誤解
「そこ、間違ってるわよ。ここは、さっき説明した理論を応用して…」
「ああ、なるほど。これをこうすれば良いのか。」
「そうよ。やれば出来るじゃない。」
期末試験も終わり、消化試合のような残りの授業をこなす穏やかな日々が続く中、ビリーとキャサリンの二人に変化があった。
あれほどビリーのことを避けていたキャサリンだったのだが、彼から勉強を教えてくれと懇願され、それを引き受けたのだ。
赤点を取るほど勉強に困っていると知った今、彼からの願いを断ることなど出来なかった。
授業の合間にキャサリンがビリーに勉強を教えることが当たり前の風景となっていた。
「ねぇ、アレって…」
そんな二人を見ながらアザリアがなんとも言えない顔をした。
「そうねぇ…」
「キャシーは昔から面倒見が良いから…そこにつけ込まれたのでしょうね。」
クルエラとフローラの二人もアザリアの隣で、同じ様な顔でキャサリン達のことを見ていた。
皆、キャサリンの気を引きたくて、ビリーがワザと赤点を取ったという予想に一票入れていたのだ。
「みんな、何を見てるの?」
そこに不思議そうな顔をしたセラフィがやってきた。皆何の話をしているのか、皆目検討が付かないようだ。
「心の綺麗なセラフィは知らなくて良いことだよ。さぁ、僕たちは先生に頼まれたこの資料を片付けないと。」
「あ、そうだった。」
セラフィは結局よく分からないまま、エトハルトに手を引かれて連れて行かれてしまった。
穏やかな日が続いていたある日の昼休み、アザリアが唐突にぶっ込んできた。
その日は珍しく、いつもの四人に加えて、ビリーとキャサリン、クルエラ、フローラの姿もあった。
もうすぐ長期休暇に入りしばらく会えなくなってしまうため、ビリーの声掛けにより、皆でランチを囲むこととなったのだ。
「キャサリンとビリーって、一体何があったの?」
「「ゴホッゴホッ」」
キャサリンとビリーの二人は息ぴったりにむせた。
彼女の発言に、マシューは何をやっているんだと頭を抱え、クルエラとフローラの二人は気まずそうな顔をしている。
セラフィとエトハルトの二人はおかずの交換っこをしている最中であったため、アザリアの発言は耳に届いてなかった。
「それはだな…少し、行き違いがあったんだ。」
非常に気まずそうな顔でメガネを上にあげながらビリーが答えた。メガネを触るのが彼の癖らしい。
彼の返答を聞いたキャサリンは、いきなりテーブルの上を強く叩いた。食器同士のぶつかる音が食堂に響く。
その大きな音に皆身をすくめ、エトハルトはどさくさに紛れてセラフィの肩を抱いていた。
「行き違いですって!?よく言うわよ!貴方が理由もなしに私との婚約を解消したんじゃないっ!」
キャサリンの大きな声と『婚約解消』という物騒な言葉に、食堂は一気に静まり返った。
周囲の関係ない者達も話が気になって聞き耳を立てているようだ。
「それは誤解だ。僕は、親の言いなりではなく、自分から婚約の申し込みをしたかったんだ。それなのに、君は話を聞いてくれないから…」
「は!?何よ、今さらそんなことを…本当にそうだったのなら、もっと早くに言えば良かったじゃない!」
「君は僕と会うことを拒んだだろ。手紙も返してくれないし。ようやく学園で会えたと思ったら、エトハルトに熱を上げているようだし…もう僕に気持ちがないのだと、そう思ってしまったんだよ。」
苦悩と悲壮感に溢れた声で自分の想いを話したビリー。想定よりも重かった話の展開に、他の皆も黙り込んでいる。
二人の話に割って入ることなど出来なかった。
だが、約一名、空気を読まずに入り込んでくる猛者がいた。
「それは違うと思うわよ。エトハルトに気があるようには見えなかったから。きっと、振られた男よりもいい男を捕まえて、自分を逃したことを後悔してやろうとかそんなところでしょ。キャサリンは貴方に止めて欲しかったんじゃないかしら?あいつじゃなくて、俺にしろって。」
「いや、そんなことキャシーがするはず…」
ビリーは言葉を止めた。
こんな勝手なことを言われて絶対に怒っていると思ってキャサリンを見たが、彼女の様子は予想とは真逆であったからだ。
彼女は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、膝の上に握り締めた両手を見つめていた。
アザリアの考えは図星であったらしい。一緒にいた皆も全員気付いた。
「…気付かなくて悪かった。僕は、キャシーのことをちゃんと見ていなかった。許してくれるのならやり直させて欲しい。」
ビリーはおもむろに席から立ち上がり、テーブルを回り込んでキャサリンの前まで来ると、そこに跪いた。
「えっ、ちょっと…!」
驚いたキャサリンが、慌ててビリーのことを立たせようと彼の肩に手を伸ばしたがその手は彼に掴まれ、握られてしまった。
「キャサリン・ランスタッド、どうかこの僕ともう一度婚約を結んでくれないだろうか。もう二度とこの手を離さないとここに誓う。過去に自分がしたことは許されるものではないが、生涯かけて、自分の君に対する想いが誠であることを伝え続けよう。だからどうか、この僕と一緒に生きて欲しい。愛してる、キャシー。」
真摯な瞳で真っ直ぐにキャサリンのことを見つめるビリー。
真っ直ぐな彼の想いに、彼女はもう逃げることは出来なかった。握られた手を、優しく握り返した。
「もう二度と離さないで。約束よ。」
「ありがとう、キャシー。ああ、一生大事にする。君の側から離れることなどしない。」
ビリーは、彼女の手を握ったまま立ち上がると、椅子に座っているキャサリンのことを包み込むように抱きしめた。
感動的で幸せな結末に、固唾を飲んで見守っていた周囲の生徒達から大きな拍手が送られた。
同じテーブルを囲んでいたセラフィ達も二人に温かい拍手を送った。
「キャサリン様、素敵です…」
ぽうっと惚けた顔のクルエラは、キャサリンのことを見つめていた。
「ええ、本当に。これでうちのクラスにはカップルが二人になったのね。羨ましいわ…私もキャシーやセラフィさんのように一途に想ってくれるお相手に見初められたいわ。」
婚約成立の場面を目の当たりにしたフローラは、羨ましい気持ちが大爆発していた。
そんな彼女の流れ弾に被弾したセラフィ。思わぬところで名が呼ばれたことに、曖昧に笑って見せた。
こんなところで、自分の婚約が仮初であるとそんなんて口が裂けても言えない。
余計なことを口にしないよう、笑ってやり過ごすことを選んだ。
「本当に。セラフィと出会えたことは自分の人生の中で起きた唯一の奇跡だから、僕もこの手を離すことはしないよ。」
「まぁ、情熱的ですわっ!!!」
エトハルトの熱のこもった言葉に、フローラは卒倒しそうな勢いで歓喜の声を上げた。
だが、セラフィは喜べなかった。これがいつか終わるものであると知っているから。
だが、嬉しくないわけではない。
正確には、喜びそうになる自分の感情に蓋をした、それが正しかった。
今一緒にいることを選んだ代償として、いつか傷つくことを選んだとは言え、その痛みは最小限に留めたかった。
だから、喜びに湧き立つ心を必死に抑え込んだ。
何の反応も示さないセラフィを見たエトハルトは、悲しげに目を伏せた。




