過ごすことが多い彼は、今日も勉強の合間にコーヒーを飲みながら読書をしていた。それも、流行りの小説などではなく、歴史上の偉人が書いたゴリゴリの哲学書だ。普通なら、息抜きに読むような本ではない。


相変わらず、普段見せている姿との差が激しいマシューである。




「マシュー様」


ドアの外から使用人の呼ぶ声がした。

手元にコーヒーがあるのに声を掛けられた理由は、一つしか思い当たらなかった。


そろそろだろうと思っていたマシューは、内容を聞く前に了承の返事を返した。



「通してくれ。」

「畏まりました。」


相変わらず理解の速いマシューであったが、そんな彼に慣れている使用人が動揺することはなかった。

静かな声で承ると、部屋の中に客人を案内した。



「やっぱりお前か。」


マシューの予期した通り、そこにはエトハルトの姿があった。

前回の時よりはマシな顔をしていたが、それでも十分にしんどそうな面をしている。



「で、今度は何があった。」


エトハルトの分もコーヒーを淹れてやると、マシューは自分のマグカップを持ってデスクからソファーに移動した。

一口啜り、窺うように目の前に座るエトハルトのことを見た。



「僕、セラフィのことが好きだ。」

「ブフォッ!!」


唐突すぎる愛の告白に、マシューは勢いよくコーヒーを吹き出した。

なんで今日に限ってコーヒーにしたんだよ俺はと一人で悪態をつきながらテーブルの上を綺麗に拭いた。



「本当にお前は何なんだよ…」


もう既にマシューの声は疲れていた。

掃除を終えた彼は、だらしなくソファーの背に身体を預けると、恨めしそうにエトハルトのことを見た。



「セラフィのことを考えると呼吸が苦しくなって、彼女を前にすると目が離せなくて触れたくなって、彼女に話しかけてもらえると心が湧き立つ。こんなにも自分のことを乱すのは彼女だけなんだ。一緒にいると苦しいのに、隣にいないともっと苦しくなる。彼女が誰かと話しているだけで、僕の心は張り裂けそうになって、独り占めしたくなる。彼女の瞳に自分以外の何も映してほしくない。だから気付いたんだ。僕は彼女のことが好きなんだって。この気持ちに嘘はない。」


「お、おうよ…」


ようやく自分の恋心を自認した幼馴染の彼のことを、本来であれば両手を上げて祝福したかったのだが、彼から返ってきた言葉はあまりに重く、胃もたれを起こしたマシューは何も言えなかった。



「で、それなのになんでお前は辛そうな顔をしてんだ?」


愛の告白と彼の表情の乖離が激しく、何に思い悩んでいるか見当が付かなかったため、マシューは真正面から尋ねてみた。

勘の良い彼だが、奇想天外なエトハルトの心情については予想をつけることが難しいのだ。



「セラフィと心の距離を感じる…」

「は。」


いつもあんなに無邪気にセラフィに対して好意をぶつけているくせに、何を今さら…と呆れたマシューはたったの一音しか返せなかった。



「僕が好意を言葉にしてもそれを受け取ってくれない。それどころか、たまに困ったような顔さえする。僕の気持ちは彼女にとって迷惑なものなのだろうか…」


「いやそれはそうだろ。」


間髪入れずに肯定してきたマシューに、エトハルトは今にも泣き出しそうな瞳を向けた。


普段と違い、ひどく弱った姿の彼に、これはまた別の意味で女子達が悲鳴をあげそうだな…とマシューは現実逃避気味に頭の中で考えていた。




「考えてもみろよ。仮の婚約と言われた相手に優しくされて、普通それを素直に受け取るか?いつか終わりが来ると分かっているのに、そんな相手の優しさなんていらないだろ。それを頼りにしたら後から辛くなるのは自分だ。だったら、傷つかないように相手の好意を真に受けないように自衛するんじゃねぇの?」


「いつか、終わる…?」


「いや、お前が自分から提案したんだろ。互いの利益のためにって。忘れたのかよ…というか、まずは相手に気持ちを伝えることが先決だろ。偽りの関係で好意を示したって何にもならん。そんなのは迷惑なだけだ。」


「それは…マシューの言う通りかもしれないけど…」


「なんだよ。この状況で一体何を躊躇してる?」


「…セラフィに嫌われたらどうしよう。もし想いを告げて断られたら?その瞬間にこの関係は終わりになってしまう。だったら、卒業直前までこのままの関係でいた方が…」


「おいおいおい…青空の君が何言ってんだよ。無理でも何でも、欲しいものには手に入れるその時まで手を伸ばし続けるんだろ?それが幸せなんじゃないのかよ。そんなことしてると、あっという間に横から掻っ攫われるぞ。」


「…絶対にいやだ。そんなの、考えただけで吐き気がする。」


「だろ?だったら、お前はちゃんと気持ちを伝えろ。先延ばしにしたっていいことなんてない。こんなことを続けてもセラフィ嬢を不安にさせるだけだ。それに、卒業間近までお前の親が放っておかないだろ。」


「それは…そうだね…いつまでのこのままってわけにはいかない。僕だってそんなことは分かってるけど、居心地が良くて、つい先延ばしにしたくなる。将来のことなんて何も考えたくない。セラフィが隣にいる今が毎日続くだけでいいのに…」


エトハルトは俯くと、コーヒーを手に取って口にした。

それは、甘党の彼のためにマシューがミルクと砂糖をたっぷりと入れてくれた白に近い見た目のコーヒーだった。




「それは俺も思うけど…でもここがきっと俺たちの頑張りどきなんだろうよ。ここで手に入れられればもう危惧することは何もなくなるからな。」


「そう…か。うん、そうだ。僕もセラフィとの未来を作るためにやらないと。いつまでも親の言いなりになんてなってやらない。僕はもう昔とは違う。欲しいものが出来てしまったから。」


「ああそうだな。まぁ、最終手段は、セラフィ嬢をランティスのところの養子に入れてもらって彼女の身分を上げるとかだな。あいつの親は慈善事業に力を入れてるし、お前の親も公爵家との繋がり欲しさにあっさりと受け入れてくれんじゃないか?」


「…それだけは絶対に避けたい。」


「いや、ランティスとも仲良いし、結構現実的な路線だと思ってんだけど?」


「ランティスとセラフィに繋がりが出来るなんて絶対に許せない。」


「ここでその独占欲を発揮すんのかよ…書類上のことだけだろ?何も、ランティスのことをお兄様って呼んで慕うわけじゃあるまい…」


「そんなことセラフィにさせたら何もかも抹消する。それに…彼女のこともあるし…」


「あ…確かにそうだったな。すっかり忘れてた。悪いことを言ったな。」


「問題ないよ。あれはもう過去のことだから。今の僕には何一つ関係ない。」


「それもそうだな。」


マシューはマグマカップを手にして口に運んだが、中身は空だった。中身をこぼしたことを思い出し、つい小さく舌打ちをした。


仕方なく、自分の分を淹れ直すことにした。


性格の本質は慎重であり失敗を恐れる彼は、コーヒーをやめて今度は紅茶にした。

エトハルト用にミルクティーを作ると、何も言わずに冷えたコーヒーの入ったマグカップと交換してあげた。

受け取ったエトハルトは、何やら考え込んだ顔でティーカップに口を付けていた。





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