地獄の試験対策
「エティ…なんか軽装、だね?」
朝、迎えに来たエトハルトの馬車に乗ったセラフィは、彼に不思議そうな目を向けた。
エトハルトはこの寒い中、コートを着ておらずカバンも手にしていなかった。
この格好で玄関に現れた時には、てっきり馬車の中に置いてきたものだと思っていたのだが、車内には何も見当たらない。
セラフィの疑問に、エトハルトは珍しく目を泳がせている。
「ええと…その…教室にね、置いてきちゃったんだよね。」
「え?昨日の帰りはコートを着ていたし、カバンも持っていたと思うんだけど。」
変なところで鋭いセラフィ。
はぐらかそうとしたエトハルトに、容赦なく追及してきた。
「実は、朝ちょっと用事があって学園に寄ってたんだよ。」
エトハルトは、痛恨のミスをしてしまったと、表情は変えぬまま、奥歯を噛み締めた。
ランドルとロドスの勉強を自分が見ると宣言した翌日から、エトハルトは早朝二人を学校に呼び出し、朝っぱらから地獄の授業を行っていたのだ。
セラフィとの時間を一切削りたくないエトハルトは、迷うことなく睡眠時間を手放すことを選んだ。
これまで早朝行っていた家の仕事を深夜に回し、早朝を彼らの勉強を見る時間に充てたのだ。
これをセラフィに知られれば迎えはいらないと言われてしまうと思っていたエトハルトは、懸命に隠していたのだが、今朝は慌ててしまい教室に荷物を置き忘れるという凡ミスを犯してしまった。
彼はセラフィに言い訳をしながら、明日からはコートとカバンの予備を馬車に積んでおこうと考えていた。
「そう、なんだ。知らなくてごめん…次からそういう時は迎えに来なくて大丈夫だからね。」
「ううん、朝学園に用事があることなんて金輪際ないから安心して。本当にもう絶対に二度とそんなことは起こり得ないから。」
セラフィの気遣いの言葉に、エトハルトは食い気味で否定の言葉を口にした。
そのあまりの必死さに、セラフィは思わず笑ってしまった。
セラフィ達が教室に着くと、既にマシューがおり、アザリアの横に座って勉強を教えていた。最近の朝の光景だ。
だが、今朝は少し様子が違った。
セラフィの姿を見つけた瞬間、アザリアか席を立ちこちらに走って来たのだ。
「セラフィっー!!マシューが意地悪をするのよ!今日の小テストで8割取れなかったら、ランチをパンとスープだけにするって、ねぇ、そんなのひどいと思わない!?」
「ええと…」
セラフィは困ったように頬をかいた。
アザリアには申し訳ないが、あのマシューがそんな理不尽なことをするわけがないと思ったからだ。
そんな姑息な手を使わざるを得ない逼迫した状況なんだろうと推察した。
「アザリア!お前は昨日の課題もやってないし、今も途中で投げ出すし!食べ物でも制限しない限り、やる気にならないだろっ」
マシューが逃げ出したアザリアのことを回収しにやってきた。
セラフィの想像通り、明らかにアザリアに非がありそうな状況であった。
「セラフィ…」
縋るような瞳で見つめるアザリア。
滅多に見せない弱々しい彼女の姿に、セラフィの心が揺らぐ。
だが、繋いだままだった手をエトハルトにぎゅっと強く握られ、セラフィは心を鬼にした。
「…アザリア、頑張って。」
「セラフィの裏切り者〜〜〜!!!!」
「ほら、授業が始まる前にもう一度復習をやるぞ!」
アザリアは、こういう時に容赦のないマシューに首根っこを掴まれて引き摺られて行った。
「随分と気合いが入ってるな…」
騒いでいた二人の元に、ランティスが様子を見にやってきた。
「まぁ、この調子なら大丈夫か。あとは…」
ランティスは、ランドル達の姿を確認すると顔を顰めた。
二人とも教科書を握りしめて血走った目で凝視し、呪詛のごとく何度も何度も公式を唱えていた。
周囲の席の者も若干…いや、かなり引いた目で見ている。
「…ちょっと様子がおかしいが、まぁ一生懸命であることは良いことだな。」
二人はエトハルトのえげつないプレッシャーによって、人格のみならず人相すら変わりつつあったが、ランティスにとってそれは、「ちょっと」の変化であったらしい。
難なく、見過ごされてしまった。
授業が終わって休み時間になると、セラフィは沢山のクラスメイトに囲まれた。
皆授業で分からなかったことを聞くため、彼女の席に列を作って並んでいる。
優しい彼女が断れるわけもなく、一人ずつ懇切丁寧に解説を行っていった。
真摯で親身になってくれる彼女の横顔に見惚れ、頬を赤く染める男子生徒までいた。
「…ちょっともう耐えられそうにないんだけど。君たち、早くこれを頭に入れて全て理解して。そうすれば僕はこの役から解放されるんだから。」
「「は、はいっ!!」」
セラフィの人気が高まることに比例して、エトハルトの厳しさが増していく。それはもう、八つ当たりとしか言いようのないものであった。
それでも、このクラスの誰かが進級出来なかったらセラフィが悲しむと思ったエトハルトは、勉強を教えることをやめてしまおうとは思わなかった。
誰に対しても笑顔で接するセラフィのことを横目で見ながら、エトハルトは二人に対してスパルタ指導を続けた。
「はぁ…セラフィに会いたい…」
「いや毎日会ってるだろ。行きも帰りも一緒のくせに何言ってんだ。」
放課後セラフィのことを送り届けたエトハルトはまた学園に戻っていた。
来週に迫った期末試験に向け、ランドル達に対して最後の追い込みを仕掛けるためだ。もちろん、アザリアに対しても同様である。
エトハルトとマシューの二人は、赤点組の三人が模擬試験を受けている間、外に出て小休止を取っていた。
今日は良く晴れていて風がなく、日向は寒くなかった。
「セラフィが足りない。休み時間だって今だって一緒にいたいのに、なんでアイツらなんかに付き合わないといけないんだ。一層のこと、赤点を取って留年すればいいのに。そうすればセラフィから遠ざけることも出来る。」
「…本当にお前は、よく本音を言うようになったな。」
「夜、セラフィの部屋に行っちゃおうかな。」
「それは本音が出過ぎだ…」
犯罪の匂いを醸し出してきた幼馴染に、マシューはげんなりとした顔を向けた。
そして、青空に目を向けると、ふぅーと深く息を吐いて伸びをした。
「期末が終わったら俺達もう二年生になるのか。あっという間だな。」
「本当に。今が永遠に続けばいいのに。」
「本当だよなぁ。」
二人の心からの本音は、抜けるような青空に吸い込まれていった。
今のままではいられないことを十分に理解している彼らが、それ以上言葉を口にすることはなかった。




